梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

萩生田氏発言の《波紋》

 東京新聞5月31日付け朝刊(6面)に、《「赤ちゃんはパパよりもママ」「育児を知らない」「時代錯誤」・萩生田氏発言 波紋》という見出しの記事が載っている。
 「赤ちゃんはパパよりママなのか-。自民党の萩生田光一幹事長代行(54)が講演で、母親による育児が前提の子育て論を展開し、波紋を広げている」という書き出しである。「萩生田氏の発言要旨」を私なりに要約すると、以下の通りである。
①(ゼロ~2歳の乳幼児の子育てについて)「男女共同参画」「男も育児」だとか格好いいことを言っても、子どもにとっては迷惑な話。子どもがお母さんと一緒にいられるような環境が必要。
②(ゼロ~2歳は)ママがいいに決まっている。ゼロ歳から「パパがいい」というのは変わっている。生後3~4カ月で赤の他人様に預けられることが本当に幸せなのか。
③子育て中の母親については、仕事をしていない分類に入れるのがおかしい。世の中の人たちが期待している「子育て」という仕事をするお母さんたちを、もう少しいたわってあげる制度も必要。
 これに対して、子育てに向き合うパパやママたちからは「育児をしたことがない人の意見」「女性も働けと言っているのはどこの政権?」と批判が噴出。識者からは「性差別に敏感な国では考えられない」という声もあがっている由。
 識者の一人、高崎順子さん(44)は、萩生田氏の発言を「母親が乳幼児育児の主な担い手で、支援が必要という現状認識は正しい」としつつも、「育児の担い手は母親であるべきだという考えは、男女不均衡を肯定しており、フランスの政界なら性差別主義で追及されるだろう。子育て政策は思い込みではなく科学的な根拠を持って語るべきだ」と話しているそうである。
 私は、自民党の支持者ではないが、萩生田氏の発言に全面的に同意する。2歳までの乳幼児は「ママがいいに決まっている」「男も育児は子どもにとっては迷惑な話。子どもがお母さんと一緒にいられるような環境が必要」という主張は、「思い込み」や「時代錯誤」ではなく、発達論(科学的な根拠)の常識(例「ハーロウの実験」)である。父親から「母乳」が出ないことも、生物学の常識である。
 この《波紋》は、哺育・保育・教育のあり方を「男女共同参画」「育児休業制度」といった「政治理念」「政策」の次元で論議しようとすることによって生じている、と私は思う。まず、育児休業期間を3年まで延長することが不可欠であり、それは政治家・経済人の責務である。一方、2歳までの育児をどうするかということは両親、医療・保育関係者等の責任で解決しなければならない。核家族化した現在、子育てに向き合うパパやママは萩生田氏の発言を「育児を知らない」と断じているが、自分たちは「本当に知っている」のだろうか。児童虐待に代表される「子どもにとって迷惑な話」は枚挙に暇がないではないか。
 人間が動物である以上、「育児」は種の保存のために不可欠の営みだが、「便利に」とか「ついでに」とか「片手間に」とか「鮮やかに」とか「スマートに」とかなどという印象で行われるものではない。子どもは本来、親に「迷惑をかける」存在であり、それが受け容れられないとすれば、親になることを断念する他はないのである。
(2018.5.31)