梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

私の戦後70年・蓄音機

 昭和26年、上京した父と祖母、私の三人は山の手の親類宅に「仮住まい」した。親類の家族は四人、合わせて七人が八畳、六畳、三畳、物置、台所の瀟洒な平屋住宅で雑居することになった。当時の娯楽はラジオ中心、一同は「のど自慢」「二十の扉」「とんち教室」「三つの歌」「今週の明星」等々の番組を楽しんだが、親類宅には年代物の手動蓄音機があった。ハンドルをぐるぐる手回しして、鉄の針をレコード盤にのせると、摩擦音に混じって音楽が流れ出す。「水色のワルツ」「夜のプラットホーム」「上海帰りのリル」「流れの旅路」「かりそめの恋」といった流行歌、中には「芸者ワルツ」「トンコ節」「ヤットン節」などの座敷唄もあった。私は大人たちに混じってそれらを存分に鑑賞した。父は満州から持ち帰る途中、欠けてしまったレコード「さのさ」(唄・芸者小花)を宝物のようにして聴いていた。唄って曰く「いじらしや 伊豆の下田の唐人お吉、今日も揺られて駕籠の中、許して頂戴ねえ鶴松さんと 合わす両手に散る椿」・・・。(2015.4,8)