梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「日本語はどういう言語か」(三浦つとむ著・季節社・1971年)通読・16

c 属性表現の二つの形式・・動詞と形容詞の関係
【要約】
 形容詞の活用形は、
● 正しい(基本の形) 正し(語幹) く・あろ(未然形) く(連用形) い(終止形) い(連体形) けれ(仮定形) ○(命令形)
 のようなかたちをとり、動詞のように五十音図と関係を持つもにではない。
● 花が咲く。(咲か 咲き 咲く 咲く 咲け 咲け)
花が赤い。(赤く 赤く 赤い 赤い 赤けれ)
 活用形をしらべると「咲く」は動詞、「赤い」は形容詞である。かたちをかえて、
● 花が赤らむ(赤らま 赤らみ 赤らむ 赤らむ 赤らめ 赤らめ)
 としてみる。これは活用から動詞だということになる。同じように、
● つよい→つよむ さわがしい→さわぐ たかい→たかむ くるしい→くるしむ いさましい→いさむ うらめしい→うらむ このもしい→このむ なつかしい→なつく
 のような(形容詞から動詞への)移行の例が見られる。だから、この二つの種類の語は、《共通した内容を持つと同時に、また差別がある》ものとして理解されなければならないということになる。かたちの上から、絶対的に区別をしてはいけないことになる。
 「花が咲く」「花が赤い」の「咲く」「赤い」は、どちらも「花」という実体の持つ属性をとらえた表現である。「咲く」は花にとって固定不変なありかたではない。花の一生にとって一時的なありかたでしかない。そのあとには「散る」がやってくるだろう。しかし、「赤い」という表現は、花の一生にとっていつでもついてまわるものである。一生を通じて固定不変なありかたである。
 それで、動詞は実体の属性の中で運動し発展し変化するものをとらえて表現し、形容詞は静止し固定し変化しないものとらえて表現する、と一応の区別を与えることができるだろう。つぼみから花になるときは、中の花は赤くても、外がわから見ると赤くないのが赤くなっていき、色の変化として目にうつるから「赤らむ」と動詞の表現になる。
 ここで、「ある」が動詞で「ない」が形容詞である理由がわかる。時間的空間的な存在というものは、ほかの属性が変化しなくても、ありかたとしてここからあそこへと変化するから、動詞として表現される。これに対して「ない」は「本がない」「金がない」とか特殊の規定された無を対象としている。無の変化は、無でなくなること、すなわち「ある」に変化することである。それで「ない」は変化しないものとらえて表現する形容詞のかたちをとったのである。次に、
● 本が(なくなる)。
 について考えてみる。これは、言い換えると無が生まれたことを表現している。無があるというと矛盾を感じるが、現実それ自体が矛盾なのだからこれは当然である。この文は、実体「本」の有から無への運動をとりあげていて「なる」は《運動そのものを》、「なく」はその《結果としての静止》を表現しているのである。
● 発展し変化する属性の表現(図・火鉢の上にやかんが乗っている)
    (a)・やかんの中は水
↓わかす  つめたい     つめたくなる    ↓ あたたむ
   (b)・やかんの中はぬるま湯
↑ひやす  あたたかい(ぬるい)  あたたかくなる(ぬるくなる)
   (c)・やかんの中は熱湯
    あつい         あつくなる  ↑  ぬるむ
上の図は、動詞と形容詞の相互移行が、対象のありかた、そのとらえかたとどういう関係にあるかを示している。
 属性が運動し発展し変化するするものであっても、その一つのありかたとしての静止あるいはある限界の中での不変としてとらえるときは、形容詞として表現する。客観的に同じ属性であっても、とらえかたがちがえば動詞で表現することにも形容詞で表現することにもなるわけである。図の(a)から(c)への変化を「わかす」といい、(c)から(a)への変化を「ひやす」という。これは動詞である。しかし、この変化の中にある属性を、一定の限界の中では不変なものとしてとらえるならば、それぞれの場合に「つめたい」「あたたかい」「あつい」など形容詞で表現する。さらに、この属性のありかたが、運動の結果としての静止であることを表現したいときは、これらの静止の表現に、属性を発生として運動においてとらえたことの表現である「なる」をつけ加えて「あたたかくーなる」というかたちをとらせる。進んで、この属性のありかたを一語で表現するように、「あたたむ」「ぬるむ」などのかたちにかわって、形容詞から動詞への移行が完成する。
 命令することは、現在のありかたを変えることの要求である。形容詞に命令形のないのはこの理由にもとづいている。けれども、ありかたを変えた結果の静止ということもあるから、この場合には形容詞に動詞を加えて、
● (あたたかく)(なれ)。
 と表現する。


【感想】
 ここでは「属性表現の二つの形式」、動詞と形容詞の関係について述べられている。著者は、事物(実体)の属性が、運動・発展・変化する場合は動詞で表現する、属性が静止、固定し、変化しない場合は形容詞で表現する、と「一応の区別」をした上で、形容詞から動詞への移行をわかりやすく具体的に説明しているので、たいへん参考になった。
 また、存在をあらわす「ある」が動詞で、非存在をあらわす「ない」が形容詞である理由もよくわかった。存在するものは、運動・発展・変化する属性を持ち、存在しないものは静止、固定、無変化という属性を持っているということであろう。
 さらに著者は、火鉢に乗っているやかんの図を示して、「発展し変化する属性の表現」を説明している。やかんの中が水であれば、「つめたい」。それを「わかせ」ば「あたたかくなる」、水は「あたたかい」または「ぬるい」、もっと「わかせ」ば水は沸騰し「あつくなる」、水は湯に変化して「あつい」。それを「ひやせ」ば「ぬるくなる」、もっと「ひやせ」ば「つめたくなる」、そして「あたたかくなる」ようにすることを「あたためる」(あたたむ)といい「ぬるくなる」ようにすることを「ぬるめる」(ぬるむ)という。  動詞と形容詞の関係、形容詞から動詞への移行の「実情」を、心底から理解・納得でき
た。ただ一点、「本がなくなる」の例文で、著者は「これは、言い換えると無が生まれたことを表現している。無があるというと矛盾を感じるが、現実それ自体が矛盾なのだからこれは当然である」と説明しているが《現実それ自体が矛盾なのだから》という一節は、唯物論を究めていない私には理解不能であった。(2018.1.24)