梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「自閉症治療の到達点」(太田昌孝・永井洋子編著・日本文化科学社・1992年)精読(5)・Ⅰ章 自閉症の概念と本態・3

【要約】
【4.自閉症の認知障害】
・自閉症の特徴的な行動(3つの必須症状)は、親の性格や養育態度により強まったり弱まったりすることもある。また、現代文明の“非人間的な”環境にも影響を受ける。それらこそが自閉症の原因とまことしやかに述べ立てる人もいる。
・確かに、自閉症児の行動がこれらの環境因に影響を受けるとはいえ、それらの要因は自閉症という障害をつくりあげる原因ではない。このことは、この間の研究や臨床経験が明らかにした重要な進歩であった。
・それでは、自閉症の原因は何だろうか。特徴的な3つの必須の行動の背後にどのような精神機能の障害があり、どのような脳の機能障害が対応しているのだろうか。このように、より本質的なものを探ることが本態研究である。この節では、認知機能のレベルにおける障害の本態について、発達的観点から述べる。
1)認知障害についての理解の変遷
⑴初期の認知障害の理解
・自閉症はKanner(1943)の報告した当初は、部分的に高い認知能力を示すことから、知的能力は障害されていないと考えられていた。その知的能力(認知能力)が発揮されないのは、自閉という症状のためであると解釈されていた。このため、知能テストをはじめとする認知テストは、能力を正しく測っていないとして、その結果については無視されてきた。
・1960年代になり、認知科学の影響も受けて、自閉症の認知機能に対する研究が始まった。それは、まず標準知能テストについて行われたが、潜在的知能の良好さという仮定に疑問が向けられるようになった。知能テストをはじめとする認知テストは自閉症においても十分な妥当性があることが明確になってきた。
⑵知能テストによる所見とその意義
・第1には、自閉症児が課題を拒否するのは情緒障害のためではなく課題ができないためであり、適切な課題を選択すると非常によく応じるということである。
・第2には、自閉症やそれに伴う症状の変化にかかわらず、長期的に見た自閉症児の知能指数(IQ)は安定しており、再現性は保たれていることである。
・第3には、言語能力の評価を含む標準的な知能テストで求めたIQを見ると、50以下が過半数以上を占め、境界知能を含めた正常範囲は10~20%程度に分布する。
・第4には、自閉症児の認知発達は不均衡であり特有なパターンを持っていることである。この特有な認知のパターンは世界の報告ともかなりの類似性をもっている。文化や人種の違いを越えて類似した認知のパターンを持つことは、自閉症における脳機能の共通の障害を表していると考えられる。
・第5には、5~6歳のときに総合的な知能テストで得られたIQは、予後を予測する重要な因子である。特定の部分的に高い能力は将来の適応とはあまり関係しないことである。
・これらの心理学的テストの結果の示すことは、自閉症では“自閉”という情緒障害のために、本来正常である認知能力が現れてこないとする仮定が崩れたことである。それと同時に、この結果は、自閉症の認知障害に対して、神経学的な方法により接近することが可能であることを示している。
・このような心理学的研究を土台に、我々は自閉症の認知発達の障害について研究し、Stageによる発達段階分けを工夫した。Stage分けの詳細については、別章で述べてあるので、この節では、以下に、ヒトの認知発達の概略を示し、Stage分けの理論に限って説明する。
2)表象機能と認知機能
・一般の子どもの表象機能と認知発達に関する理論が、自閉症児の認知発達とその障害を解明するための方法論を提供することになる。このような観点からの、自閉症の認知を発達的に解明するための発達段階の具体化が「Stage分け」である。
⑴表象機能とは
・人間は環境から入ってくる情報に対して、即、反応するわけではなく、頭の中で、その情報の意味を理解し、過去の経験と照合し、加工し、どのように自分がふるまおうかと計画する。このような一連の機能を表象機能と呼ぶことにする。つまり、表象機能とは、心の世界ということになる。しかし、表象機能という言葉を使うのは、精神の機能を脳機能との関連で捉えようとする方法論を明確にしようとする意図があるからである。
