梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「自閉症治療の到達点」(太田昌孝・永井洋子編著・日本文化科学社・1992年)精読(11)・Ⅲ章 「太田のStage」評価法の開発・1

【要約】
《Ⅲ章 「太田Stage」評価法の開発》
【はじめに】
・東大の精神神経科で25年の歴史を持つ小児科デイケアにおいても、20年近く前には行動療法を取り入れた治療が行われた。(太田,1971;徐,1975)。しかし、子どもは教え込んだ課題の行動自体は学習したが、課題の意味は学ばなかった。我々は、目標とする行動についての短期の効果を科学的に数値で示すことはできたが、自閉症児の長期的な発達から見ての治療効果を上げることができなかった。
・その頃より、Rutter(1967,1968)の認知・言語障害説に代表されるような世界的な研究の流れにより、自閉症の行動異常の背後には重篤な認知・情緒の障害があることが明らかになってきた。
・東大精神神経科小児部でも、新しい知見を踏まえた認知障害に関する臨床研究が始まり、自閉症児の認知発達の特徴を明らかにするとともに、治療の試みの検討が始まった。Piagetなどの発達理論にそった表象能力の発達段階分けによる治療教育が有用性に高いことを明らかにするとともに、治療の実践の中で確認してきた。後に、その発達段階分けの評価法を提唱者の名前に因んで“太田のStage”と命名した。
・この章では、自閉症の特徴と障害をLDT(Language Decoding Tast:言語解読能力テスト)との関係で述べる。さらに、自閉症状との関連を示す。その後に、“太田のStage”についての臨床研究と臨床的有用性について述べる。
【1.自閉症の認知発達とその障害】
・自閉症は行動の特徴で定義されているとはいえ、その症状は個人個人によって大きく違う。自閉症の行動は、子どもの年齢と発達の段階によって特徴が異なる。ここでは、自閉症児の認知発達の特徴を明らかにするとともに、どの認知発達の段階でどのような行動の特徴が求められるかについて述べる。
1)シンボル表象期の壁
・一般の子どもにおいては、シンボル機能は1歳半から2歳までの間に出現し、言語、遅延模倣、遊び、描画、イメージの5つの側面で観察できるとされている(Piaget,1969)。
それ以前の時期では、子どもの認識は、経験に依存した知能であり、言語のように記号に置き換えたシンボルで物事を思考することはできない。
・自閉症児は発達の過程の中で、どのようにシンボル機能を獲得していくのであろうか。
我々の目標は、感覚運動期にとどまっている自閉症児が示す行動の特徴を知り、シンボル機能を獲得した子どもたちとどのように違ってくるのかを明らかにすることである。そこで、我々の研究(永井ら,1984b.1985a)を以下の紹介しつつ、自閉症児の初期の認知発達の特徴について述べる。
⑴自閉症幼児の認知発達
・対象児は、DSM-Ⅲの診断基準を満たす41名の幼児であった。
・その中で、どのくらいの子どもがシンボル機能を獲得しているかを知るために、LDT-1(子どもに絵カードを見せて物の名称をたずね、子どもが指さして答える)を実施した。このテストに応じられなかったり、6問中3つ以下の正答の場合は、単語の理解のない群(StageⅠに該当)、4つ以上に正答した場合は単語の理解のある群(StageⅡに該当)とした。結果は、単語の理解のない群が19名、単語の理解のある群が22名であった。年齢は2つのグループでよくつり合っていた。対象児の田中ビネーテストの結果は、テストに応じられない子どもから正常知能まで広い範囲に散らばっていた。単語の理解のない群では、テストに応じられない子が4名、その他15名の精神年齢(MA)の平均は19か月(1歳7か月)であり、ほとんど全員が24か月(2歳)以下のMAであった。これに対して、単語の理解のあるグループでは全員がテストに応じることができ、平均MAは37か月(3歳1か月)であり、ほとんど全員が24か月(2歳)以上のMAを示していた。また母親の評価した乳幼児精神発達質問紙で見ても、言語性の発達年齢では24か月(2歳)を境に分けられ、ほぼ同様の結果を示していた。単語の理解のある子どもで24か月(2歳)以下のDAを示したのは8名、いずれも言葉の表出のない子どもであった。
