梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「自閉症治療の到達点」(太田昌孝・永井洋子編著・日本文化科学社・1992年)精読(29)・Ⅸ章 自閉症の生物学的研究

【要約】
《Ⅸ章 自閉症の生物学的研究》
【はじめに】
・ここでは、自閉症の生物学的研究の歴史の概略にふれ、その後、臨床脳波、誘発電位、事象関連電位、画像診断、神経病理、生化学などの生物学的な研究を主に方法別に紹介するとともに、自閉症の臨床で日常なされている検査の意味などについても簡単に触れる。
【1.自閉症の生物学的研究の歴史】
・1940年代に、Benderが「小児分裂病」に脳障害を想定して、ソフトサインなどを研究していた(Bebder,1947)。
・1950年代になると、自閉症の追跡研究や脳波の研究がなされるようになった。
・1960年代になると、追跡調査で自閉症にてんかん発作が高率に見られたことや、脳波検査で自閉症に高率に脳波異常が認められたことから、自閉症に脳機能障害があることが一般的に認められてきた。
・1970年代に入ると、CTスキャンや誘発電位などの医療機器が、自閉症研究にも応用できるようになった。
・1980年代以降は、事象関連電位による研究も盛んになされ、覚醒時脳波解析の研究にもコンピュータによる自動解析が導入された。画像診断ではCTスキャンに加えて核磁気共鳴画像、ポジトロンCTなどがなされるようになった。フェンフルラミンやテトラハイドロバイオプリテンなど、自閉症の根本的な障害についての仮説に基づいた臨床薬理の多施設研究もなされるようになった。臨床的にも、脳波検査がますます重要性を増すとともに、CTスキャンが普及し、日常の臨床で広く使われるようになった。
*現在までに、自閉症に対する生物学的な研究は広くなされ、その報告の多くで、異常が示されてきた。しかし、結局は、その異常は、自閉症にだけ見られる異常ではなく、自閉症特有の障害とは直接関係していないとされた。現時点では、自閉症の生物学的な研究は、自閉症の脳機能障害を示唆するにとどまっており、自閉症の特有の症状を説明できる生物学的な異常は見つかっていない。
【2.神経生理学】
1)臨床脳波
・脳波とは、脳の表す自発的・律動的な電気活動を記録したものである。
・臨床的には、てんかん、脳血管性障害、脳腫瘍、脳炎、頭部外傷などの補助診断に有用である。
・脳波の異常は、突発性異常(発作波)と非突発性異常に分けられる。突発性異常は、背景脳波から際立った変化が突然出現し、急激に消退する脳波上の変化の異常であり、主にてんかんに見られるが、てんかん発作と必ずしも結びつくとは限らない。非突発性異常とは、主に基礎律動の異常である。脳腫瘍、脳出血、ある種の発達障害など、意識障害や脳機能低下、脳の成熟異常などがあるときに、しばしばこの異常をきたす。
*自閉症と臨床脳波:自閉症の睡眠脳波は、通常、明確な非突発性異常は認められない。自閉症では、高率に認められる突発性異常が注目されている。
2)突発性異常とてんかん発作
・現時点までの自閉症の脳波異常の研究をまとめると、自閉症のうち脳波異常は、1回の検査では30~40%前後、経時的に脳波検査を施行すると60%程度の者に認められるという報告が多い。この脳波異常は、知能の低い群に多いと報告されている(清水,1986: Minshew,1991)脳波は、年齢とともに変化し、脳波異常の見られた者がその異常が消失したり、その逆もしばしば見られる(川崎ら,1989)
・自閉症では、てんかん発作は自閉症の数十%から35%程度に見られるとされている(清水,1987; Minshew,1991) 発作型は、全般性強直間代発作(いわゆる大発作)が多いとされていたが、最近では複雑部分発作(短期間の意識消失、舌なめずり、手でボタンをいじるなど)のほうが多いという報告もなされている(Gilberg,1991)。てんかん発作もIQやDQの低い者に高率に認められる。また、てんかんの遺伝負因を重視する可能性を指摘する報告もなされている(Lenti,1992)。
・非自閉症者のてんかんの初発時期は幼児期が多いのに対して、自閉症者の初発時期は、幼児期と思春期の2つの時期にピークがあるとされている(Deykin & MacMahon,1979)。①自閉症では、てんかん発作が高率に認められ、幼児期から思春期までの広い年齢層で初発し得る。
②自閉症では、脳波異常は、知能障害の重さなどとともに、てんかん発作を予測できる可能性がある。
③自閉症の青年期にときに見られる退行は、てんかん発作と関係している可能性がある。
*10歳を過ぎたら、発作のない子どもでも2~3年に1回程度の脳波検査を受けることが望ましいと言えよう。
3)基礎波(自閉症の覚醒時脳波の非突発性異常)の研究
・自閉症の基礎波に関する研究の数は多くはない。何らかの脳の機能障害を示唆する異常が指摘される報告もなされているが、報告間で一致しておらず、その意味づけも定まっていない。
