梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「幼児の言語発達」(村田孝次著・培風館・1968年)抄読・83

16 成人語の形成過程
【要約】
 少なくとも現代の文明国では、子どもの最初の言語習得がその社会の成人の間で用いられている語形(成人語)を用いることからはじまることはない。はじめ子どもは“かたこと”を用いる。そのなかには、喃語発声、音声模倣に発生的な因果関係をもっているものが多い。これに対して成人語はこれとまったく関係のない別系統の記号であり、音声パターンの上での連続性はない。この間の発達的結合を果たすものは何であろうか。


【感想】
 著者は、現代の文明国では、子どもの言語習得が成人語からはじまることはない、と断言している。私も全く同意するが、一方で、20世紀初頭から、アメリカの行動主義心理学者ジョン・ワトソンによって、以下のような育児法が提唱されてきたことも事実である。
《無知な母親がいる。彼女たちはいつも子どもにキスを浴びせ、抱きかかえ、揺すり、体をなで、くすぐっているけれども、そういう猫可愛がりは、子どもの健全なエゴの形成を歪めるものなのだ。社会に出て、他人と互角に競争できないような人間を作っているのである。しかもこのことを彼女たちは知らない・・・。賢明な幼児教育はかくあるべきだ。子どもを、大人と同等に扱うこと。・・・絶対に、子どもを抱きかかえたり、キスしたりしないこと。ひざののせてあやさないこと。どうしてもキスしたいなら、「おやすみなさい」のとき額に1回だけにすること。・・・すべての猫可愛がりはやめて、懇切な言葉で説明してあげる、あたたかい微笑で愛情を伝えてあげるなどのように、母親が自己訓練しなければならないのだ。子守が雇えなければ、裏庭に外部からの危険な侵入が防げるだけの柵を設け、その中に一日中放っておくくらいがかえって子どものためになる。できるだけ早く、このような育て方をはじめなさい。・・・そんな放任育児はとても心配で、と思う母親は、のぞき穴かかくし戸を使って、子どもの目に自分の姿が見えないような工夫をすること。そうして最後に、赤ちゃん言葉やあやし言葉は絶対につかわないこと》(「ふれあい 愛のコミュニケーション」(D・モリス著・石川弘義訳・平凡社・1974年)より引用)
 現代の育児者が、そのような考え方の影響を少なからず受けていたとしても不思議ではない、と私は思った。ワトソンは「幼児教育」について述べているが、それを「乳児」にまで拡大するおそれはないか。特に「自閉症児」の育児者がどのような「育児法」で育てたかは、もっと検証されなければならない問題である。(2018.9.19)