⑵認知と情意の関係
・表象機能としての心の構成要素としては、認知と情緒・意欲(情意)の2つの側面がある。昔から、精神機能を知、情、意と分けているが、認知とはその“知”にあたり物を知ることであり、情意は“情”と“意”に相当し、物を感じること、物事に対する意欲をさす。今までは、情意と認知が非常に対立して考えられてきたが、表象の世界では、認知があると同時に情意がある。情意は、知ろうとする意欲であるし、行動しようとするエネルギーである。これに対して、認知は何かに到達するための方向を示す能力である。何かをしたいという気持ちがあっても、認知による方向性がないと、行動はまとまらない。また、方向性があっても、やる意欲がなければ、その行動は達成できない。この2つは、密接した分けがたい関係を持っており、自閉症でもまったく同様のことが言える。
・認知と情緒はヒトの発達の過程で、並行して発達していく。自閉症の表象機能の発達を、認知機能の発達の観点から接近するのは、自閉症の本態にせまる上で、意義があることであろう。
3)認知発達とその節目
・ヒトの認知発達には、節目があり、その節目にさしかかったときに発達のみかけの退行や異常行動の増悪がみられたりする。自閉症などの発達障害児では、その節目がときに越えがたい壁として立ちはだかる。
・そこで、その節目を中心にして。ヒトの認知発達について、Piaget(1966,1970)の理論を中心に、述べてみよう。
・発達の時期は、生まれてから順に、無シンボル期(0歳0か月~1歳6か月)とシンボル期(1歳6か月以降)に大きく分けられる。Piagetによれば無シンボル期は、第1期から第6期までに分けられ、シンボル期は前操作期から操作期へと移っていく。前操作期は前概念的思考期と直感的思考期とに分かれており、操作期は具体的操作期と形式的操作期に分かれている。各々の移り変わりの時期が、ここでいう節目の時期に相当する。
⑴無シンボル期
・ヒトは生まれながらにして、言語を中心とするシンボル機能を持っているわけではない。ヒトは社会の中に生まれ、その中でシンボル機能を獲得していく。ヒトの子どは生後間もなくより、子どもなりに外界を認知し表象する。この時期を、無シンボル期と呼んでいる。認知機能のおよぶ範囲が直接感覚・運動が及ぶ範囲に限られていることから、感覚運動期とも言われている。この時期の知能は、直接実行の試行錯誤によるために実行的知能期とも呼ばれている。
・無シンボル期においては、因果性の認識、物の永続性の獲得および手段と目的の分化が、次々と急激に起こってくる時期がある。Piagetは、この急激な変化の過程の中で、感覚運動期の「知能の誕生」が起こるとしている。この時点が無シンボル期の質的転換期である。この移行期を「手段と目的の分化の節目」と呼ぶことができよう。
⑵シンボル表象期へ移行
・指さし行動の出現は、無シンボル期に終わりを告げる行動である。シンボル期への移行は、Piagetによれば、遅延模倣、象徴あそび、描画、イメージおよび言語の出現によって知ることができるとされている。この無シンボル期からシンボル期へ移行することにより、子どもは人生のうちで最大の発見をする。つまり、言葉があり、言葉によって物に名前が付けられることを発見する。この移行期は「名前の発見の節目」と呼ぶことができる。この時期は、年齢的には1歳半から2歳にあたる。やがて、前操作期としての前概念的思考期に突入することになる。
⑶前操作期
・この時期は、前概念思考期と直感的思考期に分けられる。前概念思考期では、シンボル活動がはっきりしとてくる。言葉で見れば、表出が増えてくるとともに、意味把握は、状況から徐々に離れて見えないものを思い浮かべることができるようになる。言語による概念化の基礎が出来上がるとともに、象徴遊びが飛躍的に発展する。          ・直感的思考期に入ると、子どもの概念化は進み、物と物との関連づけや分類の心的操作が活発に行われる。思考は直感的であり、見かけに強く影響を受ける。
