梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「自閉症治療の到達点」(太田昌孝・永井洋子編著・日本文化科学社・1992年)精読(18)・Ⅴ章 Stage別の認知発達治療・3

【要約】
【3.StageⅡの治療教育】
・StageⅡは、Piagetの感覚運動期からシンボル表象期への移行の時期にあたり、健常児の1歳半から2歳になるまでぐらいに相応する。
1)StageⅡの状態像
・言葉(1~2、3語文)がある子どもが多くなる。しかし、その使用頻度は乏しく、言葉数も限られたものである。「~ちょうだい」「~持ってきて」の指示でそのものを取ってこられる。まだ、状況に依存しがちであり、言葉かけの内容と関係なく、その場面でいつもしている行動をとってしまうこともある。
・遊びはひとりで物を並べたり、執着する物での遊びに没頭している姿が目立つ。機能的なおもちゃ遊びができるが、ミニカーを押す、人形に食べさせる、寝かせるなど単一のシェマの遊びである。まだ感覚遊びが多い。
・描画は、ほとんど描けないか、簡単な絵が描けるようになる。
・対人関係では、人への要求時に言葉または指さしなどの手段を用いることができるようになり、何らかの形で関心を示す行動が見られるようになるが、ひとりでいることを好んでいることが多い。
・情緒・行動面では、生理的なリズムの乱れは少なくなる。こだわりや奇妙な物への執着が目立ち始める。日課や状況、パターンの急激な変化に対してとまどいやパニックを起こしやすい。
2)StageⅡの治療教育の目標
⑴第1次元の目標:シンボル表象能力の芽生えを確実にすること
・まず、物に名前があることの基礎を確実にすることが重要である。名詞の理解を確実にし、広げるとともに、その物の属性(形、色、用途など)を抜き出し、言葉で認識できるようにすることなどが重点になる。
・さらに、視覚ー運動協応を促すこと、対象指示活動を十分にすること、イメージの世界の芽生えを促すことも大切な目標になる。
・対人関係では、身近な大人との関係を確実なものとすると同時に、子どもどうしの関係にも慣れることを目標とする。
⑵第2次元の目標:適応行動の獲得
・生活習慣の個々のスキルを獲得するとともに、よい日常生活のパターンを形成することである。
・ことばの理解を広げ、きまりやこだわりがあっても言葉かけなどによって変更ができるようにして、徐々に適応行動を広げることである。
・集団生活への適応面では、大人の介助があれば集団活動に大きくはずれないで参加できることを目標に置く。人とのコミュニケーション技能の基礎をつくるために、要求手段を有効に使用できることも重要な課題である。
⑶第3次元の目標:異常行動の予防と減弱
・情動の不安定さ、自傷行為、睡眠障害など、生理的な基盤に影響される異常行動もしばしば認められるし、こだわりによるパニックも問題になる。基本的には、認知発達と適応行動を獲得する中で、予防と減弱を図るが、激しい場合には、薬物治療を含めて治療の方針と治療教育の配分を検討する。
3)StageⅡの認知発達学習
⑴認知学習で重点となる発達課題
[1]視覚ー運動協応や随意運動の発達を促す(構成)[3]物に名前のあることの理解を確実にする(色・形の抽出、色・形の統合と分解、名詞理解を確実にする、用途による物の理解)[5]イメージの世界の芽生えを確実にする(再現遊びと簡単な見立て遊び)[6](要求手段の有効な使用、小集団の中で行動できる)
①個別の認知学習のねらい
・第1に、“物に名前のあることの理解”を確実にすることである。物のいろいろな属性を取り出し、言葉で認識できるようにする。物には色や形のあることに気づく。名詞だけでなく、用途でもそのものを理解できるようにする。言葉で2つの物がとれる、などを具体的なねらいとする。
・第2に、物と物との関係の概念の基礎をつくることである。お茶碗と箸、飲み物とコップ、ノートと鉛筆など、近い関係にある“近接”課題で理解を促していく。
・第3に、距離のある指さしの理解と、指さしで応答する課題にも取り組む。
・第4に、見本と同じように形をつくる“構成”課題、動作模倣として、指を折っての微細な運動や、右手と左手、上肢と下肢で形の違う模倣をする課題などに取り組む。
