梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「幼児の言語発達」(村田孝次著・培風館・1968年)抄読・80

■動作語
【要約】
 一定の動作に伴って生じる一定の発声、あるいは“かけ声”は比較的早く慣用型の音声に近づき、よく分節している。これを“動作語”とよぶことにする。
 自分の動作に伴う発声として、物を投げるときのパイ、ものを持ち歩くときのヨイヨイ、などが1歳3ヶ月までに生じ、自分以外のものの運動動作に伴うものへの発声として、人形をすわらせるときのオキン(関西では“すわりなさい”というとき“オッチンしなさい”とよくいう)が1歳5ヶ月に自発的に生じた場合を筆者は経験している(村田,1960)。 標準より遅れた子どもの場合に、むしろ動作語が非常に活発に生じた例もある。たとえば、1歳2ヶ月~1歳5ヶ月に、ブー(玩具の自動車を動かすとき)、アッチャ(物を投げるとき)、イウブー(体をゆするとき)、ヨイショ(力を出すとき)、エタイタ(イナイイナイバー)、チャ(立ち上がるとき)、シーヤシーヤ(本のページをめくるとき)などがひんぱんに生じている。しかもこうした子どもは、同じ時期にごくわずかの対象語しか生じない。これは、対象語が、この時期では最も動作から離れた性質をもつものだから、当然だともいえる。
 動作語が動詞の機能的な母胎であるという見解は、レオポルド(Leopold,1947)が強調する新しい観点として注目される。彼によると、動作語は、はじめは動作の随伴現象として生じるが、やがて動作から分離し、動作の遂行とは無関係な場面でも生じるようになる。動作をその動作の主体や、動作に関係する個物からひき離す働きは、1歳の後期には生じてくる。ここに、動作語が言語的表示機能の一つの面として、動詞観念発生の源泉となると考えられる。しかし、動詞観念がもっぱら動作語からだけ派生されるとは考えられない。要求語もその一つの源泉であろう。(ホシイ、ミル、ミツケル、タノシムなど)
 さらに、動詞観念は主語観念と対をなす相互補充的なものであり、両者は同時に成立するものと考えられる。それはシンタックス観念を基礎とすることになる(Mowrer,1960)。
 一部の動詞のきわめて早期の形成が報告されている。額田(1965)は、イッタ(行った)が0歳11ヶ月の子どもに用いられた事例を報告している。勤めのある母親が毎朝出かけた直後に、代わりの育児者がイッタ、イッタといってきかせた。このためにこの音声が予期的に子どもに生じたという。子どもにとって重大な一場面で、一定の周期をもって用いられる語は、不規則に多数回発せられる語よりも強い印象を与える。頻度よりも、生活上の重大性と周期性のほうが、自然言語習得にとっては有効であろう、と額田は述べている。
 要するに、動詞の形成は多くの源から生じる諸経験の統合の結果であり、動作語もその中の有力な要因の一つである。


【感想】
 動作語とは、「一定の動作に伴って生じる一定の発声、あるいは“かけ声”」のことであり、レオポルドによれば「動詞の機能の母胎である」ということである。
 興味深かったのは「標準より遅れた子どもの場合に、むしろ動作語が非常に活発に生じた例もある」という事例であった。「自閉症児」の場合、動作語はどのように生じるのだろうか。目立つことは「いきなり動詞の終止形を使い始める」ことだろうか。「絵本の文章に含まれる動詞」を暗誦または復唱的に使い始める、ということだろうか。いずれにせよ、音声によるコミュニケーションは乏しく、「一方的」であり、動作語においても的確なやりとりができにくい、というような傾向があるかもしれない。
 著者はまた外国語の言語理論に基づいて日本語を説明しているが、両者のシンタックスは質的に同じだと考えてよいか。日本語は膠着語、印欧語は屈折語、中国語は孤立語に分類されているので、発達の筋道はそれぞれ異なると思えるのだが・・・。 
(2018.9.17)