梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「自閉症 治癒への道」解読・《4》第3章 自閉的状態の分析・・・その方法と概念(2)

《第3章 自閉的状態の分析・・・その方法と概念》
【感想】
《方法論について》
 ここでは、ティンバーゲン夫妻の「研究方法」、具体的には「自閉的状態の分析」方法について述べられている。その方法は、まず「チャイルドウォッチング」から始まった。以下はその要点である。


・まず第一歩としては、強力な、長時間の、くり返し行われる、「白紙の」「単純な」観察、しかも真の探究心によって導かれ、早まった偏見によってくもらされることのない、観察を行うことである。(異常行動を引き起こしている子どもの内的状態を推論する前に、まずこの行動をこそ研究すべきである)
・われわれは「下向性」分析手続きを提唱している。これは、行動を全体として細かく調べることから始まり、そしてしだいに深く、より深くその原因を掘り起こしていくものである。このステップバイステップの過程においては、あまりに大きなまたあまりに性急な「結論への飛躍」(十分に錬られていない予感)は避けなければならない。 
《われわれの方法》
⑴ できる限り「押しつげがましくない」観察を行った。観察者の存在を子どもに気づかれずに行う観察法である。次善の方法としては、その人の存在を子どもに慣れさせてしまい、その人が「家具の一部」のように受け入れられるする。しかし「自分の存在を消す」と同時に注意を集中して観察するという二重の才能を持っている人は、ごく少ない。しかし、この技能は、観察を成功するためには、ぜひ習得しなければならないものである。
⑵できるかぎり、子どもたちをその自然な環境の中で観察した。いつもの人間(家族など)と、非社会的な環境(たとえば玩具、自分の部屋、好みのコーナー、「なぐさみ物」、庭、街角、店、ペット等々)との相互作用(ないし相互作用ができないこと)を「現場研究」した。
⑶自閉症児とその両親、仲間および全体的な環境での行動を、同じ状況下のふつうの子どもの行動と比較することが、有益かつ不可欠なことであった。この比較の対象を、その子どもと同じ年齢の子どもからさらに年下の子どもの行動、場合によってははるかに年下の子どもの行動との比較にまで広げることが大切である。
⑷自閉症児の行動に及ぼす可能性のある、環境の短期的な変化の影響についてよく観察することが重要である。とくに、観察された子どもの行動の直前に環境の中でいかなる変化が起こったか(すなわちその行動をひき起こしたのかもしれない変化)に注目すること。これもまた正常な子どもと自閉症児の双方について行わなければならない。
⑸重い自閉症児はことばをしゃべらないので、子どもの非言語的な行動に集中的に注目しなければならない。それは「情動の表出」(ダーウィン)と呼ばれている行動などであり、身ぶり、表情、身体表現、子どもが行く場所の詳細、子どもが動き出したり止まったりする時のくわしいありさま、体の向き、体の部分の位置関係の詳細などなどである。
*非言語的行動の研究をなぜないがしろにしてきたか
①自分が慣れ親しんでいる出来事に対しては探究心をかりたてられることが少ない。
②人間の表出行動の科学的研究は、観察中に直観的に反応してしまうことが多い、ありのままに記録しようとしながらもそれに干渉されてしまう、などのために、動物の言語の場合よりもさらに困難である。
③現代の教育は言語的な教示に大きく依存している。子どもが話しことばを獲得し始めると、非言語的な表現は二の次にされてしまう。
*動物行動学的方法でチャイルドウォッチングをする人は、何をしようとしているのか、どういう手順を踏むのか。
・自閉症児の「行動」は、いろいろな出来事の混沌とした流れのように見えるが、それらの出来事がすべて本当に偶発的なものだという考え方を拒否すると、そこになんらかの種類の秩序や、パターン、パターン内のパターンを識別することが可能なことが「からだの奥に」感じられ、それをより明確に見わけたいと望まずにはいられなくなる。
・まず目に見えるものすべてに同等の注意を払うようにしなければならないが、それは不可能である。そこでまず①自分の立てた問いに基づいて、次に②この問いに対する答えと思われるものの予期に基づいて、次いで③この答えが「誤り」であることを見いだした驚きや予想外なものの発見に基づいて、観察する。
・現在では、さまざまな記録装置(テープレコーダー、ビデオカメラなど)によって、観察・分析・解釈という仕事が機械化されてきたが、その操作に集中しすぎて「観察しながら考える」ということを忘れてはならない。また、それらの結果を「数量化」することが「科学」であると誤解してはならない。
・自閉症研究の現状からみて、今第一に必要なのは数値ではなくアイデアであり観察であり思考の修練であり、それにも増して必要なのは共感の情である。
・現代的な技術を有用に適用しえたとしても、「素人」の人々をおきざりにすり危険がある。専門家が、いかに各種の近代的検査器具で武装したにせよ、診察室での短時間の往診中に見るよりも、ずっと多くのものを見ている「素人」の人たちの意見・実践に注目しなければならない。


 ここまでに述べられている「方法論」(研究方法)の特徴を一言すれば、動物行動学者が野生動物を観察するような目で、自閉症児を「見る」ということであろう。まず第一に、観察者は自閉症児の前に姿を現さない。自閉症児と関わらない。もし、姿を見せる(ことを余儀なくされた)場合でも、(自閉症児にとって)「家具の一部」(にすぎない)ような存在を目指さなければならない。第二に、「心を白紙にして」、早まった偏見(予断)や推論を持たない。「事実」だけに注目し、特に、その「事実」が生じた「起因」を見のがさない。第三に、(とは言うものの)「事実」のすべてを見のがさないことは不可能なので、観察者はあらかじめ〈①自分の立てた問いに基づいて、次に②この問いに対する答えと思われるものの予期に基づいて、次いで③この答えが「誤り」であることを見いだした驚きや予想外なものの発見に基づいて、観察する。〉(「自分の立てた問い」とは、「(今)子どもはどのような行動をするだろうか」という予想であり、それが当たる場合もあり、はずれる場合もある。「予断」は許されないが、「予想」を立てながら観察しなければならない、といった観察者の「心がけ」をのべたものであろう。)第四に、観察は「現場」で行われなければならない。自閉症児が住む家、地域、家族といった自然の環境の中でこそ、自閉症児の「本来の姿」が露呈されるからであろう。これらの「方法論」は、従来の専門家(医師、心理学者)が行ってきた方法とは著しく異なっている、と私は思う。場所は、診察室またはプレイルーム、子どもだけを「自然な環境」から切り離して、しかも「直接、対面して」観察するというのが、従来の方法ではなかったか。というわけで、そこから導き出される結論(当時は「認知ー言語障害、現在は「先天的な脳の機能障害」)を、「素人」の私は「鵜呑みにはできない」のである。(2013.11.16)