・第5に、要求手段の有効な使用、小集団の中で行動できることを促していく。
②グループ学習のねらい
a)数人の小集団の中で着席したり、順番を待つなどの適応行動が、大人の介助のもとにできること
b)他児がやっているのを見て模倣したり、他児への関心を高めるようにすること
c)音楽に合わせて皆で体操をしたり、簡単な遊戯などを楽しむことによって、情緒の安定と情動の発散を図ること、などをねらいとする。
⑵認知学習のプログラム
①個別学習プログラム
・1回の学習セッションを30分くらいの学習プログラムの例
1.動作模倣(向かい合って粗大、微細などの動作を模倣させる)
2.身体部位の名称(「~はどこ?」と質問し、指さしでの応答を促す)
3.構成(ひも通し:見本を作って見せ、同じように通させる)
4.動作語の理解(「~しているのはどれ?」と尋ね、絵カードを取らせる)
5.同じの理解(ペアになっているカードを見せ「同じのちょうだい」と言って応答を促す)
6.用途による物の理解(「~するものちょうだい」と言って、実物を取らせる)
7.色・形の分類(“色・形の仲間集め”色の分類、形の分類をする)
*ねらいとする課題がまだ難しすぎると思われる場合には、課題のレベルを下げてスモールステップを設定するか、それでも難しい場合には早めに切り上げて、次の課題に移行する。最後は、やさしい課題で終わるようにし、達成感を持たせ、次回の学習の意欲につなげていく。
②グループ学習のプログラム
1.リズム遊び(動作を模倣させる:「動物行進曲」)
2.歌でお名前呼び(友だちの名前に気づく:名前を呼ばれたら手をあげる)
3.椅子取りゲーム(まわりの動きを見て行動する、合図に気づく:笛などの合図)
4.運動サーキット(運動スキルの獲得、順番を待つ:マット、平均台)
5.御用学習(言われた物を取ってくる:離れた所にある実物を持ってくる)
⑶認知学習のすすめ方の留意点
①治療者が課題のねらいを意識する
・子どもは課題の意味に気づかずに、行動のパターンだけを学んでしまう傾向が強い。治療しゃは、課題のねらいが達成できたかを常に意識しつつ認知学習に取り組む。
②できない課題は早めに切り上げる。
・やさしい課題と、引き上げ課題とを柔軟に組み込んでいくことが大切である。
③机上の学習だけでなく、学習形態に変化をつける。
・着席していることが困難な子どもが多い。子どもの注意を持続するためのプログラムを工夫する。
④執着の強すぎる教材は避ける。
・執着が強すぎる教材だと、治療者の指示が入らなくなる。
⑷動機づけを高めるために
①好きな物で興味を引き出す
②身体接触でほめる
③課題の正否にかかわらず努力をほめる
④ごほうびを期待して頑張らせる
4)対人・コミュニケーション能力を豊かに
・StageⅡの子どもは、何らかのかたちで人との接触を求めることもみられるようになる。(誰かと楽しい経験をして、その後にその人を見ると同じことを要求する、気に入った友だち顔をのぞき込んだり抱きついたりする。一方で、人を押したり、つねったりすることもある)
・StageⅡでのねらいは、芽生えてきた対人・コミュニケーションの基礎を確実にし、適切な方向に育てることである。
①担当者が子どもの要求に十分に応じること、楽しい経験を共有することを通して、対人関係の基礎を確実なものにする。遊具、ボール、プラレール、粘土などでの楽しいかかわりを増やすことによって、もっと遊びたいという気持ちを引き出す。その際に、要求手段の出し方を教える。また、遊具やおもちゃの使い方はステップを踏んで教えていく。
②これらの関係を担当者以外の治療者にも広げ、楽しめる遊びの種類を増やす。
③子どもどうしの関係に慣れるようにする。輪になって座ったり、手をつないだりして、対人意識を育てていく。人を押したりつねったりする不適切な行動は、適切なかかわり方を具体的に教えることによって修正する。
5)異常行動・不適応行動への対処のしかた
