梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「自閉症児」の育て方(6) 「泣く」ということ

6 「自閉症児」の育て方・4・《「泣く」ということ》
 「泣く(ことができる)こと」は、人間にとって素晴らしいことである。
 新生児にとっては「親を呼び寄せ」「自分の不快感」を取り除くことができる。乳幼児にとっては、自分の気持ちを表現して訴えることができる。「泣く」ことを繰り返すことによって、気持ち(感情)は「不快」から「不安」「不満」「いら立ち」「怒り」へと「分化」し、さらにまた、(一人で置かれることの)「寂しさ」「人恋しさ」「悲しみ」、(怒りが伴った)「くやしさ」「羨ましさ」「妬ましさ」「もどかしさ」等といった、複雑な感情(「情緒」)も生まれてくる。学童後期、思春期、青年期には(他人の)「悲しみ」を共感し、悲劇に「涙を流す」こともできるようになる。「情緒」は「情操」へと高まり、成人期以降は、「真善美」に感動して「泣く」、というような経過をたどる。さらにまた、成人は「泣く」ことによって、「ストレス」を癒し(交感神経の働きを鎮め)、情緒の安定を図ることができる。
 しかし、一方、「泣く」ことが、嫌悪・敬遠される場合は多い。極端な場合は、戦時下の沖縄戦で、米軍に追われ洞窟に潜む島民の乳児が泣き叫ぶ声を咎められ、母親がわが子を殺めてしまった、という事例もあったと聞く。平時の現代でも、電車、バス、街頭、公共施設などで子どもが(突然、大きな)「泣き声」を上げれば、「何事!?」と非難の眼を浴びせかけられかねない。親は、自分の「育て方」を批判されているように感じ、子どもを「泣き止ませる」ことに四苦八苦といった光景は、どこでも見られる。「子どもを泣かせないように」育てることが、望ましい育児法であるという風潮が高まっている。しかし、それは「誤り」である。子どもは、まして乳幼児は(前述したように)「泣く」ことによって(情緒が)育つからである。子どもの「泣き声」を平然と《受け容れられる》社会こそ、人間本来の自然(健全)な姿であることを、私たちは肝銘しなければならない。また、「子どもが泣くと、情緒が不安定になり、人格形成が崩れてしまうのではないか」という過度な《不安》を持つ親がいるかもしれない。それもまた「誤り」である。子どもは(大人と同様に)「泣く」ことによって、情緒を安定させているからである。先人は「今泣いたカラスがもう笑った」と言って、子どもを愛しんだ。「泣くこと」「笑うこと」を育てること、それが「自閉症児」(と呼ばれる子ども)であっても、そうでない子どもであっても、「育て方」の《第一歩》(基礎・基本)なのである。(2015.1.9)