梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

母親の《役割》

    私事で恐縮ですが、私は母親の顔を「古ぼけた写真」でしか見たことがありません。母親は私の出産を終えると5か月後に他界しました。以後、父親・祖母に育てられましたが、二人とも「どのような母親であったか」を私に語ることはありませんでした。ですから、私は今だに「おふくろの味」を知りません。小学生の頃、「母の日」が一番「憂鬱」でした。「白いカーネーション」をつけなければならなかったからです。当時、クラスには父子家庭の子が、私を含めて三人いました。「白いカーネーション」は私一人ではなかったので、「救われた」ような気持ちでしたが、ある年、そのうちの一人が「赤いカーネーション」に変わったのです。「あれ?君は『白』じゃなかったの?」と、問いかける私に、その子は「得意そうに」答えました。「新しいお母さんが来たんだもん!」
 私の場合、母親の記憶が全くないので「さびしい」とか「悲しい」という気持ちはありません。しかし、「何か満ち足りない」「自分には何かが欠けている」という思いは、今でもあります。
 そんなわけで、私の「母親体験」は皆無です。多分に「願望」が含まれていることをお許し下さい。
 母親の役割で、最も大切なことは「子どもを安定させる」ことだと思います。胎生期(妊娠中)、子どもは母親の胎内で「安定」を求めています。「重い物をもたない」「長期の旅行は控える」「禁酒・禁煙」「服薬の制限」等々、すべてが子どもを「安定」させるための配慮だといえましょう。そして周産期、「出生」はヒトの人生にとって、最も危険な「試練」であるとも言われています。誕生まもない「新生児」は、新しい環境の中で、「胎内」とは比べものにならない「不安定」を味わうことになるからです。「授乳」「排泄」「睡眠」「更衣」等々、生活のすべてを、誰かに依存しなければなりません。その介助者として最も適しているのが母親に他ならないのです。母親はすでに「十月十日の間」、胎内の子どもとの「かかわり」を経験してきているからです。母親は「本能的」に、「喜びに満ちあふれて」、子どもを介助します。その結果、子どもは、今まで経験しなかった「過酷な」環境の中でも「安定」することができるのだと思います。
 しかし、様々な原因で「安定」できなかった子どももいます。胎内での未成熟、疾患、異常分娩(仮死)、重症黄疸等々・・・。そんな時、周囲の大人(特に両親)もまた「不安定」(心配・絶望・悔恨)になることは当然でしょう。その心理的な「不安定」が、さらに子どもの「不安定」を拡大することはたしかです。
 『五体不満足』(講談社)の著者・乙武洋匡さんは「まえがき」で次のように書いています。
<「オギャー、オギャー」火が付いたかのような泣き声とともに、ひとりの赤ん坊が生まれた。元気な男の子だ。平凡な夫婦の、平凡な出産。ただひとつ、その男の子に手と足がないということ以外は。先天性四肢切断。「あなたには生まれつき手と足がありません」という障害だ。(略)本来ならば、出産後に感動の「母子ご対面」となる。しかし、出産直後の母親に知らせるのはショックが多すぎるという配慮から、「黄疸(略)が激しい」という理由で、母とボクは1ヵ月間も会うことが許されなかった。(略)対面の日が来た。病院に向かう途中、息子に会えなかったのは黄疸が理由ではないことが告げられた。やはり、母は動揺を隠せない。結局、手も足もないということまでは話すことができず、身体に少し異常があるということだけに留められた。あとは、実際に子どもに会って、事態を把握してもらおうというわけだ。病院でも、それなりの準備がされていた。血の気が引いて、その場で卒倒してしまうかもしれないと、空きベッドがひとつ用意されていた。父や病院、そして母の緊張は高まっていく。「その瞬間」は、意外な形で迎えられた。「かわいい」・・・母の口をついて出てきた言葉は、そこに居合わせた人々の予期に反するものだった。(略)この「母子初対面」の成功は、傍から見る以上に意味のあるものだったと思う。人と出会ったときの第一印象というのは、なかなか消えないものだ。(略)母が、ボクに対して初めて抱いた感情は、「驚き」「悲しみ」ではなく、「喜び」だった。生後1ヵ月、ようやくボクは「誕生」した。>
