梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

《だから》自閉症は治らない

 なるほどこれでは「自閉症」は治らない。現状では「治りようがない」からである。「自閉症」と呼ばれる人、子どもたちの周囲に居る人、例えば両親、例えば兄弟、例えば親族、そして療育・教育に携わる人々の大半、もしくはほとんどが「自閉症は治らない」と思っているからである。彼らは、自閉症の要因は「脳の機能的障害」であるという通説を信じている。したがって、保育・療育・教育の内容は、半ば諦めながら「脳の機能」を改善しようとしたり、社会生活のスキルを訓練で習得させようとするものが、ほとんどである。 もし「自閉症は治る」などと主張すれば、たちまち異端視され集中攻撃を受けるのが現状であろう。にもかかわらず、私は敢えて「自閉症は治る」、もしくは「治そうとしなければならない」ことを提唱する。その方法は誰でもできる。単純・素朴な方法である。
 ①相手を「自閉症」だと思わないこと。
 ②相手と「遊ぶ」こと。その遊びは、意味も無い、為にならない、ふざけ合い、じゃれあい、スキンシップを伴う遊びであることが肝要である。玩具などは不要である。声を出し合いながら、バカバカしいと思われる「やりとり」をおよそ一千時間繰り返す。相手が乳幼児の場合はオンブ、ダッコ、肩車、タカイタカイ、お馬さんごっこ、鬼ごっこ、かくれんぼ、ブランコ、トランポリン等々。学齢時、青年、成人の場合は、握手、指相撲、マッサージ、乾布摩擦、レスリング、水遊び、ダンス等々。相手を遊ばせるのではなく、一緒に遊ぶこと、一緒に楽しむことが肝要である。
 ③相手と「キャッチボール」をすること。キャッチボールの「技術」ではなく、「呼吸」(間合い)を合わせること、回数を増やすことに専念するべきである。
 ④相手と一緒に「仕事」をすること。着衣・靴の着脱、手洗い、洗面、歯みがき、蒲団敷き、洗濯(干し・たたみ)、掃除、運搬、調理などを「共同作業」として行うことが肝要である。


 以上の活動を、相手の方から求めてくるようになれば「自閉症は治る」かもしれない。しかし、現状ではそれを「実行」する人は少ない。そんなことで治るなら専門家はいらない、と思っている人が大半であろう。《だから》自閉症は治らないのである。
(2016.11.1)