梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「急性心筋梗塞」体験記・4

 入院二日目(6月26日)の午前の日課が始まった。集中治療室を出るためには、3つのリハビリをクリアしなければならない。その一は、ベッドの上に自力で起き上がること(30秒)、その二は、ベッドを降りて脇に立ち続けること(1分間)、その三、室内を自力で2分間歩き続けること、である。そんなことなら簡単にできる、と私は思ったが、それを「いっぺんにやる」ことではなく「時間をかけて(今日と明日の二日間)やる」ことが大切である。なぜなら、新生児が乳児になり、乳児が幼児になるためには1年以上の時間と順序を要するからである。ハビリテーションとは「適応」の意味であり、相応の時間をかけなければ能力の(再)獲得は水泡に帰すおそれがあるのだろう。
 血圧、体温、心電図を測定後「では、自分の力で起き上がって下さい」と看護婦が言った。いよいよリハビリのステップ1が始まる。私は難なく起き上がり、30秒間その姿勢を維持できた。再び事後の測定後「はい、合格です」。でも次のステップは明日になる。今日一日をどのように過ごせばよいのか、途方に暮れていると、「テレビ見ますか」ということで、ベッドサイドにはテレビが設置されることになった。そして昼食。チャーハン(の味の濃さ)は普通だったが、鮭は全くの無塩だった。紙パックの牛乳は全部飲み干せたが、残りは半分の量しか食べられなかった。
 しかし、この頃から胸痛はほとんどなくなり、かすかな違和感が残っているだけになる。鼻腔に挿入された酸素吸入器のチューブは、見た目は苦しそうだが、実際は正反対で、呼吸が楽になる、頭もすっきりするといった逸品で、私にとってはたいそう頼もしい存在となった。その日は、以後、定時の検診(体温、血圧、レントゲン、心電図など)だけで夜になった。昨晩は一睡もできなかったので、十分に睡眠をとることができた。   
 入院三日目は、集中治療室「最終日」である。リハビリの課題は、ベッドの脇に立ち上がること、そして2分間歩き続けること。私は「脊柱管狭窄症」を患っているので、持続歩行には自信がなかったが、あらかじめ医師や看護師には知らせてあるので、不安はなかった。前回同様、事前の検査測定に続いて、立ち上がり動作(1分間起立)のあと室内外を1分間進み、1分間で戻る。そして、事後の検査測定。これまで、この測定にかなりの時間を要していたが、今回の看護婦は「少しお待ちください。データがパソコンに飛んだかを確認してきます」といって外に出て行った。その一言は、患者にとってはきわめて重要である。余計な心配をさせないためにも、「今、自分は何をしているのか」「これからどうするか」などについて、つねに患者に知らせるべきだと、私は思う。
 3つのリハビリは無事クリア・・・、いよいよ明日は「一般病棟」(六人部屋)へ。ようやく新生児、乳幼児から学童期への段階に昇るということである。以後の課題は、200メートル持続歩行(病棟の廊下3周)、500メートル持続歩行(廊下7周)で卒業ということである。「こんな所にいつまでも居られない。最短時間で出てやるぞ!」という当初の決意は、今も変わらなかった。(2018.7.3)