梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「病む」ということ・3

 これまで「闘病」という言葉は使いたくなかったので「体験記」とか「病状記」とか言ってきた。年老いて「病」と闘ったところで勝てるわけがない、と思ってきたからである。特に、東洋医学では、あるいは仏道では「病」と闘うことではなく、「病と共存する」(一病息災)あるいは「自分と向き合う」ことが推奨されているようだ。
 しかし、西洋医学では「病」と闘う。10年前からは「闘うリハビリ」という言葉さえ流行しはじめた。私もまた手術後の「心臓リハビリ」を勧められている。病院では「自転車のペダル漕ぎ」をするので、自宅でも普通の自転車を毎日漕ぐようにしている。当初(1か月前)は、「息切れ」「動悸」のため5~7分程度しか持続できなかったが、最近では、どうにか20分間持続できるようになってきた。心臓は筋肉だから、鍛えなければならない、ということらしい。ペダルを漕ぎながら、ふと「闘ってみようか」という気持ちにもなる。症状の悪化や再発をおそれて、ともすれば消極的になることが多かった。それで「現状」を維持したとしても、「復活」は望めない。まして「現状」は、山の天気のように刻一刻と変化する。発症以来「気分爽快」といえる日は一日もなかった。だとすれば、もう失うものはない。闘ってみよう。発症以前の「生活」に戻ろう。身体に多少の負荷を与えよう。結果はどうであれ、それが《老いて病んだ》者が歩くべき道かもしれない。(2018.9.4)