梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「自閉症 治癒への道」解読・《20》第9章 指導法の実際・・・両親と保育者のために(4)

《第9章 指導法の実際・・・両親と保育者のために》
◎要約
【治療教育者からの助け】
《動物》
・動物も人づきあいを育てる架け橋になる。:絆ができたために、執着してしまって人を排除するようにならなければ、ペットは治療教育者としての可能性をもつ。親、特に母親が、自閉症児よりもその動物の方に多くの愛情を示してしまうおそれもあるので気をつけたい。小動物だけでなく馬もよい。1979年3月だけでもイギリス中の130以上の特殊学校が、この種の施設(乗馬クラブ等)を利用している。
《他の子どもからの働きかけ》
・子どもたちも自閉症児を助けるのに貢献することができる。子ども同士が集まって遊ぶというだけでなく、幼い子どもには独特の微笑があり、それを交わし合うことも効果をあげるだろう。ダウン症児と自閉症児は、同じ学校で一緒に教育を受ける方が有益ではないだろうか。ダウン症児の愛想のよさ、人との接触を求める時のおだやかな熱心さのは、自閉症児にとって受け入れやすく、抵抗できない。ダウン症児は教えられることを嫌がらないので、教師は彼らの指導に多くの時間を費やしやすい。その結果、自閉症児には侵入的な働きかけが減る一方、ダウン症児が教えられているのを見ているだけで、たくさんのことを学ぶチャンスがもてる。正常な子どもも治療協力者として役立つ。自閉症児を普通学校に「柔軟に」所属させ、パートタイムの「家庭教師」の援助を受けられるようにするやり方は大いに可能である。自閉症児を普通学校に統合することは容易なことではないが、まったく違った性格の障害児のための学校に放り込んでおくのは安易である。
・自閉症児の兄弟姉妹は破壊的にも建設的にもなりうる。自閉症児の兄弟姉妹が、自閉症児を「できない」とか「おかしい」と言って傷つけることがあるが、逆に、自閉症児が、年下の子の面倒をみたりして(他を援助することによって)、本人のためになるというケースもある。(10章のジュディとジョージの事例)
【遅れ】
・大部分の自閉症児は、多かれ少なかれ「ちえ遅れ」(発達の遅れ)を示している一方、著しく優れた能力の「片鱗」を示している。この二面性(「寄せ木細工」的遅れにどう対処すればよいか、について述べる。
《その子がその瞬間どんな情緒的ニーズを持っているか》
・自閉症の子どもが特定の瞬間にどの年齢水準で扱ってもらいたいと思っているか、「今、この瞬間子どもを動揺させているのは何か」を、可能なかぎり判断・推測しなければならない。それに失敗すると、爆発的なかんしゃく、破壊的行動、突然のひきこもりを起こしてしまうことがあるからである。
《あともどり現象にも忍耐強く対処する》
・環境の変化などにより、子どもが「あともどり現象」(乳幼児期への退行)が現れた場合、一時的に、その子の年齢より幼い者として扱うのが、いちばんよい。
・ただし、子どもにある程度の自立を促すことは放棄してはならない。「後もどり」に対しては、情緒的により幼い段階に合わせるために、ねらいとするレベルだけを変えるのである。このような場合には、自己探索を含む乳児期的な形の探索行動(常同行動)に逆戻りすることがあるが、ただひたすら受け入れて耐えていかなくてはいけない。それが安心感を与え、赤ちゃん時代への逆もどりから救い出すのには、いちばん効果的であろう、というように希望的に考えるとよい。「あきらめではなく忍耐」を標語として、屈して絶望してはいけない。
《朝の子どもの様子を一日の指標に》
・朝起きて初めて出会った時の行動を、とくに気をつけて見るのがよい。その時の動きや一般的ぎこちなさのレベルは、その日一日の到達レベルを予想するうえでの的確な指標になる。この種の「指標」によって、一日の始まりに、その日は望みを高くできるか、きつい要求を控えるべきか、判断する。(10章 ジョージの事例)
・自閉症児の遅れ・後もどり(が顕著、もしくは生じた場合、それ)に「合わせようとする意欲」と忍耐力の欠如が「問題」なのである。
