梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「自閉症 治癒への道」解読・《24》第10章 事例(3)【六人の自己流治療例】(3)スーザン

◎要約
【六人の自己流治療例】
《スーザン》(19歳の時に母親から提供された情報)
・第二子で、ごく早期からはっきりした自閉的傾向を現していた。(人に反応しない、世話をいやがる、泣いてばかり、眠らない、触られること・抱きしめることをきらう、母乳を受けつけない)
・出産直後から発育がよくなかった。脱水状態を起こしたりした。小児科医のすすめで新鮮牛乳の全乳をあたえたところ、身体的状況は改善された。
・周囲に頼みになる医者がいなくなったので(小児科医は物故)、母親は「自分の考えで育てる決心をした」。
・生後1年間、スーザンは、いかなる種類の対人接触をも拒み続けていたが、4歳年上の姉との間には、ある種のつながりができていた。(一緒に風呂に入る、一緒に食べる)
・典型的な自閉傾向「同一性へのこだわり」もさまざまな形で現れた。(自分の寝室から出ない、ベッドの上で体を前後にゆする、頭を打ちつける)
・終始ひどく「食べ物にうるさい」子だった。ミルクから固形物への切りかえが遅れた。
数年間はチョコレートプディング、つぶしたバナナ、炒り卵}以外の固形物はまったく食べようとしなかった。4歳の時、少し魚を食べ始め、5歳すぎになって時々鶏肉を食べるようになった。チョコレートは大量に食べていた。
・毛のふさふさした動物の人形に愛着を示し、鼻をすり寄せて抱いていた。           
・新しい衣服をいやがった。
・決まった日課に従うことを好んだ。
・いつも極度に感受性の強い子であった。とても敏感で、嗅覚・触覚・聴覚のすべてが敏感すぎるという感じだった。人から見つめられることに耐えられず、人を直接見たりしなかったが、伏し目がちの瞼の下から、あらゆることを観察していた。
・いろいろな固い物(ベッド、タンス、椅子など)に自分の頭を打ちつける、体をゆするなどの「常同行動」があった。
*同一性への執着がくずれた場面*
・家族と水辺で休日を過ごしている間に、ボートが好きになり「上手に扱える」ようになった。
・水泳も覚えたし、カヌー(一人乗り)もうまく漕いだ。6歳で自転車に乗れた。9歳頃からは、天候を問わず外出するようになり「人里離れた場所」を好んだ。
・スウェーデンへの旅行中、朝食の食堂に入ってきた時、ごちそうの並んだ大きなテーブルに驚き、母がチーズやにしんの酢漬けを取っているのを見ていたが、誰かが「スウェーデンの子どもはみんなヤギのチーズを食べる」という話をして、チーズをさし出すと、スーザンはそれを味わい好きになってしまった。以後10日間、毎食ヤギのチーズ以外、何も食べなかった。その後、(彼女の求めで)2年続けてそのホテルに行ったが、その時もヤギのチーズばかり食べていた。
・スーザンの場合、「ことばは普通どおり発達した」。しかし、否定的、拒否的な言い方や、場面と無関係なことをしゃべったりしていた。最初に旅行した時など、一晩中頭を打ちつけながら、おとぎ話の中にある文句を大声で唱えていた。(「言語的常同行動」)その後、ことばや言語の面に対する特別な興味が生まれ、詩や作文で全国的な賞ももらっている。(自閉的傾向と非自閉的傾向が奇妙に混在していた)
・その他の科目の成績はあまりよくなかった。チームでするゲームにも興味はなかった。
・自然科学の博物学には興味をもっていた。(水生動物の観察を好み、「自由研究」では、ダーウィンやキューリー夫人についてよく調べて書き、“A”をもらった)
・ずっと「睡眠障害」をかかえている。


