梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

自閉症・《負のスパイラル》

 平成15年、文部科学省は「自閉症とは、3歳位までに現れ、1他人との社会的関係の形成の困難さ、2言葉の発達の遅れ、3興味や関心が狭く特定のものにこだわることを特徴とする行動の障害であり、中枢神経系に何らかの要因による機能不全があると推定される」と定義した。厚生労働省もホームページで、「自閉症の原因はまだ特定されていませんが、多くの遺伝的な要因が複雑に関与して起こる、生まれつきの脳の機能障害が原因と考えられています。胎内環境や周産期のトラブルなども、関係している可能性があります。親の育て方が原因ではありません」と説明している。この《親の育て方が原因ではありません》という一言によって、多くの両親は安堵したことだろう。「わが子の障害は生まれつきだ。自分たちの育て方とは関係ない」と考えただろう。その安堵感からどのような考えが生まれただろうか。「わが子は自閉症(スペクトラム)という特別な障害をもって生まれてきた。だからその障害にあった《特別な育て方(教育)》をする必要がある」、さらに「自分たちの育て方が原因ではないのだから、育て方に問題はない。わが子の教育(療育)は専門家にまかせればよい」と考えるかもしれない。しかし、そこには大きな落とし穴があると、私は思う。「自閉症とは、3歳位までに現れ、1他人との社会的関係の形成の困難さ、2言葉の発達の遅れ、3興味や関心が狭く特定のものにこだわることを特徴とする行動の障害」である。3歳までに現れるこれらの特徴に対応する「場」は家庭であり、「人」は両親および家族である。とりわけ、「他人との社会的関係の形成」、要するに《対人関係の形成》は「親子関係の成立」によって始まる。今、親子関係に支障が生じているとすれば、まず両親は「自分たちの育て方」を見直し、足りなかった部分、誤っていた部分を明らかにする必要がある。もし両親が「自分たちの育て方が原因ではないのだから、育て方は不問にする」と考えたとすれば、《対人関係の形成》は望むべくもないだろう。事実、専門家は以下のような見解を示している。


《社会適応から見た予後は楽観できない。仕事に就いて、自分で独立して生きていかれる状態の転帰をとる者はだいたい20%以下である。わずかな助けでなんとか自立した生活を営める状態の者もまた20%以下である。これに対して、独立した生活ができず、施設に入ったり、人の助けを大幅に借りなければいけなかったりする者は半数から70%に及んでいる(若林、1980;中根1988)・『自閉症治療の到達点』・太田昌孝、永井洋子編著・日本文化科学社・1992年》


 しかし、両親は本当にそれでよいのだろうか。納得できるだろうか。「自閉症は生まれつきだ、親の育て方が原因ではない」、だから、療育は専門家に任せればよい。「自閉症は治らない」、だから、そのまま受け入れて社会的自立を図ればよい。しかし、《仕事に就いて、自分で独立して生きていかれる状態の転帰をとる者はだいたい20%以下である》。そんな通説を信じてよいのだろうか。
 両親はまず、わが子が誕生してから現在までの「歩み」、そして、わが子との「かかわり」を振り返るべきである。子どもの誕生は誰にとっても大きな喜びだが、一方、それだけに不安もつきまとう。「無事に育ってくれるだろうか」、そのために両親は様々な手立てを講じるだろう。部屋の温度、湿度、授乳の内容と方法、沐浴の方法、睡眠の姿勢、衛生管理、危険物の除去など等。その時、もし育児の喜びよりも不安の方が先行した場合、どのようなことが起きるだろうか。両親はいつも「大丈夫だろうか」という不安を抱えている。その不安が子どもに伝わり、さらに両親の不安を高める。環境が少しでも変化すると、子どもは不安になり緊張する。固まって「泣こうとしない」。あるいは、「一度泣き出したら、ずっと泣きやまない」。両親はどうしてよいかわからず、困惑する。本来なら喜びであるはずの育児が苦痛に変わる、といった《負のスパイラル》が生じていることははないか。そのはじまりは両親の《不安》だが、さらに《過干渉》、《期待過剰》といった傾向が加わることによって、《負のスパイラル》はいっそう強化されるだろう。両親と子どもは、「今、その渦中に居る」のではないか。
 では、その《負のスパイラル》から脱け出すためにどうすればよいか。そのポイントを列強すると、
①わが子の特徴を「対人関係形成の困難さ」の一点に絞ることである。(「できる、できない」ではなく「(気持ちが通じるか、通じないか、どの程度通じるか」という一点に絞ることである)
②両親は「親子関係」の成立を妨げている原因を探求することである。それを一方的に子どもの側に求めることをやめて、親の側にも「あるかもしれない」と思うことである。
とりわけ、「心配しすぎていないか」「子どもが失敗しないように、手をかけすぎていないか」「先回りして助けることはないか」「他の子どもと比べて、同じように、できるようにしたいと期待しすぎることはないか」「今、親子で楽しむことは何か、それを十分に楽しんでいるか」について、振り返ることである。
③専門家は、子どもの実態(対人関係場面における行動特徴)を的確に把握し、家庭訪問して(家庭の場で)療育・助言を行うことである。専門機関の施設だけで療育を行う限り、「社会適応から見た予後は楽観できない」からである。また「自閉症」に関する知識ではなく、目の前の子ども自身、家族(関係)の情報から「問題」を整理し、今後どうすればよいかについて検討するべきである。
④専門家・両親は、子どもの行動の裏にある「心理状態」を洞察することである。「行動」は結果であり、その「要因」を理解しなければ、問題の解決には至らない。「要因」は「行動」のように顕在化していないので、理解することは容易ではないが、そのことを諦めて「行動の変容」を図るだけでは、般化しない。これまでの実践例で証明されていることである。
⑤自閉症は「スペクトラム」(連続体)であることを理解して、非自閉症との「共通点」を見出すことである。自閉症の「行動特徴」は、誰もが成長過程の中で行ってきたことであり、またこれからも「条件が整えば」行うであろうことばかりである。ではその「条件」とは何か、を明らかにするべきである。「環境からの隔離」「コミュニケーションの断絶」という状態が大きく関与していると思われる。
⑥自閉症児が「できること」をめざすのではなく、他人とかかわる機会を増やし、喜怒哀楽の感情を表すようにすることである。それは、いわゆる「心の理論」の構築であり、「自閉症には不可能である」という通説(俗説)に果敢に挑戦することが肝要である。 
 と、いうことになる。


今、多くの両親が「特別な療育」を求めて苦心している。しかし、その内容は意外にも「一般的な、従来の育て方」と大差なく、それを怠っていたか、あるいは先験的な「育児観」に拘泥していたか・・・、そのことに両親が気づいた時、道は大きく開けるのではないだろうか。
(2016.6.10)