・その反対の状態(特殊な才能、優れた能力の「片鱗」)の対処法については、次節に関連させて述べる。
【「技能」を教えること】
・自閉症児は、情緒面および「実行能力」(知覚面運動面の弱さ、成績不良、知的な低さ、ことばの貧困さを含む)の発達において著しく遅れている。そのため、多くの親や教師は情緒面の成熟を願うだけでなく、「技能」面でもなんとか追いつかせたいと願う。子どもの年齢が高くなればなるほど、(「下向きのらせん」にはまっていた期間が長いほど)その傾向は強くなる。試験に受かったり、卒業証書を手に入れたりすることが、大人社会にうまく適応していくための「不可欠条件」になりつつある現代社会の重圧に起因している。子どもが小さかった頃にはきっとよくなると思っていたが、あっという間に月日が経って、乗り越えなければならない「学業」の壁が目の前に現れることによってパニック状態になる親がたくさんいる。そうなると、親は教育機関や試験制度が要求する「技能」を身につけさせようとして、子どもに加える圧力を大きくする。「しかし原則としてこれはうまくいかない」ばかりか「逆効果」である。自閉症児は(情緒的レベルの治療の一環として行わない限り)、「反復練習」を妨害したり、消極的抵抗を示したり、破壊的になったり、攻撃的になったり、かんしゃくを起こしたり、「ひきつけ」や「発作」を起こしたりする。自閉症児は一義的には情緒的に傷つけられている子どもたちであり、その不安を減らして安心感を与えることさえできれば、各種の技能面の能力は急速に進歩する。安心感が、子どもが覚えたいという気持ち(意欲)を育てるからである。
《自閉症児の多くは水面下で多くのことを学んでいる》
・ごく幼い正常な子どもの多くが、テレビのコマーシャルを見たり聞いたりしていて読むことを覚えてしまうが、自閉症児の一部にもあてはまる。
・親や教師は、子どものこういうかくれた発達を発見する努力をすることが重要である。
・それができれば、技能を教えようとする無用な努力に多くの時間を空費したり、多大なフラストレーションを感じないですむ。
・ドナルド・ヘップという心理学者が若い時、チンパンジーに弁別テストをやらせていたところ、退屈したチンパンジーが報酬のバナナを彼に手渡したという有名な話もある。
《瞬間的な「教えてほしい」気持ちにすばやく反応する》
・情緒的レベルの治療「のみに頼りすぎる」ことは、最善の方法ではない。自閉的逸脱がごく早期に発見された子どもの場合には有効なことがあるが・・・。
・長い間自閉的状態にいた子どもの場合、情緒面の回復を促しながら、技能を教える方法を探求する努力が必要である。
・技能を教えようとする場合、子どもが「ごく瞬間的に示す、教えてほしいという気持ちの兆候」を見つけて、それにすばやく反応することが大切である。興味をもち始めたことを示す兆候を注意深く見つけ、執着的遊びに近いようなことでも、それに熱中できるように配慮してやるのがよい。
・積極的になにかやりとげた時には、それを認めてやるのがよい。
《覚えさせたい課題に大人が集中のそぶりをする》
・自閉症児の「注意集中時間」は、抜群に長い。(短いと言われるのは、興味のないこと、恐れていることを強制される場合である)
・ウォールドン博士のような教え方は、子どもの知覚的・運動的・知的技術を伸ばすのに有効であり、情緒的均衡を回復することにもなっている。
・大人のほうが、自然のやり方で、その課題に夢中になっているようなそぶりを見せると、子どもは、自分もそれに「少し」参加し、「少し」まねもしてみたいと思っていることがたいへん多い。(有効である)
《辛抱強く「遊びへの誘い」を》
・子どもは、通常最初は(少しもじもじしながら)大人のすることを観察し、ついでに参加したそうな様子を示し(じゃまに入るという形をとることもある)、こちらが辛抱強くしていると、完全に参加してきて、その後は(ほんの一瞬ながら)その気になって子どもが自分で「とって代わる」ようになる。
・自閉症児は、何かの技術を覚えようとしてたいへんな執念を示すことがある。それを覚えれば大いに自尊心が高まるようなこと、仲間の子どもに対して鼻が高いようなことの場合に、最も起こりやすい。周りの子どもや大人の辛抱強さのなさや諦め、嘲笑が、自閉症児の積極的な「やる気」をくじいてしまわないように注意しなければならない。
