梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「腰が痛くなる」話

 頼まれた仕事を、年甲斐もなく引き受けて、あちこちと歩き回っていたら、とうとう歩行困難な状態に陥ってしまった。腰痛は七年前に発症し、整骨院に通って悪化を防いできたが、痛みが右臀部、右大腿部へと広がって「もういけません」、50メートルほど歩くと前に進めなくなる。横断歩道も、青信号が点いている間に渡りきれるか自信がない。「老い」は足腰が弱ることから始まることの典型だ。これまでは、高齢者がゆっくり、ゆっくり歩いている姿を見ても、その実感がわかなかったが、今は他人事ではない。駅では、階段よりもエスカレーター、エスカレーターよりもエレベーターを探し回る始末、電車に乗れば、座りたいと切実に思うのだが、空席にたどりつく前に誰かが座ってしまう。つくづくと「情けない」と思うが、こればかりはジタバタしても始まらない。戦前、「杖をたよりに一日がかり、せがれ、来たぞや会いに来た」(作詞・石松秋二、作曲・能代八郎・歌・塩まさる)という歌があった。亡き息子の霊に呼びかける老母の思いが、ひしひしと伝わってくる。彼女は、空を衝くような大鳥居を仰ぎ「こんな、立派なお社に、神と祀られもったいなさよ、母は泣けます、うれしさに」と詠うが、それが本心ではないことは、能代のメロディーが雄弁に物語っている、などと考えながら、私は、休み休み家路を辿るほかはなかった。しかし、もう少しの辛抱だ。動物は文字通り「動く物」、動けなくなったあとは、死ぬほかはない。(2018.3.17)