・前概念思考期では、基本的な概念の形成が行われ始め、直感的思考期では、子どもにおいて概念を使った思考ができ始める。前概念思考期から直感的思考期の移行期にも節目がある。この時期を「概念の形成の節目」と呼んでおこう。そして、小学校1,2年頃の具体的操作期になると、思考は質的に異なった性質を持つことになる。
⑷操作期
・操作期の特徴は、理論的操作が可能な時期である。この時期の初期は具体的操作期と言われ、小学校の2,3年から始まるとされる。小学校の終わり頃から形式的操作期が始まり、思春期を通り青年の思考として開花する。
4)自閉症児におけるStage分け
・このような一般の子どもの認知発達の段階は、そのままでは自閉症児に適用できない。
・そこで「手段と目的の分化」(無シンボル期)「名前の発見」(シンボル表象期)「概念形成」(前操作期)の節目を参考にして、自閉症児の認知を測る「発達段階」(太田のStage)の基準を工夫した(太田、1983)
・(感覚運動期から表象的思考期(シンボル表象期)への移行については連続的であるか。飛躍的に到達するかについて議論があり、まだ結論が出ていないので)発達段階は、無シンボル期、移行期、明確なシンボル表象期の3つに大きく分けることにした。最終的に設定したStage分けは以下のとおりである。
・StageⅠ:シンボル表象能力が認められない段階。非言語性の時期であり、感覚運動期である。
・StageⅡ:不連続点が想定される移行期
・StageⅢ:前概念期
*Ⅲ-1:シンボル表象機能が明確に認められ始めた段階
*Ⅲ-2:概念形成の芽生えの段階
・StageⅣ:直感的的思考の時期
・このStageの概念は、自閉症児の重症度を測っているものでもないし、全般的な能力を代表するものでもない。ただ、自閉症の子どもが物事に対処するときの思考の方略の基本は何だろうかという立場から考えたものである。
5)特異な認知の障害を求めて
・ここでは、自閉症の認知障害の研究における問題点と方向性について述べてみよう。
⑴認知と情緒
・現在では、自閉症には認知機能と情意機能ともに障害があると考えられている。
・自閉症における認知と情意の関係は、未熟な(偏奇した)認知機能に対して、未熟な(偏奇した)情意機能が相応していると考えられる。つまり、自閉症において認知障害と情意障害をどちらか一方が他方の原因であり結果であると説明するのではなく、この2つの機能は互いに相補的であり、並行関係を有しているという認識がまず必要であろう。この2つの過程のダイナミクスを検討していく必要があると考えられる。
⑵認知発達からの接近
・発達的に見ると、自閉症の認知障害は、年齢とともに変化する。そして、認知の構造は、一人ひとり異なった発達をし、その過程で修復されたり、ますます不均衡が目立ってきたりする。この発達の過程において、自閉症を特徴づける認知の構造の異常を探求することが課題となる。
・年齢が低かったり、発達が低かったりする場合の特徴としては、感覚運動知能(知覚レベルでの知能)はほとんど障害を受けず、シンボル機能のすべてが出現してこない構造的障害があげられる。
・比較的高機能の自閉症児には、特徴的な認知の構造的障害がある。この障害は、概念形成の節目で、越えがたい困難にぶつかっているように思われる。高機能の自閉症児の多くは、失行様症状としての部分模倣が認められる(Ohta,1987)。この構造的障害はLuriaの「意味失語症」(1970,1976)に相当するものであろう。またこれは「意味論的語用論的障害」にも類似しているように思われる(Rapin,1982:Brook,1992)。
・相手の気持ちや感情を認知する過程の障害について、心の理論(theory of mind:相手の立場に立って認識することについての機構)の研究がこれにあたる(Frith,1989)。彼らの実験は、言語の理解の水準を見ているのか、心の理解を見ているのかわからないなど、多義的であるので、自閉症児に、この意味の心の理論についての認知障害があるとするには、飛躍があるように感じる。
⑶孤立的に高い認知能力