《音楽・算数・絵画・外国語・・自閉症児の多彩な才能》
・音楽と踊り、この二つの活動はごく自然に一緒になる。その助けを借りれば、活動の幅が広がり、遊戯的演技に結びつけることができる。(音楽が聞こえるとからだをゆすり始めるという「常同行動」を少しずつ着実に変化させ、ついには創作舞踊に変えてしまった、という実践例がある・ユトレヒト大学カンプ教授)
・「ごくありふれた自閉症児」でも、正常ないし普通以上の芸術的(音楽・絵画)ないし知的能力(算数・読み書き・作文・外国語)の片鱗ないしかけらをもっている。
《才能の「片鱗」をどう扱うか》
・その面のその後の発達は子どもに任せ、対人関係づくりに集中すればよいといえそうだが、そのような特殊な能力に対しては、これを伸ばすようとくに考えてやるのもよいのではないか。
・「高い能力の片鱗」は、子どもが遠くから観察したり、自分ひとりで練習したりして学ぶことができるが、もし、そのような才能をもっていることと、「自閉症発生要因」に格別影響されやすいという性質の間に《相関》があるとすれば、そういう子どもをどう治療したらよいかは重大問題になってくる。そういう活動をさせておくと、ますます対人行動をさけるようになり、自閉的逸脱を悪化させるのではないか、という心配が生じる。その可能性もないことはないと思うが、一般方針としては正しいとは思えない。
《「教育」によって独創的才能を失った子ら》
・教育機関における団体訓練的性格・技術を教え込むことを狙った教育が、子どものもつ「高い能力の片鱗」を摘み取ってしまうことは十分にありうる。
・特殊な才能をもった自閉症児の教育は、治療の焦点を「情緒的レベル」にあて、一方そういう才能をさらに発達させることも怠らない、という方針に沿って行うのがよい、と思う。
・「高い能力の片鱗」は、全体的治癒への第一歩として大いに活用すべきものである。それは対人関係の「架け橋」としても役立つであろうし、「何かがよくできる」という自信を与えるのにも役立つ。


《感想》
 ここでは、両親以外の「治療協力者」として、「動物(犬、猫、馬)」、「他の子ども」、「兄弟姉妹」が有効であること、その際に気をつけなければならない留意点について述べられている。「他の子ども」とは、幼稚園・学校のクラスメートのことだが、現代の「競争教育」の中では、治療協力を求めることに限界があるだろう。むしろ、学級集団の中における自閉症児は、「他の子ども」の感性や対人関係能力を高めうる、「不可欠」な存在であるという認識(理念)が必要であり、それが「競争教育」(荒廃した学校の現状)を告発・改善しる突破口になうのではないか、と思った。また、「兄弟姉妹」との関係づくりも、その家族集団のあり方にかかわる根源的な問題と深く関わっており、ここでもまた「競争社会」に家族がどう対峙するか、というテーマに家族全員が取り組まなければならない。自閉症児が、兄弟姉妹の中で孤立し、疎外されていく事例(事件)は後を絶たないのが、日本の現状ではないだろうか。そんな折り、〈自閉症児は、「自分より不幸な他の子ども」とか病人とか動物の手助けを敏速に行う傾向がある、自分の方から積極的に他を援助することができ〉〈そのことは本人にとってたいへんためになる〉という著者の指摘は、大きなヒントになると、私は思った。
 次節では、自閉症児の「遅れ」「後もどり現象」、またその反対の「特殊な才能、優れた能力の片鱗」にどう対応すればよいかが、詳細に(微に入り細に入り)述べられている。要するに、「遅れ」「後もどり現象」に対しては、「耐える」「待つ」ことが大切であり、同時に「なぜ遅れているのか」「今、この瞬間、何が子どもを動揺させているのか」を推測する「観察力」「洞察力」が不可欠になるということであろう。また反対の「特殊な才能、優れた能力の片鱗」については、それを「ひきこもり」「自閉的逸脱」の悪化と心配するのではなく、対人的関係の「架け橋」として利用したり、(自発性を高める)「自信」を育てるために、さらなる発達をめざすべきである、ということがよくわかった。(2013.12.7)