梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「幼児の言語発達」(村田孝次著・培風館・1968年)抄読・78

■状態語
【要約】
 “状態”とは、個体の側の内的な状態のことである。特殊な状態に対応する特殊な語が“状態語”であり、イタイ、ウツクシイ、カワイイなどがこれである。個人の内的な事象が表示されなければならないという点で、対象語の形成の過程とはかなり異なる。
 “痛い”という状態の表示の発生過程を検討してみる。内的事象を言語的に表示する方法の習得は、対象語の場合のように育児者の直接の操作が及び難いので容易にはいかない。対象語の場合、たとえば、イヌのいるところでワンワンといってきかせることによって、子どもは実物と音声パターンとの結合を形成させることができる。しかし頭痛とか腹痛などのような内的事象の表示の習得はこのようなわけにはいかない。第一に、痛みは外界刺激そのものの属性ではないから、イタイとの結合はかなり間接的なはずである。第二に、子どもは情動的に興奮しており、自然に生じる叫喚そのほかの生得的な反応が抑制されなければ、状態語との結合は生じないはずである。
《状態語イタイの獲得過程》
 ある1歳児の状態語の獲得過程の概略を述べる(村田.1960)。追跡観察によってこの語の獲得は、その後の発声が生じてから約2カ月を要したということがわかった。音声としてのイタイは1歳3カ月に生じているが、これは痛覚という私刺激によって生じたものではなかった。子ども自身の痛覚とは無関係であり、痛覚に対しては叫喚がつねに生じていた。音声イタイはこのころは、検温器・聴診器・注射器・綿・包帯などに結合していた。この段階でイタイは対象語であるといってもよい。  痛覚という私刺激によってイタイという発声が生じるようになったのは1歳5カ月であった。子ども自身が見ることのできない外的刺激によって生じたイタイという発声である。足に痛みを感じただけでイタイといったのは1歳6カ月であった。この時期からしばらくの間イタイは痛覚よりやや広い範囲の感覚によっても生じている。固さに対してもイタイが用いられ、ドアや箱のふたが開けられないときによくこの語が聞かれた。
 やや遅れて、他者の痛覚に対する類推的な表示としてイタイが生じている。1歳6カ月に、イヌの絵本に鉛筆の先で穴をあけてしまい、イタイ、イタイ、ワンワン、イタイといっている。また、1歳8カ月には、積み木を自動車として扱っていたとき横に倒して、ブーブー、イタイといっている。
《状態語の獲得機制》
 状態語はどのような機制を通じてその機能を作りあげていくのだろうか。痛覚そのものが生じたとき、自然で生得的な叫喚に代わって、イタイという発声が生じるのは、どのようにして可能になるのだろうか。そのためには三つの条件が備わらなければならないだろう。
⑴ 刺激(内的)が現存するところで、育児者がそれに対応する語を与えることが必要である。
⑵ 本来純粋に内的な過程の外的指標を子どもに把握させる手続きをとること。他者が特定の内的過程を起こすときに示す行為・表情、あるいは事態の特性を子どもに知らせ、これを特定の音声(状態語)とを連合させること。ただし、いつでもはじめから慣用のとおりにいくとは限らない。たとえば、“寒い”と“さびしい”との間の混同は生じやすい。音声パターンの類似だけでなく、両者の外的指標の類似にもよると思われる。
⑶ 特定の音声パターンの生産が、叫喚その他の非言語的な行為よりも当面する欲求の充足のために有効であることを知らせること。このような経験をしないならば、子どもは慣用の状態語を用いる時期が遅れると考えられる。生得的な情動的表出である叫喚は、このような経験の結果抑制され、この効果の般化によって、多くの状態語の形成は容易になるであろう。


【感想】
 ここでは、イタイという状態語がどのように獲得されていくか、について具体例をあげて説明されているので、たいへんわかりやすかった。はじめは、注射器などを指して、対象語として「イタイ」を使い始め、徐々に(2カ月後に)「痛い」という体験の表現として(状態語として)使うようになるということである。
 興味深かったことは、それが状態語として使えるようになるためには、3つの条件が必要であり、そのいずれもが《育児者》の支援が不可欠だということである。具体的には、①子どもが「痛い」という事態のとき、すかさず「イタイ」という語(音声)を与えること、②他人が「痛い」という事態のとき、表情や動作を読み取って「イタイ」という語を与えること、③子どもが「痛い」という事態のとき、泣き叫ぶよりも「イタイ」と言った方が、早く相手に伝えることができることを知らせること、である。
 「自閉症児」の場合、まず「痛い」という事態のとき、泣き叫んで訴えるか、ということがポイントだと思う。次に、育児者(親)が、その事態を的確に把握できるか、ということも重要になるのではないか。子どもは「痛い」という事態を周囲に伝えない、だから周囲はそのことに気づかない。その結果、状態語を獲得するメカニズム(親子のやりとり)が不足して、「慣用の状態語を用いる時期が遅れる」ことはないか。検証すべき問題だと私は思う。(2018.9.14)