 ここでは、「子どもを安定させる」という母親の役割が、事実として具体的に語られていると思います。特に、<生後1ヵ月、ようやくボクは「誕生」した>という言葉は見のがせません。乙武さんは、母親に対面するまで生後1ヵ月の間は、まだ「誕生」していなかったのです。それは、新生児期の「不安定」が母親の「かわいい」という(喜びの)「ひとこと」によって払拭されたことを象徴している言葉ではないでしょうか。
 さて、「子どもを安定させる」母親は、そこにいるだけで、子どもを「満足」させることができます。「五体満足」な私が「何か満ち足りない」「自分には何かが欠けている」と感じ、「五体不満足」な乙武さんが「何より、ボク自身が毎日の生活を楽しんでいる。多くの友人に囲まれ、車椅子とともに飛び歩く今の生活に、何ひとつ不満はない」(前出書・「あとがき」)と感じる、その差異こそが「母親の存在」ではないでしょうか。
 つまり、母親の第二の大切な役割は、子どものそばに「居る」ことだと思います。最近は、「男女機会均等」の風潮の中で、子どものそばに「居ない」母親が増えているように感じます。子どもを放置して遊び歩く母、「赤ちゃんポスト」活用等は論外としても、2歳までの乳幼児を「保育所」に預けることは通常化しています。しかし、そうした育児方法は日本の社会ではまだ50年の歴史しかないのです。核家族、共稼ぎ、少子化等々、社会の「事情」により、「誰でもそうしているから」「あたりまえ」のように思われますが、その結果が出るのは「これから」です。そばに居てもらいたいのに、居てくれない、でも、子どもは「我慢」する他ないのです。「我慢」は、しだいに「あきらめ」「不信」「恨み」という気持ちに変化するかもしれません。そうした子どもたちが大人になった時、日本の社会はどのようになっているでしょうか。
 母親の第三の大切な役割は、子どもの「可能性を信じる」ことだと思います。子どもの「欠点」「失敗」ばかりが目につき、「心配で夜も眠れない」というお母さんがいます。「親の心、子知らず」だと嘆きます。しかし、子どもは、自分の「欠点」「失敗」を母親以上に気づいています。そして悩んでいます。「どうすれば、お母さんを心配させずにすむだろうか」子どもは心配されたくないのです。母親を心配させている自分を許すことができないのです。「ボクなんか居ない方がいいんだ!」と思います。母親が心配している限り、子どもも母親も、この「袋小路」を抜け出すことができないでしょう。「可能性を信じる」ということは、「欠点」「失敗」を「愛する」ことです。「欠点があったっていいじゃないの、いいところもあるんだから」「失敗は成功のもと、何もしないよりはましよ、ドンマイドンマイ」と思うことです。乙武さんの母親は、先天性四肢切断の姿を見て「かわいい」という言葉を口にしました。「驚き」「悲しみ」(心配)ではなく、「喜び」(愛)こそが、乙武さんの可能性を開花させたことは明らかです。
 成人するまでの子どもにとって、また成人した後でも、母親は「かけがえのない」「絶対的」存在です。同様に、母親にとってもまた、子どもが「かけがえのない」」「絶対的」存在でなければならないと思います。お互いの存在を「喜び合い」、その「かけがえのなさ」を認め合うことは、「愛」の原点です。子どもは、「母の愛」を通して、他人を「愛する」ことを学ぶようになるのだと思います。そのこともまた、母親の大きな役割ではないでしょうか。「言わずもがな」のことではありますが、最近の社会現象を見ると、あらためて確認しなければならないように思うのです。
(2007.3.10)