4)事象関連電位
・事象関連電位とは、種々の刺激によって生じる脳波の変化である。
・通常の臨床脳波は、安静覚醒時または睡眠時の、自発的な脳活動を表しているが、事象関連電位では、刺激に対する反応といった、より能動的な脳の活動について表していると言える。
・事象関連電位には、音、光など単なる感覚刺激に対する受動的な中枢神経の反応と考えられる誘発電位と、ヒトの認識、判断などに関連すると考えられる狭義の事象関連電位とがある。
⑴誘発電位
・誘発電位は、単純な感覚刺激を与えたときに生じる脳波の変化である。与える刺激の種類によって、視覚誘発電位、聴覚誘発電位、体性誘発電位に分けられる。
・自閉症では、聴覚誘発電位(ABR)がよく研究されてきたが、特徴的な異常は認められないとする報告が多い。
・臨床上は、幼児期に「呼んでも反応がない」ときなどに、聴力障害の有無を調べる検査の1つとして役立っている。
⑵狭義の事象関連電位(ERP)
・心理学的な課題を課しつつ脳波を記録する方法である。
・精神科領域では、ERPの中で、潜時約300msec程度の後期陽性成分(P300)がよく研究されている。
・P300は、精神分裂病、痴呆、頭部外傷などを対象とした研究で、種々の課題で振幅が小さいことが知られており、「認知」の障害との関連が注目されている。
*自閉症と事象関連電位(ERP)*
・現在、ERPは、自閉症の認知障害に関する客観的な情報を得たり、治療を客観的に評価したりする手段の1つである。ただし、ERP自体が、いまだ不明のことも多く、自閉症の認知障害とERPの異常所見とがどのように結びつくのかわかっていない。
・現時点では、自閉症のうち、ERPが施行可能な者は、高い知能を持つ者に限られている上に、ERPで異常が出たとしても、その意味づけが明確にされていないことから、ERPは研究的な要素が強く、臨床的に利用できる段階ではない。
【3.画像診断】
・画像診断は、CTスキャン(SPECT)、核磁気共鳴画像(MRI)、ポジトロンCT(PET)などが含まれる。
・自閉症の研究における画像診断の導入は、60年代の気脳写に始まり、70年代にはCTスキャン、近年はMRI、PETなどによる報告がなされている。
1)CTスキャン
・CTスキャンは1972年に開発された。これによって、頭蓋内の脳出血、脳浮腫、脳腫瘍、脳萎縮など、脳の形態的異常がすみやかに診断できるようになった。
*自閉症と頭部CTスキャン*
・60年代後半の気脳写(脊椎などから空気を注入し脳室に空気を入れ、それにX線をあて脳室や脳の表面の形を調べる方法)の報告では、自閉症の脳室の拡大が報告された。
・70年代後期から80年代初期のCTスキャンの研究でも、自閉症に側脳質の拡大など
の報告がなされてきた。
・最近の研究によると、概ね自閉症に特徴的な異常が見られないという報告が多い。
・結局、自閉症のCT上の所見は、ときに種々の非特異的な異常が見られるようである。しかし、自閉症に特異的な、CTで捉えられるような、特徴的な粗大な異常はなさそうである。
2)頭部MRI
・MRIは、核磁気共鳴現象を利用し画像を構成する診断法であり、脳の表面や内部の構造を調べる方法である。
*自閉症とMRI*
・MRIの自閉症の研究が発表されてからまだ数年しかたっておらず、報告の数も少なく、報告間でもしばしば結果が一致していない。
・自閉症の小脳に異常が認められる可能性があることが注目を集めている。
・しかし、MRIの異常所見が追試によって確認されたとしても、自閉症の行動や認知の障害とこれらの所見を直接結びつけることには慎重を要する。その評価については将来に委ねることになる。
3)PET
・PETは、体内に投与した放射線核種の分布を画像化するもので、脳の血流量、脳の代謝など脳の機能面を捉えることができる。また、課題を施行しながらやれば精神機能と脳機能の両面を同時に捉えられる可能性もある。短所としては、高価であること、多量の放射線を被曝することなどがあげられる。
*自閉症とPET*
・自閉症のPETについての報告はいまだ数が少なく、その評価は今後に委ねられよう。
・安全性の問題から、小児期の自閉症児にPETを施行することは慎重にするべきである。
【4.神経病理学】
・自閉症の神経病理学的な研究の報告はいまだ乏しい。小脳のプルキンエ細胞の数が少ないという報告は、MRIの自閉症の研究の一部で報告されている。“小脳に異常が認められる”という所見と一致するように見える。これらの所見は、最近、小脳が認知機能や情緒に重要な役割を果たしているという研究結果と合わせると、非常に興味深い。しかし、プルキンエ細胞は、栄養障害、中毒、感染、無酸素症など、しばしば非特異的な要因で脱落することが指摘されており(平野,1986)、その意味づけについては慎重を要するだろう。
【5.生化学】