 このStageの子どもは、興味の範囲は狭く、物事の理解は一義的で、日常の行動はパターンかしている。日常の物の位置や物事の手順へのこだわりが強く、それが壊されたときは強い不安と混乱のために激しいパニックを起こす。これらの行動は、このStageの認知構造に強く依存していると考えられる。また、常同行動(手をバタバタさせる、斜めに見つめるなど)や情動の不安定さ(意味もなく泣いたり笑ったりする)、自傷行為も目立つ。
 治療は、基本的には認知発達を促し、適応行動を身につけることにより予防と減弱を図る。以下は、そのポイントである。
⑴生活のリズムを整える。(StageⅠと同じ)
⑵適度に情動の発散を図る。(StageⅠと同じ)
⑶視覚的な手がかりと声かけで事前の納得を得る。(物事の手順やプログラムの変化については、絵、写真、関係する物などの視覚的な手がかりを示しつつ声かけをして理解を促す)
⑷対象物に事前に注意を向けさせる。(特定の音、物への過敏な反応によるパニックは、事前に子どもの注意を向けさせることで減弱することもできる。
⑸パニックが起こってしまったら冷静に対処する。
⑹社会的に容認できない行動ははっきりと禁止する。
⑺薬物治療の検討を行ったほうがよいこともある。(パニック、自傷行為、睡眠障害)
6)生活全般の中での発達課題
⑴声かけで日常生活での適応行動がとれる。
⑵1つのことなら言葉の指示で用事がたせる。
⑶好きな絵本で興味を広げ、対人関係を育てる。(大人とのコミュニケーションを楽しむ)
⑷家族や慣れた大人との安定した関係をつくる。(安心・安定など基本的な関係をつけつつ、要求行動や情緒の発達を促していく)
7)健常児集団での目標と接し方
・保育園や幼稚園での目標は、大枠のプログラムにそって行動できることを目指す。
(介助者の声かけと身体的な援助が必要である。徐々に援助を減らし、個別の声かけで動けるようにする)
・園の子どもたちからの誘いかけに応じて、手をつないだり、輪の中に入ったりして他児といることが楽しいという経験をすることにより、対人関係を豊かにすることである。介助者は、直接的な手出しは避けて、背後からそれとなく援助するように心がける。
(相沢幸子・仙田周作)


【感想】 
ここまでの記述を読んで、私が想起するのは(1980年代から2000年代まで勤務した当時の)知的障害養護学校小学部の「授業風景」である。子どもたちの約30%は「自閉症」と診断されていた。カリキュラム(学習プログラム)は「日常生活の指導」「遊びの指導」「個別課題学習」(養護・訓練、後の自立活動)、「ことば・かず」「体育」(リズム運動)「生活」など、整然と準備され、子どもたちは、それぞれの発達段階に応じて、「個別」に、あるいは「集団」の中で、きめ細かな指導を受けていた(はずであった)が、そして、身体面・生活面での「適応技能」(スキル)は着実に獲得していったが、肝心の「知的障害」もしくは「自閉症」という状態から「脱却」することはできなかったように思う。なぜなら、(私自身も含めて)そこにいる周囲の大人たち(多くは教員)の中で、「知的障害が治る」「自閉症が治る」などと考えている者は一人もおらず、その障害の本態はそのままにして、「社会適応」(社会自立)を第一義とする目標が立てられていたからである。「知的障害を治す」「自閉症を治す」などと言うことは、論外の発想であった。
 では、「太田のStage評価」に基づく「認知発達治療」はどうであろうか。単純に言えば、自閉症(もしくは行動的症候群)の原因(本態)は「脳の器質的・機能的障害」による「認知発達の障害」(シンボル表象機能の障害)である。したがって、その障害に焦点を当てた「認知発達治療」を行えば、自閉症(の本態は治るとは言わないまで)改善され、対人関係、コミュニケーション、異常行動など様々な「問題」を軽減・解消できるだろう、という仮説である。しかし、その仮説は「検証」される必要はない。なぜなら、自閉症は「脳の異常」であり、その本態はまだ十分に解明されていないからである。といった「堂々巡り」(負の循環)が蔓延しているように(私には)思われる。
