梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「自閉症治療の到達点」(太田昌孝・永井洋子編著・日本文化科学社・1992年)精読(22)・Ⅵ章 認知発達治療の実践 東大デイケアの経験から・2

【要約】
【4.認知発達学習の実際・・ 症例を通して・・】
1)StageⅠの症例(症例1)
⑴症例の概要(Y君・男子 初診3歳9か月、小学校入学まで2年間通院)
・主訴:言葉が出てこない、言葉をかけても応じない、偏食が激しい、何でも口に入れてしまう。(家族は父、母、兄、本児)
・現病歴:出産時異常なし。1歳までテレビを見せるとおとなしくてのかからない子だった。始歩1歳3か月、この頃鏡を見ながらバイバイをした。遊びは、車のタイヤを回してながめること、ソファで硬い表紙の絵本をパラパラめくることがほとんどだった。
・初診時の所見:多動、孤立、言語遅滞、言語理解の乏しさ、象徴遊びの欠如、特定の物への興味、などの症状により、幼児自閉症と診断された。
⑵デイケア通院開始時の状態
・名前を呼んでも振り向かず、目的もなく動き回っており、落ち着きがなかった。おもちゃには興味を示さず、口に入れてしまうか投げ捨ててしまう。人への興味は乏しく、お菓子がほしいときに人の手を引いて要求する程度で、ほとんどは実力行使でやっていた。有意味語はなく、言葉かけによる行動のコントロールはまったくできなかった。
・排泄面では、大小便ともにおもらしで、気配やサインも見られなかった。食事は偏食がひどく、立ち歩きや手づかみが目立った。着脱は介助されて協力姿勢をとるのみだった。
・働きかけによって、ぐずり泣きや頭つきを起こしやすかった。何でも口に入れてしまい、お菓子への執着が強く、目が離せない状態だった。
・「太田のStage」はⅠ-2の段階であった。
⑶治療方針
・担当者との安定した対人関係をつけること。
・デイケアの場面で、言葉かけで行動がコントロールできること。
・感覚運動的な知能を充実させること。物に名前のあることの基礎を養うこと。
*個別指導を重点にして治療教育をすすめる。
⑷導入期
・初めての集団参加であったが、母子分離は淡々としており、職員室への冷蔵庫への突進が目立った。集団参加への誘いかけには、当初は抵抗もなく一見おとなしいと思われたが、回を重ねるにつれ、ぐずり泣きや頭つきをして抵抗するようになった。不安と緊張の表れと理解し、導入期の1か月は、デイケア生活に慣れ親しむことを目標に、Y君のペースに合わせつつプログラムにのせていくように留意した。
・治療者は、家庭での様子、母親の接し方を聞き、どの程度まで本人に頑張らせればよいかを、働きかけの中でつかむようにした。
⑸認知発達学習
・日常のあらゆる場面で物への認識を高める働きかけをすると同時に、認知発達学習の時間をとるようなプログラムを立てた。
・最初は着席行動がまったくできなかったので、動き回っているY君のところに教材を置き、自由にさわって楽しむことによって、教材への興味を引き出していった。
・次に、興味のある教材を学習机に移して、着席できるようにした。1つの教材の操作が終わると「できたね」と言って頭をなでたりくすぐったりしてほめながら、次の教材を出し、興味を引き付けて5分間くらい着席できるようになった。飛び出せないような環境設定を工夫することにより、1か月くらいで学習する形態をつくることができた。
・課題は、はめ板、クーゲルバーン、ひも通し、ラッパを吹く、ボールを治療者が指さしたかごに入れることであった。
・1年目の認知発達学習では、目と手の協応問題、色の分類、指さしされた所に物を入れることが(喜んで)できるようになったが、物に名前のあることの基礎を促す問題、絵と実物のマッチングの課題になると、教材を見ただけで机にうつぶせてしまい学習が進まなかった。そこで、Y君の好きな果物の絵カードを数枚作成し、その日のお弁当で持参した果物と絵カードをマッチングさせるようにしたところ、功を奏して何回かやっているうちにできるようになってきた。それをきっかけに、学習場面でも物の分類やマッチングが確実になり、課題遂行がスムーズになってきた。1年目の終了時には、御用学習(絵を見せて実物を取ってくる)ができるようになった。
・2年目になるとY君の行動は安定し、治療者のペースで学習をすすめられるようになった。徐々に、視覚的な手がかりを様々にしながら、物の名称を教えた。写真カードや、白黒のデフォルメカードでも同じ物を取ることができるようになった。顔や身体の構成、果物の形を見せ、色を選ぶこと、などの課題にY君は嬉々として取り組んでいた。
