梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「幼児の言語発達」(村田孝次著・培風館・1968年)抄読・86

19 育児者の役割
【要約】
 発声活動の言語化が、育児者からの影響に主として依存することは明白である。ラインゴールドら(Rheingold and Bayley,1959)の実験的研究によると、発声の十分な活発さは、ひとりの養育者のもとではじめて期待でき、多数の養育者が交替するときには、十分な効果はあがらない。彼らは0歳5カ月~0歳7カ月の間、孤児院児16名を2群に分け、一方の群には専任のひとりの育児者をつけ、他方の群には多数の育児者に交替で育児に当たらせ、1歳6カ月のときにその効果を測定した。その結果は、前者は後者よりも発声行動が優勢であった。発声行動以外の社会反応には両群の間に差がみいだされていない。
■育児者の態度
 育児者は通常は母親であるから、ここでは母親という語を用いる。母子の社会的な関係を、母子間の親和関係(ラポート)と言語関係とに抽象分類することができる。
 母親がその子どもの精神発達に与える影響について、ルリアはつぎのように述べている。“子どもの心的活動は、成人に対する彼の社会関係により、はじめから条件づけられている。年長者のもつ経験が子どもに伝えられるのである。人間においては、この経験を会得する過程で、子どもは新しい知識を獲得するばかりか新しい行動様式も獲得し、・・・その源は精神の深層にあるのではなく、成人の世界に対する子どもの結びつきの形成に求められる”(Luria,1961)。
 乳児はその生活のすべての面を母親に依存しており、子どもの事物認知の仕方も母親に多分に依存している。
《人格化と同一視》
 母親は多くの乳児の声のなかから、わが子の声を聞きわける“異常な感覚”をもっていることが一般に信じられている。子どもに対する母親の関心は、人間関係の型のなかで最も特殊な、特別のものである。具体的にいうなら、二つの基本的な態度的特徴として表現することができる。
 その一つは、母親が子どもを実際彼のもつ能力以上の能力をもつものとして扱う態度であり、もう一つは、子どもの能力水準に母親のほうが合わせようとする態度である。前者が“人格化”であり、後者が“同一視”である。
 “人格化”という態度は、子どもに対する母親の社会的役割として不可欠である。まだまったく言語能力をもたない子どもを人間的に扱うということ、それが子どもを人間に育てあげる。彼が一人前の人間として期待され、そのように扱われることによって、はじめて彼は人間としての成長の歩みをはじめるのである。
 一方、“同一視”の傾向が、子どもに対する母親の態度のなかにはっきりうかがえる。子どもの行為、発声、さらにその心性の諸特性を、母親は自己の内にとりこんで、これを子どもに対する行為のなかで実現する。
 母子相互伝達場面では、子どもへの母親の同一視はさらに顕著であり、言語習得へのこの同一視の寄与はきわめて大きい。子どもに対する母親の同一視は、母親に対する子どもの側の同一視傾向を促し強め、子どもの言語習得のための基本的なルートを作り上げるのに役立つと考えられる。
 この二つの態度は論理的に相互に矛盾するが、それぞれが有効に利用される場面があり、利用面からみて矛盾するものではない。その関係は、習慣形成に用いられる賞と罰との関係に似ている。賞と罰とは作用は逆だが、両方をうまく利用すると最も有効なものになる。
 近年、親子関係についての研究が盛んになってきた。今後、直接観察からの成果が大いに期待される(Yarrow et al.,1962)。


【感想】
 生後1年まで(0歳児の)育児者は、一人に特定したほうが子どもの発声量が増える、育児者の役割は「人格化」と「同一視」という(論理的には)矛盾した態度で子どもに接することである、という指摘がたいそう興味深かった。
 要するに、育児者は「母親」であることが望ましく、その母親は一方でわが子を「能力以上」に扱い、他方で「わが子のレベルにまで下りて」接することが「有効」であるということである。
 そうした仮説を踏まえて、著者は「親子関係についての研究」を期待しているが、当時から50年が経過した現在、際だった成果は見当たらないように感じる。特に、「発達障害」という概念が導入され、その要因が「脳の機能的障害」だとされることによって、親子関係のあり方、育児法についての関心は薄まってしまったのではないだろうか。
 ここでは、特に母親が子どもの可能性を信じて、能力を「過大評価」することの大切さが強調される一方、子どもを可愛がり、自分も子どものように振る舞って接する「矛盾型」の親子関係が有効的だとされているが、「自閉症児」の育児者は、論理的すぎて、そのような矛盾を嫌う傾向はないか、また「過小評価」しすぎて「過保護」「過干渉」的になる傾向はないか。いずれも興味深い問題だが、そのような研究よりも、どのようにして育児者の負担を軽減するか、といった福祉的な発想で支配されているのが現状だと感じてしまう。(2018.9.24)