・精神科の領域では、分裂病ではドーパミン系の活動亢進が、うつ病ではセロトニン系の活動低下が報告され、病態の解明のきっかけになるとともに、薬物治療にも貢献している。精神機能の異常と伝達物質の異常とは密接にかかわっていると考えられている。
*自閉症と生化学的研究*
1)セロトニン
・セロトニンは、中枢神経系、腸管、血液の血小板に存在する。
・1961年にSchainnが23名の自閉症児の血液中のセロトニン濃度を対照群と比較したところ、有意に自閉症群のほうが高かったと報告した。以後の追試でも、概ね自閉症の1/3程度に血液中のセロトニンの値が高値であることで一致している(Elliott & Ciaranello,1987)。
・現時点では、自閉症の一部に高セロトニン血症が認められること以外に、一致した所見はない。重度精神遅滞児の約半数にもセロトニンの高値が認められる(Hanley,et al.,1977)、その所見は自閉症に特異的なものではなく、意味づけも一致していない。
2)その他
・現在までのところ、自閉症の生化学的研究は、診断の問題、薬効評価の問題、研究の方法の問題、対照群の問題など多くの問題をかかえている。しかし、今後、自閉症の根本的な障害を明らかにすることばかりでなく、その治療薬を開発するためにも、生化学的な研究は重要になると思われる。
【6.自閉症をきたす病態】
・現在までに、Duchenne型進行性筋ジストロフィー、ダウン症、神経繊維腫症、ヘルペス肺炎などに自閉症の診断基準を満たす症例があるという報告がなされている。高率に自閉症をきたす病態として、点頭てんかん、結節性硬化症などがあげられている(中島,1991)。
・レット(Rett)症候群は、ほぼ全例一時期に自閉症になることが知られている(Rett,1966)。
・このことは、自閉症の症状が、なんらかの脳機能の障害によって生じることを示唆している有力な証拠である。
【7.その他】
・免疫、内分泌、眼球運動などに異常が認められるという報告がなされているものの、研究の数が少なく、不明のことが多い。
【おわりに】
・現時点では、自閉症の精神症状を説明できるような生物学的な異常は見つかっていない。
・現時点では、自閉症の日常の臨床でなされている脳波やCTスキャンを含めた生物学的な検査から得られる情報には、直ちに治療に役立つものは多いとは言えない。このような検査を含めた臨床経験の蓄積ももちろんだが、自閉症の脳の障害の本態を明らかにするための、各方面からの生物学的な研究は非常に大切と言える。そのことは自閉症の治療にも大きく貢献するはずだからである。(横田圭司)


【感想】
 「Ⅸ章 自閉症の生物学的研究」では、著者ら自身が〈現在までに、自閉症に対する生物学的な研究は広くなされ、その報告の多くで、異常が示されてきた。しかし、結局は、その異常は、自閉症にだけ見られる異常ではなく、自閉症特有の障害とは直接関係していないとされた。現時点では、自閉症の生物学的な研究は、自閉症の脳機能障害を示唆するにとどまっており、自閉症の特有の症状を説明できる生物学的な異常は見つかっていない〉と述べているように、その成果は判然としない。この著書が発行されて以来20年余りが経過した現在でも、大きな進展は見られないようである。インターネット情報によれば、
浜松医科大学が、2012年〈・自閉症者においては活性型ミクログリアが脳の様々な部位で増加していることを,世界で初めてポジトロン断層法(PET)によりとらえた。・脳部位間の活性型ミクログリアの分布パターンは自閉症と対照とで同様であることから,自閉症における活性型ミクログリアの増加は,局所の異常ではなく脳内ミクログリア数そのものの増加を反映している〉という研究報告をしたが、結論は〈研究の被験者には脳局所の萎縮や脳炎などないことが確認されていること,および,自閉症者の活性化ミクログリアの脳内分布が健常対照者と変わらないという所見から,自閉症ではミクログリアの分布は正常と同様ながら,その総数が増加していることが示唆されました。今後,ミクログリアの活性化につながる胎内の環境要因を明らかにすることが自閉症発症メカニズムを理解する一助になると期待されます〉という程度にとどまっており、「そのことは自閉症の治療にも大きく貢献するはず」とは言い難い。
 私の独断と偏見によれば、自閉症の原因を「脳の機能的障害」と推定しているかぎり、その本態は「専門家」によって解明(改善)されぬまま、支援を必要としている自閉症児たちは「自閉症者」として成長し、その生涯を終えることになるのである。著者らは〈(・MRIの自閉症の研究が発表されてからまだ数年しかたっておらず、報告の数も少なく、報告間でもしばしば結果が一致していない。・自閉症の小脳に異常が認められる可能性があることが注目を集めている。・しかし、MRIの異常所見が追試によって確認されたとしても、自閉症の行動や認知の障害とこれらの所見を直接結びつけることには慎重を要する。その評価については将来に委ねることになる〉と述べているが、もうすでに(当時の)「将来」は「過去」になってしまっているのである。(2014.3.9)