・動作模倣は、治療者と対面すると治療者の膝にうつぶせてしまい、進歩がなかったが、
歌に合わせて手を上下に合わせたり、手のひらをくすぐったりして、治療者の動作に注目させるように工夫したところ、簡単な粗大模倣ができるようになった。その頃から、日常生活でも働きかけるとお辞儀やバイバイなどの動作ができるようになった。
・微細運動面では、ハサミでまっすぐな直線が切れるようになった。
・日常の着脱場面でもボタンのはめはずしを練習し、できるようになった。
⑹適応行動の獲得に向けて
・生活のそれぞれの場面で、はっきりと個別に言葉かけし、身体介助をしながら行動を促した。(靴を脱ぐ、椅子を持ってくる等)毎回繰り返して教えてきた行動については3か月くらいで行動パターンを学んできた。次には、指さしによる指示に気づかせることをねらいにした。
・2年目の終了時には、日常生活の流れにそった指示であれば、ほぼ言葉かけだけで理解できるようになった。
・Y君は偏食が激しく、基本的な食事行動もできていなかった。最初は意外に手がかからなかったが、デイケアに慣れてきた頃になって、食事の時間になると、食事用ワゴンを見ただけで大泣きするようになった。何が原因かわからなかった。治療者と2人だけで、別室で、Y君の好きなドーナツとゼリーを自由に食べさせたところ、立ち歩きながらも食べるようになった。徐々に他の菓子パンも食べるようになり、自分勝手に食べた後は、みんなと一緒の部屋に入って、弁当の好きなおかずだけ取って食べられるようになった。その後は、スモールステップで改善させることができた。卒院時には、(信じられないほど)行儀よく食事できるようになった。
・身辺自立の技能に関しては、家庭での的確な母親の指導との連携で徐々に獲得することができた。
⑺対人意識を育てる
・Y君の好きなトランポリンを通して、治療者との身体接触(手をとる、抱く、揺らす、放り投げる、震動させる等)を喜んだ。治療者が何をしてくれるか期待するようになった。
・ワゴン車、抱っこ(ぐるぐる回し)を喜ぶようになった。人の手を引いて喜ぶようになった。それを利用して“ちょうだい”の手のポーズで要求することを教えたたところ、要求を実現するためには何らかの行動をしなければならないことを学んだ。
・その後、何かをしてほしい時(お菓子が欲しい、教材を取って欲しい、部屋から出たい、ブランコに乗りたい等)、治療者に対して“ちょうだい”の仕草をして要求するようになった。
・次に、対象を指さして要求することを教えたところ、指さしの形は学んだが、指さしの意味に気づくことはできなかった。
・この頃から、禁止の言葉かけで行動の抑制ができるようになった。(部屋から飛び出す、絵の具を口に入れる等の時)2年目の終わり頃には、治療者の視線や動きを見て、禁止されそうなことをやめることもできるようになった。家庭では、帰宅した父親の顔を見て、嬉しそうな顔をしたり、母親が外出すると泣き出すたりすることも見られるようになった。
日常生活の中での言葉かけによる行動がスムーズになり、本人からの要求表現も出てきてコミュニケーションがとりやすくなった。
・2年目は、人への関心が、人をつねったり噛んでみたりして反応を楽しむ行動として現れた。そのことを禁止すると、さらに増強した。適宜無視することと叱るときにはきちんと叱ること、他に楽しむことを経験させるように留意すると減少させることができた。
⑻治療効果と今後の課題
・日常生活における言葉かけの理解、Y君なりの表現方法でコミュニケーションができるようになった。
・家族への愛着も示すようになった。
・基本的な適応行動が形成された。
・問題点:①異食や飛び出しへの管理が不可欠である。②集団場面で行動をコントロールするには個別の言葉かけと介助が必要である。③シンボル表象能力を獲得させることができなかった。
・今後の課題:①身のまわりの物の名称に気づくようにすること、②ジェスチャーや簡単なサインに気づき、コミュニケーション手段として用いることができるようにすること,③集団場面での適応行動を身につけること、④Y君なりの楽しみが増えること、が必要だと思われる。
*「発達質問紙」の経時的変化(数字はDA:推定 4歳→6歳)
〈運動〉40→72 〈生活習慣〉36→65 〈探索〉36→38 
〈言語〉29→38 〈社会性〉24→29
*「StageⅠ-2」の発達課題達成度(終了時「確実にできる」課題)