・LDT-1による評価法は、認知発達の点でかなり明確に2つのグループを分けることができた。
⑵単語の理解のない自閉症児の認知構造
・日常療育の中での観察により、シンボル表象機能の出現を評価した結果は、以下の通りである。単語の理解のない群では、大部分の子どもたちが有意味語を持たず、身振りによる表示もほとんどなかった。遊びは、物を振る、物をなめる、物をとんとんたたくなど感覚刺激的遊びに固執していた。描画は2名を除いて全員が形のある絵は描けなかった。これらの結果から、単語の理解のない群は2名を除いて全員が、無シンボル期または感覚運動期に相応する認知構造であることがうかがえた。
・一般の子どもたちでは、1歳半から2歳の間にシンボル機能を獲得し、感覚運動期からシンボル表象期へと移行するが、この移行には非連続性があることが多くの学者によって指摘されている(Piaget & Inhelder,1966;Vygotsky,1978;Emde & Harmon,1984)。ここでの我々の研究の結果から、自閉症における認知発達は、感覚運動期からシンボル表象期への、その非連続点が発達の越え難い壁として存在していることが強く推論される。この点についてはWingら(1977)の指摘とも一致している。
・幼児期の多くの自閉症児はシンボル機能の獲得に難しさがあり、その壁を乗り越えられずに感覚運動期にとどまっていること、シンボル象徴機能の発達の障害が自閉症の認知の発達の重篤な障害として現れていることが指摘されよう。
⑶クレーン現象の発達的意味
・幼児期の自閉症児では、目的のところに大人の手首をつかんで持っていって要求を達成するクレーン現象が目立つ。
・対象児41名のうち11名にクレーン現象が目立って観察された。この11名は全員が単語の理解のないグループに属し、クレーン現象が人への主な要求の手段となっていた。単語の理解のないグループのうち、1名は「何らかの身体接触」、5名は「指さし」、2名は「指さし+単語」であった。これに対して、単語の理解のある子どもたちは、主な要求手段として7割以上(16名)が「言葉」を用いており、その他は「指さし」2名、「指さし+単語」1名、「指さし+動作表示」2名、クレーン現象1名(ただし、まれに)という結果であった。
・自閉症児によく見られるクレーン現象は、シンボル機能を獲得していない感覚運動期にかなり特異的に見られる現象であることが推察できる。
・単語の理解のないグループでは、クレーン現象を主に用いている12名と、指さしあるいは単語を用いている7名とに分けられた。この子どもたちの平均年齢は、クレーン群では66か月(5歳6か月)、非クレーン群66.6か月(5歳7か月)で、差がなかった。
この2つのグループに認知発達的な相違があるのであろうか。その疑問を解くために、多くの側面からシンボル機能の出現の芽を調べて比較してみた。その結果、指さしあるいは言葉を要求手段としているグループでは、身振り模倣が7名中6名に認められ、(感覚遊び以外の)遊びや絵本への興味が見られていた。クレーン現象を要求手段とするグループには、身振り模倣はほとんど認められず、大半が感覚遊びになってしまっていた。つまり、クレーン現象のグループでは、どの側面にもシンボル機能の芽生えが認められなかった。また、知能テストの結果で見ると、テストにまったく応じられなかった子どもを含めて、18か月(1歳6か月)以下の精神年齢の者全員がクレーン現象の子どもたちであった。
・自閉症児の示すクレーン現象は、人への要求手段が多様化しておらず、感覚運動期の中でもより認知発達の低い段階にあり、指さしの獲得以前の段階であることを示していると言えよう。一般の子どもの発達では、クレーン現象は感覚運動期の第4期、月齢では8か月から12か月くらいの間に現れるとされている(Piaget,1966)。クレーン現象を主な手段としている自閉症児たちは、この時期に相応する認知構造であることが推測される。
⑷認知発達と自閉症状
・同じ対象児について、シンボル表象機能の獲得と自閉症状との関連について考察する。母親が評価した「自閉症行動質問表」により、社会性に関する項目を比較すると、視線を避ける、孤立、他の子を無視するなど対人関係の5つの項目では、その行動が「ある」と答えた母親の割合は、子どもに単語の理解の有る無しにかかわらず、差がみられなかった。しかし、それらの行動の程度が“目立つ”と評価した母親の割合は、単語の理解のない群のほうに多く、また常同行動などもこの群に多く訴えが認められた。これらの結果は認知発達の水準によって自閉症状が異なることを示している。