・シンボル機能に関係する概念形成の能力は極めて発達が遅滞するが、機械的な記憶能力あるいは視覚運動系の能力が孤立的に高いことがある。(カレンダーや鉄道の時刻表の丸暗記など)この不均衡さが自閉症の特有の思考の不可解さを生んでいると思われる。まわりに対する興味が限られているために、繰り返し、繰り返し記憶のリハーサルを行うため発揮されるのだと説明されている。この能力はidiot savant(白痴の天才)との関係で興味が引かれており、自閉症の認知障害の特異性を明らかにするための鍵になるかもしれない。(Treffert,1988)。
【5.自閉症の生物学的障害】
・ここでは、自閉症において、なぜ、中枢神経系の障害が想定されるかを考えてみる。
1)中枢神経系の障害の存在
・自閉症においては、臨床的脳波検査を丹念に行うと、かなり高率に脳波異常が見出される。その脳波異常は、多くは発作性異常であるのが特徴的である。また、てんかん発作が高い頻度で出現する。一般には、幼児期に起こることが圧倒的に多いが、自閉症では、前思春期、思春期になってからもかなりの頻度で出現してくるという特徴がある。脳波異常、てんかん発作は、ともに知能指数(IQ)あるいは発達指数(DQ)の低い群に有意に高い頻度で出現する。これは、自閉症における生物学的障害の関与を強く示唆する所見である(清水ら、1985)。
・これに対して、CTスキャン、MRIなどの検査では、粗大な構造的な変化は認められない場合が多いのも1つの特徴である。最近になり、小脳の異常がMRIで認められることがあり、議論を呼んでいる。
2)自閉症になりやすい疾患
・フェニールケトン尿症、先天的風疹症、点頭てんかんは、自閉症になりやすい疾患である。
・広汎性発達障害は1000人に2人未満しか起こっていないが、先天的風疹症では7%、点頭てんかんでは13%ぐらいが自閉症と診断できる。
・これらの所見も、自閉症において中枢神経系の障害の存在を示す根拠を与えており、自閉症の病因を追究する手がかりとして注目される。
3)遺伝的研究
・自閉症という疾患そのものの遺伝は考えられない。
4)生物学的障害の意義
・生理学、生化学の分野などにわたっても、自閉症の中枢神経系の障害、生物学的障害についての研究が行われており、自閉症において脳障害が存在していることを、ほとんど確実に示しているが、脳のどこに、どんなシステムに、どのような障害があるのかは明らかにしていない。
・もし、自閉症の障害の本態が(生物学的に)解明されれば、もっと明確な診断ができることになろう。


【感想】
これまでの著者の論脈を、私なりに整理すると以下の通りである。
1.自閉症児の特徴的行動は親の性格や養育態度により強まったり弱まったりすることもあり、現代文明社会の“非人間的”な環境にも影響を受けるが、それらの要因は自閉症という障害をつくりあげる原因ではない、ということがこれまでの研究や臨床経験により明らかになってきた。
2.自閉症児は、知能テストの適切な課題を選択すると、非常によく応じる。その結果、IQ50以下が過半数以上を占め、境界知能を含めた正常範囲は10~20%程度に分布する、ということがわかってきた。(自閉症では“自閉”という情緒障害のために、本来正常である認知能力が現れてこないとする仮定が崩れた)つまり、自閉症児には認知障害がある。
3.その認知障害に対して、神経心理学的な方法により接近することが可能である。
4.我々は、自閉症の認知発達の障害について研究し、Stageによる発達段階分けを工夫した。StageⅠは無シンボル期(およそ1歳半まで)であり、非言語性の感覚運動期である。StageⅡは移行期である。StageⅢ-1はシンボル表象機能が認められ始めた段階である。StageⅢ-2は概念形成の芽生えの段階である。StageⅣは直感的思考の時期である。このStageの概念は、自閉症の子どもが物事に対処するときの思考の方略の基本は何だろうかという立場から考えたものである。
5.自閉症には認知機能と情緒機能ともに障害があると考えられている。認知の発達段階と情意の発達水準に“並行性”があるという発達論の観点から見れば、自閉症における認知と情意の関係は、未熟な認知機能に対して未熟な情意機能が相応していると考えられる。
