梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「急性心筋梗塞」体験記・6

 500メートルの持続歩行に付き添った「リハビリテーション部」の担当医は、途中で「足腰は痛くなりませんか?」と私に尋ねた。「痛いです。でもこの検査は心臓の方なので、休んでもいいのでしょう?」と答えると、彼は笑いながら「まあ、そういうことですが、歩き続けることも条件の一つです」と言う。あと一周というところで再び「大丈夫ですか?」と尋ねたので「早く卒業したいので頑張ります」と答えると、「がんばるのは退院後です。再発しては努力が水の泡になります」。なるほど、これからは死ぬまで「再発防止」に努めなければならないということか。「一日も早く、ここを出たい」という決意だけでは、問題は解決しない。私もまた「無駄に年を取り過ぎた未熟者」に過ぎないことを思い知ったのである。
 その後、私は「栄養指導」を受けた。その要点はただ一つ、《塩分を1日6グラム以内に制限すること》である。朝食はトーストにジャム、バター、スクランブルエッグにレタスとトマト、コーヒーだと説明すると、「ドレッシングは?」と尋ねられたので「マヨネーズです」と答えると、「完璧です」と評価された。昼食は麺類、「汁は飲まないでください」、夕食は、調味料その他の食材は(「低塩」ではなく)「減塩」と表示されている物を選ぶこと、間食も「みたらし団子」「煎餅」など辛いものは避けるように、などという助言をされた。
 要するに、退院後の私の日常生活は「一変されなければならない」ということである。酒もタバコも止め、食生活全般を「改める」ということである。「何のために?」「再発を防ぐために」、言い換えれば「死なないために」、さらに言えば「ただ生きるために」ということになる。私はかつて「人は何のために生きるのか」について考えたことがあるが、ようやく答えられる。「人は《生きるために》生きるのである」ということが実感としてわかるような気がしてきた。
 しかし、私の場合、それは「過去の生活」「過去の自分」を全否定することを意味する。もう今までの自分では生きていくことができない(再発する)ということである。これまでの生活を続ければ、確実に「死ぬ」。だが、待てよ。過去の生活を改めても「死なない」という保証はない。過去の生活に戻るべきか、新しい生活を組み立てるべきか、いまだに決断できぬまま、私は今日退院することになった。(2018.7.4)