・認知発達の水準が低い子どもほど人への関心は乏しく、声かけに反応せず、常同行動が目立つなどの症状が強く認められている。単純な常同行動が精神遅滞の重い自閉症児に多いことはRutter & Bartak(1976)によっても指摘されている。
⑸課題と自閉症状
・次に、自閉症状と治療者の働きかけの課題との関係を見てみる。
・単語の理解のない子どもたちは、呈示された絵カードを無視する、チラッと見て目をそらす、絵カードをなめる、ヒラヒラと振って感覚遊びにふけるなどの行動が目立った。これに対して、単語の理解のある子どもたちは、絵カードをきちんと見て指さしていた。しかし、高すぎる課題になった途端に、視線回避、エコラリーなどが見られ、さらに課題をやらせようとすると、コマーシャルの繰り返し、訳のわからない独語、立ち歩き、子どもによっては自傷行為などが観察された。これらのことは、外界との相互交渉によって自閉症状が変化することを示している。
・本人の認知発達から見て不適切な働きかけは、自閉症状を強め不適応行動を増加させる要因になること、治療教育を行う際に、適切な課題を選択することの重要性をさし示していると言えよう。
⑹まとめ
・自閉症児は認知発達が高くなるに従って、人への関心、声かけへの反応は出現してくるが、いずれの認知水準であっても社会性の障害が強く現れている。「乳幼児精神発達質問紙」で見ると、単語の理解のある群でも、社会性発達指数は、単語の理解のない子どもたちと同様に低く、2つの群に差は認められない。
・自閉症は認知発達的には極めて低い段階にあるが、粗大な運動発達の点ではそれほど大きな遅れは認められない。また、シンボル機能のない子どもたちは、声かけへの反応は乏しいが、自分が一度体験していたことをよく覚えていたり、大人のやるのを見て機械の操作などをすぐに覚えてしまうなど、その認知水準ではあるが断片的に高い機能がしばしば認められる。これらのことから脳の機能障害との関連を推定すれば、障害は脳の機能全般には及んでおらず、比較的良好に保たれている部分があることを示していると言える。言葉の発達の遅滞、視線の合わなさ、同一性の保持、多動などの幼児期の自閉症児の行動特徴は、運動発達が比較的良好であること、一方で、認知発達に重篤な遅れがあり、しかも断片的に高い部分を残していることなど、発達的な不均衡さが一因となって形成されると考えることができる。


【感想】
著者は【はじめに】で、25年にわたる自閉症治療の経験をふりかえり、当初の5年間は「行動療法」を行った、と述べている。その結果は、目標とする行動についての「短期の効果」を科学的に数値で示すことはできたが、長期的な発達から見ての治療効果を上げることはできなかった。そこで、自閉症の障害を発達的側面から捉えようとする方向をめざし、認知障害に関する臨床研究に着手した。この章では、まず自閉症の表象機能の発達を認知発達の面から捉え、その特徴と障害をLDT(言語解読能力テスト)との関係で述べ、さらに、認知発達と行動(自閉症状)との関連で示す、ということであった。
 その結果は(私なりに要約すると)以下の通りである。
1.41名の自閉症幼児に、LDT-1(絵カードを見せ物の名称をたずねて指さしで答えさせる・6問)を実施したところ、正答率50%以下が19名であった。その19名の精神年齢(田中ビネーテスト)の平均は1歳7か月であり、全員が2歳以下であった(単語の理解のない群・A)。正答率50以上は22名であった。その精神年齢の平均は3歳1か月であり、全員が2歳以上であった(単語の理解のある群・B)。母親の評価した「乳幼児精神発達質問紙」でも、A群とB群は2歳を境に分けられ、ほぼ同様の結果であった。
2.日常療育の中での観察により、シンボル表象機能の出現を評価した結果、A群では、有意味語、身振り表示がなく、感覚刺激的な遊びに固執し、2名を除いて描画ができなかった。したがって、17名は無シンボル期(感覚運動期)に相応する認知構造である。
