梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「自閉症治療の到達点」(太田昌孝・永井洋子編著・日本文化科学社・1992年)精読(24)・Ⅵ章 認知発達治療の実践 東大デイケアの経験から・4

【要約】
3)2症例の治療効果の検討
・2症例の子どもの発達的な変化と行動の改善は、「太田のStage評価」による認知発達の効果として考えることができる。
・しかし、この2年間に、症例1では言語のみならず他の側面でもシンボル機能を獲得させることはできず、症例2では、基本的な比較の概念を獲得させることができなかった。このことは、自閉症のシンボル表象機能の障害がいかに重篤であるかをさし示しており、同時に、認知発達治療の限界をも示していると言えよう。
・今後、生物学的な障害に焦点をあてた薬物などの治療法が開発されることを期待している。
【5.認知発達治療を支えるもの】
1)親との協力
・家庭との協力と連携は自閉症児の治療上とりわけ重要である。
・東大デイケアでは、親や家族全体の精神保健に十分配慮した上で、よき協力者としての連携を保つねらいでプログラムが組まれている。
⑴病気や障害の理解を深めるための親への援助
①「親の会」(毎月開催)、②デイキャンプ(年1回開催)、③父親参観(年1回開催)の3つから、親に子どもの病気や障害の理解を深めるよう働きかけている。
①親の会:病気や障害についての現在までの世界的な治療・研究の到達点、デイケアでの治療理論、方針、方法などをテーマに、医師や心理スーパーバイザーが講義をする。親の会での話は、スタッフ全員に伝えられ、日々の治療教育に活かされる・
②ディキャンプ:通院児の全員を対象に行われる。午前の部は運動会、午後の部では、両親を対象にして医師が病気や発達の問題について講演し、質疑応答を行う。
③父親参観:治療教育の参観、その後、医師による講義と、質疑応答の時間を持つ。父親を含めた家族全体のダイナミズムを考慮に入れた働きかけの一環として位置づけている。
⑵療育に対する情報の交換とアドバイス
・治療者は治療教育の場面で取り組んだことが日常生活に般化するように指導し、般化の状態を把握する。また、子どもの家庭での日常生活を具体的に知り、治療教育上の手がかりや示唆を得る。
①親との面接:親の性格、精神状態、家庭の状況を十分に配慮してアドバイスする。
②お便り帳:毎日、子どもの様子と親の考えを知る。治療者が取り組みの概略を伝える。
③療育の参観:親が療育の場面に入り、治療者の接し方や認知発達学習を見る。参観終了後、親と面接する。
④家庭での課題:家庭学習教材での宿題や家事の手伝いなど、適応行動の獲得に関する課題である。夏休み、就学を控えた時期など「家庭学習」の習慣を身につけるのに役立つ。
⑤家庭訪問:年に1回実施する。家庭の状況、子どもの様子を具体的に知り、療育に活かすことを目的にしている。
・以上、家庭との連携では、治療者が自閉症と発達について科学的な観点から理解しておくこと、療育のねらいを発達の上から明確にしておくこと、子どもの変化や親の状態、訴えに敏感に反応できるチームプレーができる体制をつくっておくことが重要である。
2)地域との連携
・現在、ほぼ全員が地域の保育園や幼稚園で受け入れられ、デイケアと並行通園している。
・年1回は親の了解のもとに、治療者が園訪問を行っている。その目的と意義は、①自閉症児が健常児の集団の中でどのような状態であるかを知る、②自閉症の病気や障害、デイケアでの治療教育内容などを伝え、理解と協力をお願いする、園の方針や問題となっていることについてデイケア治療の中で協力する、ということである。
・お互いの期間の特徴を尊重し、お互いの不足している部分を補い合う協力関係をつくること、通院児のプライバシーに関する秘密の保持に最大限の注意を払うことの2点に留意している。
【おわりに】
・この章では、デイケアでの治療教育実践を通して認知発達治療の意義について述べた。2症例での発達的な変化は、一般の子どもの発達から見ればほんのわずかな進歩なのかもしれない。しかし、この子どもたちにとっては大きな進歩であり、人間としての成長過程を示しており、豊かな人間性の獲得の過程であると言えよう。


【感想】
 以上は、「Ⅵ章 認知発達治療の実際」のいわば「まとめ」の部分であるが、「報告」というよりは、「~が必要である」式の「解説」が目立ち、私にとっては「言わずもがな」の内容であった。また「2症例の治療効果の検討」の中で、症例1ではシンボル機能を獲得させることができなかった、症例2では基本的な比較の概念を獲得させることができなかった、と反省し、「同時に認知発達治療の限界をも示している」と述べられているが、認知発達治療の《何が限界なのか、どこに問題があるのか》は明らかにされていない。以降で「(我々は)技量を上げるような努力が必要」とも述べられているので、東大デイケアのスタッフ、とりわけセラピスト(治療担当者)の技量が足りなかったことが「限界」だと考えられているようにも思われるが、はたしてそうか。私の独断と偏見によれば、「認知発達治療」の原理、そしてその方法《自体》に「限界」があるということである。その理由1、自閉症の原因は、子ども自身の「認知発達の遅れ」にあるのだから、その部分に対する治療教育を行えば(認知発達水準が高まれば)、自閉症の様々な症状は減弱するという考え(仮説)には誤りがある。なぜなら「認知発達」(シンボル表象機能)に障害のない自閉症児(高機能自閉症、アスペルガー症候群など)の原因は何か、またその「症状」はどのようにして減弱するのか、明らかにされていない。理由2、発達年齢が3歳未満の子どもたちに対して「1対1の《学習形態》」を行うことは、(オペラント行動療法の名残であり)「発達的に」不自然である。行動療法的な「働きかけ」を(3歳未満の)子どもが拒否・回避しようとすることは「発達的に」自然であり、彼らには「自由な場面」の「試行錯誤」の《学習形態》が保障されなければならない。著者らは(精神分析学的)「受容的遊戯療法」の限界を指摘しているが、その代替として「(言語)指示的学習療法」に拘泥するのはいかがなものであろうか。
 もし「認知発達治療」が「自閉症の治療の到達点」であるのなら(著者らがそう信じるのなら)、それは(認知発達学習は)、デイケアの「自由な遊びの場面」で行われるべきである。具体的に言えば、「1)親との協力 ⑵療育に対する情報の交換とアドバイス ③療育の参観」で述べられている「親が実際の療育の場面に入り、治療者の接し方や認知発達学習を見る」だけでなく、親自身が参加することを、《毎回、日常的に》行うべきである。治療を行うのは専門家(セラピスト)、それに協力するのは親(非専門家)といった分担が、「認知発達治療」を《分断》し、「般化」などという「二重手間」を生じさせてしまうのだ、と私は思う。
 いずれにせよ、東大デイケアの「認知発達治療」には《限界》があることが明らかになった。著者らは、それをどう乗り超えようとするのか。「生物学的な障害に焦点をあてた薬物などの治療法」?、だとすれば、心理アドバイザーや臨床心理士(セラピスト)の「出番」はなくなるのではないだろうか。次章からを興味津々で読み進めたい。(2014.2.19)