梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「自閉症からのメッセージ」(熊谷高幸・講談社新書・1993年)再読・2

《第1章 自閉症の発見》
【要約】
◎発端となる謎
・自閉症の発見は、1943年と翌1944年に、米国の小児精神科医カナーとオーストリアの小児精神科医アスペルガーによって相次いでなされた。しかも「自閉症」(オーティズム)という全く同じ病名を用いることによって。大きな謎として迎えられたこの障害は、かなり解明が進んだとはいえ、半世紀が過ぎた今も深い謎として論議されている。
・そんな謎の一つが私のところにも時折、届けられてくることがある。
【ある手紙】
・遠方の自閉症児の父親から一通の手紙を受け取った。手紙には、15歳になる長男の出生から現在に至るまでの記録が詳しく書かれてあった。正常に育っているとばかり思っていた2歳半頃までのこと。「パパ」「ブッブー」など、いったん出始めた言葉がいっこうに増える様子がなく、視線が合わないと気になりだした頃から、数少ない言葉も消えてしまったこと。さらに、その後、追い打ちをかけるように、高い所に登ったり戸外に飛び出したり、いわゆる「多動」と呼ばれる行動が目立ってきたこと。


《感想》
・ここまでの「謎」は、2歳半頃までは正常に育っているとばかり思っていたが、①いったん出始めた言葉がいっこうに増える様子がなく、消えてしまったこと、②視線が合わないこと、③「多動」と呼ばれる行動が目立ってきたこと、それらの徴候が「なぜ」生じたか、ということである。この「謎」は、当然、親が「親の立場で」感じている「謎」である。専門家は、「第三者の立場」で、この「謎」を究明しなければならないが、今も論議され続け、はっきりとした答が見つからないということであろう。
・大切なことは、専門家が「第三者の立場」(子どもを「彼」とみなす)ではなく、「第二者の立場」(子どもを「あなた」とみなす)から、この「謎」に取り組むことである、と私は思う。
・具体的に言えば、子どもが「パパ」「ブッブー」という言葉(もしくは声)を発したとき、周囲の者(多くの場合は親)は、どのように反応したか、という観点が必要である。子どもは、それより以前から「オックン」「アブブブー」などという声を発していたかもしれない。親はその「声」を「言葉」として受け止め、応えてきたか。「そう、お話ししてるの。うれしいの、おもしろいの、よかったわねえ」などと言いながら、こちらも、子どもの発する声を真似することで、「気持ちのやりとり」をしていたか。
・親は「していました」「普通に育った上の子と、《同じように》育てました」と言うだろう。しかし、専門家は、その言葉を「鵜呑み」にしてはいけない、と私は思う。なぜなら、その「現場」を見ていたわけではないからである。
・また、大切なことは、親の「育て方」ではなく、「かかわり方」「接し方」である。
・以後は、私の推測だが、①子どもが声を出していても応えなかった、②泣かないように「先回りして」世話をした、③幼児音や幼児語を使いたくなかった、初めから正しい言葉を使えるように、大人の言葉で話しかけた、④子どもの目を正面から見て接することが少なかった、⑤「いないいないばあ」「いいお顔」など「表情」のやりとりを楽しむことが少なかった、⑥「ダメ」「アブナイ」「バッチイ」などという言葉で子どもの行動を「制止」する前に、「ブロック」「拘束」「捕縛」などで危険を防止した、というようなことはなかったか。
・「多動」とは、「親の立場」「第三者の立場」から見た評価である。健全に育った子どもは、すべて多動である、と言っても過言ではない、好奇心、探索心のあらわれである。親は、多動を調整するために「手をつなぐ」。その(掌の)「温もり」を感じながら、子どもは「移動」し、「探索」する。したがって、⑦親は子どもと手をつなげるか(手首や腕を掴むことではない)、⑧子どもの方から手をつなごうとするか、⑨手を握ると、強く握り返すか、⑩ある程度の時間、握りしめていられるか、といったことも重要なチェックポイントになるだろう。 
・いずれにせよ、専門家が「第三者の立場で」、親からの情報をそのまま「鵜呑み」にしている限り、自閉症の「謎」が究明されることは難しい、と私は思った。
(2015.10.21)