3.41名のうち12名にクレーン現象が観察された。(クレーン群)12名は全員がA群に属し、それが人への要求手段になっていた。A群の中で7名は指さしや単語を要求手段として使っていた。(非クレーン群)クレーン群には、身振り模倣はなく感覚遊びが大半であったが、非クレーン群には身振り模倣が認められ、おもちゃや絵本への興味が見られた。クレーン群の精神年齢は1歳6か月以下であり、一般の子どもの8~12か月くらいの時期に相応する認知構造であることが推測される。
4.母親が評定した「自閉症行動質問票」の社会性の対人関係に関する5つの項目では、「ある」と答えた母親の割合はA群とB群に差が見られなかった。しかし「目立つ」と評価した母親の割合はA群の方が高かった。また、常同行動もA群の方が多かった。認知発達の水準によって自閉症状が異なることを示している。認知発達の水準が低い子どもほど、症状が強く認められている。
5.A群に比べてB群は「課題」に対してよく集中するが、高すぎる課題になった途端に自閉症状が顕著になった。不適切な働きかけは、自閉症状を強め不適応行動を増加させる要因になる。
6.自閉症児は、いずれの認知の水準であっても、社会性の障害が強く現れている。(「乳幼児精神発達質問紙」の社会発達指数はA群とB群に差はない)
7.幼児期の自閉症児の行動特徴は、運動機能が比較的良好であることと、認知発達に重篤な遅れがあり、しかも断片的に高い部分を残していることなどの発達的な不均衡さが一因となって形成されていると考えられる。


以上の7点から明らかになったことは何であろうか。自閉症の幼児の半数は「無シンボル期」の認知構造にある。しかし、半数はシンボル(有意味言語)を獲得している。その境目は、精神年齢・発達年齢の2歳レベルである。クレーン現象は「無シンボル期」にある子どもが、人への要求手段として用いる。認知発達の水準によって、自閉症状は異なる。しかし、どの水準にあっても、社会性の障害は強く現れている。要するに、それらは自閉症児に、様々なテストを行い評価した結果の「実態」に過ぎない。私が知りたいのは、そうした認知の障害が、どのようにして「自閉症状」を引きおこすかという「因果関係」である。「⑸課題と自閉症状」の節で、著者は「外界との相互交渉によって自閉症状が変化する」「本人の認知発達から見て不適切な働きかけは、自閉症状を強め不適応行動を増加させる要因になる」と述べている。また「⑹まとめ」の節では、「幼児期の自閉症児の行動特徴は(中略)発達的な不均衡さが一因となって形成される」とも述べている。要は、「不適切な働きかけ」(環境要因)か、「発達的な不均衡さ」(脳機能障害)か、という問題に絞られるが、現状では「そのいずれも該当する」という答が妥当であろう。だとすれば、臨床研究の方向として、そのエネルギーを「認知構造」の解明だけに向けるのではなく、その子どもを取りまく(生育歴をも含めた)「環境要因」にも向けなければならないのではないか、と私は強く思った。(2014.1.12)


【付記】
・著者らが対象にした自閉症児41名に見られる「能力差」は、「認知」の領域ではなく、「情意」(コミュニケーションへの意欲と、その手段の獲得)の差であることが見落とされている。例えば「自閉症児の示すクレーン現象は、人への要求手段が多様化しておらず、感覚運動期の中でもより認知発達の低い段階にあり、指さしの獲得以前の段階であることを示していると言えよう。一般の子どもの発達では、クレーン現象は感覚運動期の第4期、月齢では8か月から12か月くらいの間に現れるとされている(Piaget,1966)。クレーン現象を主な手段としている自閉症児たちは、この時期に相応する認知構造であることが推測される」と述べられおり、「人への要求手段が多様化」しない要因を「認知発達の低」さに求めているが、生後8カ月までの(親子の)コミュニケーション(情報の伝達、感情の交流)のあり方を見極めることの方が、より「現実的」ではないか。物に向かって手を伸ばす、親と一緒に対象物を見る、親の指差し行動に注目し、それを模倣する、といった行動の繰り返し(コミュニケーションの頻度)がどの程度であったかを見直すことが重要である。一般の子どもの場合、クレーン現象が現れずに指差しを始めるケースがほとんどではないだろうか。
・要するに、自閉症児と一般の子どもの違いは「認知発達」ではなく「コミュニケーション能力」(親子のかかわり方)の差であると考えるべきである。
(2016.12.8)