 「Ⅴ章 Stage別の認知発達治療」をここまで読んで、私の期待は徐々に失われつつある。なぜなら、StageⅠ、Ⅱの内容は、すでに私自身が「経験済み」(養護学校小学部の状況と「瓜二つ」もしくは「五十歩百歩」)であり、そのことで、自閉症の「本態」が改善された例が(寡聞にして)見当たらないからである。また、著者らは、「Ⅱ章 自閉症の治療と治療教育」の【はじめに】で、「(初期の)受容的遊戯療法は、自閉症の本質的治療になり得ないことがはっきりと認められるようになった。それに代わり、自閉症の治療の基本は、子どもに積極的に働きかける治療教育と薬物療法へと変化してきている。さらに治療教育は、異常行動の改善や適応行動の獲得のみならず、認知と情緒の発達を促す方法にすすんできている。そして、認知発達的な見方から、子どもを受け入れ、行動の意味を理解し、行動の変容を図ろうとする方向に歩み出してきている」と述べているが、「受容的遊戯療法」が「自閉症の本質的治療になり得ないこと」を、どこまで実践的に証明できたのだろうか、またその限界は何かについて、どこまで究明できたのだろうか。「積極的に働きかける治療教育」は、いわば「受容的遊戯療法」とは正反対の「対処法」」である。自閉症の治療は「遊び」ではなく「学習」(教育)で、ということを提唱していることに他ならないが、はたして、(認知)発達レベルが3歳未満の子どもたちに「学習療法」(なるもの)が有効であろうか。「Stage別の認知発達治療」(積極的に働きかける治療教育)のⅠ、Ⅱを見る限りでは、その「認知学習プログラム」は、「学習」形態をとらなくても、「遊戯療法」の中で(も)十分に「展開可能」である、と私は思う。言うまでもなく3歳未満の「健常児」は、日々の生活、遊びの中で「認知学習プログラム」に相応する学習を(自発的に、自由奔放に)行っている。それを「自閉症児」は、なにゆえ、日々の生活、遊びから切り離された、(非日常的な)「学習場面」(個別学習・グループ学習)で(治療者に「積極的に働きかけながら」行わなければならないのだろうか。なるほど「受容的遊戯療法」には「(認知)発達的な観点」が欠けていたかもしれない。しかし、3歳未満の子どもたちが、日々の「遊び」や「生活」の中で「学習」し、「認知発達」を遂げていくことが自明である以上、自閉症児の「治療教育」もまた、日常的な場面の中で、治療者に「自然に」働きかけられながら、行われなければならない、と私は思う。さらにまた、著者らは、「個別学習プログラム」の「指導のしかた」の中で、頻繁に「促す」という言葉を使っている。(Ⅱ章・まえがきの)「さらに治療教育は、異常行動の改善や適応行動の獲得のみならず、認知と情緒の発達を促す方法にすすんできている」という文言からも、「促す」ことに重点がおかれていることは明らかである。しかし、「認知と情緒」は、《促されて》発達するものではない、と私は思う。当然のことながら、「促されて」できるようになった技能は、「その場限り」で終わることが多く、日常の生活場面に「般化」しない。そこで著者らは、あらためて「生活全般の中での発達課題」を設定しなければならなくなる、といった「二重手間」のプログラムを余儀なくされるのではないだろうか。
 私の独断と偏見によれば、自閉症児の治療教育は、彼らの「生活全般の中で」「恒常的に」行われなければならない。その指導者は、家族(主として両親)である。治療者は、その家族を支え、家族が「自然に」「有効的に」指導が行えるように援助する。場合によっては、「家庭訪問」して、その子どもの「実態」「問題点」を「観察」し、「治療プログラム」を作成する。つまり、治療者の役割は、自閉症児を「直接」治療するのではなく、自閉症児をとりまく周囲の大人たち(主として家族)が、彼の当面する問題(対人関係、コミュニケーション、異常行動など)を解決できるように援助することに、重点が置かれなければならない。著者らは、かつての(20年近く前)「行動療法」をふりかえり「子どもは教え込んだ課題の行動自体は学習したが、課題の意味は学ばなかった。また、(中略)学習した行動を忘れてしまったり、消去したはずの行動が違う形で現れたりことなどを(中略)経験してきた」(Ⅲ章・はじめに)と述懐しているが、その「行動療法」も、「Stage別の認知発達治療」も、子どもたちを「一堂に」集め、治療者が(一方的に)「積極的に働きかける、指導形態」であるという点では、まったく変わっていないのである。
 次節を読み進めていく上で、私の疑問は解決できるだろうか。(2014.1.29)