つまり、自閉症において認知障害と情意障害をどちらか一方が他方の原因であり結果であると説明するのではなく、この2つの機能は互いに相補的であり、並行関係を有しているという認識がまず必要であろう。
6.発達的に見ると、自閉症の認知障害は、発達の遅滞と障害として現れ、年齢とともに変化する。認知の構造は発達の過程の中で修復されたり、ますます不均衡が目立ってきたりする。この発達の過程において、自閉症を特徴づける認知の構造の異常を探求することが課題となる。課題①年齢が低かったり、発達が低かったりする場合の特徴としては、感覚運動知能(知覚レベルでの知能)はほとんど障害を受けず、シンボル機能のすべてが出現してこない。②高機能の自閉症児は、概念形成の節目で、越えがたい困難にぶつかっているように思われる。
7.孤立的に高い能力は、自閉症の認知障害の特異性を明らかにするための鍵になるかもしれない。
8.自閉症に、かなり高率で見出される脳波異常は、生物学的関与を強く示唆する所見である。最近、小脳の異常がMRIで認められることがあり、議論を呼んでいる。
9.フェニールケトン尿症、先天的風疹症、点頭てんかんは、自閉症、広汎性発達障害になりやすい疾患である。
10.自閉症という疾患そのものの遺伝は考えられない。
11.自閉症において脳障害が存在していることはほとんど確実だが、脳のどこに、どんなシステムに、どのような障害があるのかは明らかになっていない。
 そこで、私が疑問に思う点は以下の通りである。
1.自閉症の行動特徴が(親や現代文明社会)の影響を受けて強まったり弱まったりするとあるが、どんな時に強まり、どんな時に弱まるか、という所見はあるか。(その情報をどれだけ集めているか)
2.自閉症の過半数以上がIQ50以下、境界知能を含めた正常範囲は10~20%程度に分布する、とあるが、その10~20%が自閉症になった原因は何か。自閉症の過半数以上が中度精神遅滞以下(認知障害?)だとして、その認知障害と自閉症の行動特徴にどのような相互関連性があるか。中度精神遅滞(者)のすべてが自閉症にならないのはなぜか。
3.著者は、自閉症の認知障害に対して、神経心理学的な方法により接近、認知発達の障害について研究し、Stage分けを行ったが、それは「自閉症の子どもが物事に対処するときの思考の方略の基本」を明らかにするためとされている。はたして、子どもは(自閉症に限らず)、思考の方略だけで物事に対処するだろうか。情意で対処することもまた自明であろう。だとすれば、思考の方略を情意に優先して「とりたてた」理由は何だろうか。
4.「自閉症には認知機能と情緒機能ともに障害があると考えられている。(略)自閉症において認知障害と情意障害をどちらか一方が他方の原因であり結果であると説明するのではなく、この2つの機能は互いに相補的であり、並行関係を有しているという認識がまず必要であろう」と述べられているのに、《自閉症は情緒障害ではない》と断定する理由は何か。自閉症が環境要因による情緒障害でないとすれば、自閉症の認知障害「自体」が情意障害を引き起こす原因として考えられないか。「この2つの機能は相補的であり、並行関係を有しているという認識」から導き出される治療法とはどのようなものか。
5.本書のタイトルは「自閉症治療の到達点」だが、その治療とは「自閉症の『認知障害』」だけを対象にしたものであったのだろうか。
 私は、第Ⅰ章1節「自閉症の定義と診断」の後で以下のような疑問を述べた。「自閉症とは「脳の機能障害が強く推測される発達障害であり」「①相互的社会交渉の質的障害、②言語と非言語性コミュニケーションの質的障害、③活動と興味の範囲の著しい限局性」という特徴的な3つの症状で定義される行動的症候群である、ということであろう。では、具体的に脳のどこの部位の、どんな機能が障害されて①~③のような症状が現れるのであろうか」。その回答が、5節「自閉症の生物学的障害」で以下のように述べられていたので付記する。「生理学、生化学の分野などにわたっても、自閉症の中枢神経系の障害、生物学的障害についての研究が行われており、自閉症において脳障害が存在していることを、ほとんど確実に示しているが、脳のどこに、どんなシステムに、どのような障害があるのかは明らかにしていない」。(2014.1.6)