梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

スポーツ界の《膿》(「優勝劣敗」)

 2020年のオリンピック・パラリンピックに向けて「膿を出し切ろう」と、スポーツ界が揺れている。当初はコーチのパワハラ問題に端を発し、以後、某大学の危険タックル、某連盟理事長の圧力疑惑(○○判定)、最近では某協会のコーチ無期限登録抹消処分、等々。要するに、スポーツマンシップの「フェア精神」(基本理念)が、強権者によって踏みにじられているという構図が見えてくるのだが、スポーツ界も所詮は「弱肉強食」の世界であることに変わりはない。本来、オリンピック・パラリンピックは「平和の祭典」として尊ばれるはずだが、それは「建前」で、実際は核兵器・軍隊を保有し、性懲りもなく戦争を繰り返している国々が、堂々と参加している。戦争を放棄し、(スポーツで競い合う)「平和」だけを希求する国々だけで行うのが、「近代オリンピック」の精神でなければならない。
 いまだにスポーツ界にはびこる「膿」とは何か。強権者の公私混同、私利私欲だけではない。それ以前に「優勝劣敗」という価値基準が歴然と存在し続けていることこそが「膿」なのである。勝つことは優れている、負けることは劣っている。だから、勝つことは称賛に値する。負けることは恥辱である。こうした「薄っぺらな」価値観は、スポーツマンシップの「フェア精神」とは《無縁》である。勝者は勝者だけでは勝者になれない。敗者の存在に支えられてはじめて勝者になり得るのである。勝者も敗者も尊ばれなけば」ならない。試合が終われば、あくまで「ノーサイド」なのだ。
 しかし現実は「金メダルでなければ意味がない」などと言って、悔し泣きする選手も少なくなく、世間も「メダルラッシュ」などと《他愛もなく》喜び、「国民に勇気と感動を与えてくれた」などと《虚栄》を誇る。そのことこそが「膿」であり「諸悪の根源」であることを、私たちは肝に銘じなければならない。古人曰く「負けるが勝ち」、けだし至言である。
(2018.8.31)