*スーザンは「生まれた時からヘン」に該当する赤ちゃんであった。「自閉症発生要因のリスト」に当てはまるのは、遷延陣痛と鉗子分娩くらいである。
*スーザンの母親は、必死の努力で子どもを正常状態にひきもどそうとした結果、19歳になった今、彼女は名門の演劇学校の面接試験に合格し、学位を取るための勉強をしている。母親はどのようにして、それを行ったか興味深い。
*母親はウェルチ式の抱きしめは、まったくやっていない。(スーザンが拒否したためだは、スーザン自身が「7歳頃までは“へんな匂いがした”ので他の人のそばへ近づくことができなかった」と言っている)しかし、「できるかぎり一緒に居る」「子どもがストレスの中に置かれていることを直観的に認識し、それを和らげて、子どもが家族の中に入れる方法を見つけ出そうとする」「子どもがどんなことをやっても、子どもを基本的に人間として認める」ことを重ねてきた。スーザンを叩いたことは一度もない。食べたがらないという食事の問題に対しては、食べたがるものだけを与えた。しかし、この子だけのために特別なものをつくろうとしたことはまったくない。いつも家族が食べているものを出し、スーザンが拒否してもすんなりと認めるだけだった。
*スーザンが生まれて、約5年間はどこへも出かけなかったので、よその人からの批判を受けないですんだ。
*スーザンは今、家から離れて楽しく幸せに暮らしている。概してうまくやっており、周りの社会にもよく適応している。男女の友だち関係もよく「恋人」もいた。まだ将来の伴侶はみつからない。今や、相当の「食い道楽」である。また、サラダがきちんと洗ってあるかを確かめる、毎晩大急ぎで入浴するが、「クモがいた場合に備えて」浴室の扉を開けたままにする、などの「儀式的な慣習」は、まだ残っている。


【著者注記】
・スーザンの自閉症発生要因は、陣痛が長びいたこと、鉗子分娩だったこと以外には、見あたらない。
・症状には、話しことばや言語に対する態度に二面性がある、という特徴がある。一方で、話すことに関して拒否的・非伝達的な側面を示しながら、他方では単語や言語に対してたいへん感受性が高く、すぐれた詩や散文を書いている。
・母親が、スーザンが家族からひこもってしまうことを許さず、彼女のために多大の時間と労力を費やし、一貫して彼女を「人間として」受け入れる努力をはらい、「抱きしめ法」の最後の扱い方(いつも一緒にいてやりとりすること)を実践していたことは明らかであり、それが意義あることであったと思う。


《感想》 
スーザンの母親は、一貫して彼女を「人間として」受け入れる努力をはらった、という。この「人間として」という意味はどのようなものであろうか。私の独断・偏見によれば、それは、「自分と同じ立場で」とか「自分と心を通い合わせることが可能な相手として」とか「必ず通い合わせてみせる」とかいう、確固とした信念に裏づけられた「子ども観」だと思う。「自閉症は治らない」「教育不能である」という考えから生まれる結果は、「この子はどうして決まったものしか食べないのだろうか?・・・自閉症だから」「この子はどうして体をゆらし、頭をうちつけてばかりいるのだろうか?・・・自閉症だから」、そして「この子は何を感じているのか、何を考えているのかわからない」というコミュニケーションの「断絶」、絶望感に行き着くのが「関の山」であろう。お互いに断絶したまま、縁を切ることもできずに、無為な生活が続いていく。著者夫妻は30年前、そのような惨状を予測していたが、現状はますますその予測にちかづいているのではないか。
 「人間として」受け入れるということは、「障害児(者)として」見ない、ということにもつながる。現在「広汎性発達障害」「自閉症スペクトラム」「注意欠陥多動性障害」「学習障害」「アスペルガー症候群」などという多種多様な「レッテル」が「専門家たち」によって作り出され、子どもたちは「人間として」受け入れられる前に、そのような「レッテル」に見合った軌道(人生)を歩まされる運命にある。だとすれば、スーザンの母親のように、「医者(専門家)は頼りにならない。これからは私の考えで育てていく」といった決心をもつことが、(これからの両親にとって)何よりも大切ではないだろうか、と私は思った。(2013.12.11)