梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

高校球児・帽子のかぶり方

    連日、甲子園で展開されている高校野球のテレビを観ながら思うことがある。それは球児の「帽子のかぶり方」、ほとんどのチーム、ほとんどの選手が、帽子の前面を「壁」のように「直立」させ、頭頂部の天井部分を凹ませて被っている。なぜだろうか。偏屈な老人の私には、その感覚が全くわからない。「見た目」なのか、その方が「涼しい」からか。専門家の御教示を仰ぎたいところだが、もし「見た目」、そのほうが「恰好いい」と思っての仕業だとすれば、「アホか」と一笑に付す他はない。本来の野球帽は、打撃用ヘルメットを見れば一目瞭然、前面が直立したり頭頂部が凹んだりはしていない。そんな中で、一人の選手が件の被り方を堂々と披露したとすれば、それはそれで個性の表現、文字通り「恰好いい」と私も思う。だが現実は、監督を筆頭に(まさかそのような醜態をさらすことはないにしても、黙認していることにかわりはなく、同じ穴の狢である)、レギュラーはもとより補欠選手、はたまた応援席の野球部員まで「一様に」、そのような被り方をしているのだから「手に負えない」。かつての旧制高校、大学のバンカラ連中が学帽を油で固め、押しつぶして被った醜態と大差ないではないか。そんな時、第2日目第1回戦に出場した「遊学館」(石川)、第4日目1回戦に出場した福井商(福井)の監督、ベンチ入り選手たちは、小細工を弄することなく、通常・本来の被り方をしていた。それかあらぬか、二校とも初戦突破、まさに「御同慶の至り」である。その清々しさに快哉を叫んだ次第である。大リーグ、プロ野球選手の面々をみても、野球帽の被り方に小細工はしていない。なぜ高校野球だけが?、まして(たてまえは)教育活動の一環であることを強調する「高野連」関係者の説明・解説をうかがいたい。とはいえ、そんな瑣末な事柄に拘る、私自身の「老醜」「耄碌」の方が問題であることは承知している。南無阿弥陀仏。(2010.8.10)