〈動作模倣〉「手合わせ・足合わせ」:〈指さし〉「指さしの理解」:
〈弁別・分類〉「実物の分類」:〈マッチング〉「同じ物どうしで」「形の違うもので」
〈日常での言葉かけの理解〉
・開始時にできていた課題:「目と手の協応」「隠された物を探す」「手段と目的の分化」「物の機能的扱い」
・達成度(達成した課題数÷StageⅠ-2の〈取り組んだ〉課題数)50%(ただし開始時にできていた課題を除くと32%)


【感想】
 以上が「症例1」の事例である。はたしてY君は3年間の「東大デイケア」の「認知発達治療」を中心とした「治療教育」によって、どのような「変化・成長」を遂げたのだろうか。「発達質問紙」の経時的変化を見ると、〈運動〉と〈生活習慣〉の伸びが著しく、「ほぼ年齢並み」になるまでめざましく成長している。しかし、〈探索〉〈言語〉〈社会性〉の変化はすくなく、まだ3歳レベルにとどまっている、ということがわかる。「太田のStage評価」でも、StageⅠ-2の段階を超えることはできなかった。また、当初の親の主訴「言葉が出てこない」「言葉をかけても応じない」「偏食が激しい」「何でも口に入れてしまう」のうち、改善できたのは「言葉をかけても応じない」くらいであろうか。著者らが、この症例をとりあげた理由は、おそらく「認知発達的には重度の遅滞を示している」子どもでも、(認知学習の)プログラムに沿っって「根気よく」働きかければ「物や人への認識が高まり、言葉かけによる理解と行動のコントロールができる」ようになることを示したかったためであろう。だがしかし、私の独断と偏見によれば、その企図は成功していない。なぜなら、Y君の「認知発達」はStageⅠ-2の段階にとどまっているにもかかわらず、〈運動〉〈生活習慣〉は「ほぼ年齢並み」にまで《成長》してしまったからである。つまり、Y君は「Stage別の認知発達治療」(の成果)にかかわりなく、運動能力や基本的生活習慣の技能を獲得したということである。しかし、卒院時のY君の「状態像」は、判然としない。通院開始時、①名前を呼んでも振り向かない、②多動で落ち着きがない、③おもちゃには興味を示さず、口に入れてしまう、④人への要求は乏しく、まれに手を引く、⑤有意語はない、⑥排尿便が自立していない、⑦偏食が激しく、立ち歩きや手づかみが目立つ、⑧着脱は介助が必要、⑨働きかけによってぐずり泣きや頭つきを起こしやすい、⑩何でも口に入れてしまいお菓子への執着が強い、といった「状態」の中で、改善できたのは④⑥⑦⑨ぐらいであろうか、と想像する他はないのだが・・・。
 再び、私の独断と偏見によれば、「東大デイケア」の「治療教育」の中でY君に効果をもたらした「働きかけ」とは、《自由にさせたこと》である。例証①認知発達学習の場面で着席行動ができなかったとき「動き回っているY君のところに教材を置き、自由にさわって楽しむこと教材への興味を引き出し・・・」、②食事の時間に大泣きしたとき「治療者と2人だけで別室で、Y君の好きなドーナツとゼリーを自由に食べさせたところ・・・」③Y君の大好きなトランポリンを通して、治療者が様々な身体接触をすると、「可愛い笑顔を見せて喜んだ」。ワゴン車、抱っこのぐるぐる回しを喜ぶようになり、「その後、人の手を引いて要求するようになった」。いずれも「認知発達学習」とは無縁の場面で、Y君の「変化」が現れていることに、注目しなければならない。そのような、治療者との《自由な》《楽しみを共有》できる「個別」のかかわりの中で、Y君は「変化・成長」していった、と私は確信する。 
 さらに言えば、Y君の「ぐずり泣き」や「大泣き」を軽視してはならない。それは、間違いなく「感情」「意思」の表現であり、コミュニケーションの手段としての「発声」「発語」の源(可能性)だからである。また、著者は「働きかけによってぐずり泣きや頭つきを起こしやすい」食事の時間の大泣きを「何が原因なのかわからず」と述べているが、それを「異常行動」と断じる前に、Y君が何を拒否しているのか、どんな不安があるのか、Y君の「異常行動」を引き起こしている原因は、治療者の側(「働きかけ方」あるいは「働きかける」という方法自体)にあるのではないか、といった反省が必要ではないだろうか、と私は思う。
 それにしても、「言葉がでない」という親の主訴、「有意味語はない」という治療開始時の実態が、2年後(卒院時に)どのように「変化」したのか、「発声」「発語」に関して、まったく記述されていないのは何故か、私には理解できなかった。(2014.2.8)