梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「日本語はどういう言語か」(三浦つとむ著・季節社・1971年)通読・3

2 言語表現の二重性
【要約】
 言語の音声や文字の特徴はどこに求められるか。
(文字の)感性的なかたちの変化は、そのかたちが一定の種類に属するかぎりにおいて、その範囲を出ないかぎりにおいては自由だが、たとえ小さな変化であっても、そのかたちが他の種類に転化するような場合には許されない。(〇肉筆→活字 ×大→犬)
◎言語の意味は、感性的なかたちそのものにつながっているのではなく、それが一定の種類に属しているという普遍的な面につながっているのである。この普遍的な面の創造こそが言語としての表現なのである。
 本来の言語は話し手、書き手による感性的なかたちの創造だが、感性的なかたち全体が言語としての表現ではなく、一定の種類に属しているという普遍的な面だけが言語としての表現である。だから、人間の創造ではなく自然に存在するものであっても、一定の種類に属しているもので、ほかの人に贈ったり、贈られたりするような条件をもつものなら、その一定の種類の面を日常の言語と関係づけて、言語の代用品にすることができる。(例・「花言葉」、しかし本来の言語と同じ性格をもつかのように誤解してはならないが・・)
◎言語の重要な特徴の一つは、対象の感性的なありかたと表現形式の感性的なありかたとが直接の関係を持っていないという点である。
「言語が、特定個物を、一般化して表現する過程であるということは、言語の本質的な性格である」(時枝誠記・「国語学言論」)
「言語における描写ということと、絵画における描写とは、本質的に異なるものである」(時枝誠記・「国語学言論」続編)
◎言語は感性的な面での表現ではないにもかかわらず、相手の感覚に訴えるためにはどうしても感性的なかたちに表現しなければならない。これは矛盾である。しかし、この矛盾を実現させなければ言語表現は成立しない。従って、言語は、言語本来の表現である普遍的な面での表現のほかに、特殊的な感性的なかたちの創造としての表現もかねそなえた、二重の表現として成立する。
●「バカ!」(大声)
●「ぼくは・・・とうとう・・・やられちゃったんだ・・・」(ゆっくり話す) 
●「あの男ときたら、(K君まで)だましたんだ」(部分の強調)
●「浜の真砂と五右衛門が、歌に残した盗人の、種は尽きざる七里ヶ浜、その白浪の夜働き・・・」(リズムを持つ表現)
 これらの感性的な面は、言語の意味とは無関係ではないが、言語としての表現ではなく、音としての音としての表現である。詩や歌のリズムは、作者の思想が、一面では本来の言語表現として、一面では感性的な表現として、二重性をもってあらわれたものである。
 街頭の看板やポスター、広告などには装飾文字が使われている。これは一面においては言語であり、同時に他面においては絵画である。
 歌曲も一面においては言語であり、他面においては音楽である。作詞者は言語としての創造を行い、作曲者はこれを受け取って音楽としての創造を行う。歌手は作詞者の創造と作曲者の創造の上に、声による表現を行う。それによって作詞者の創造と作曲者の創造が統一されたものとして生かされ復活する。
 履歴書の自筆・直筆には本人の表現能力(言語の二重性)が現れる。履歴の内容のみならず、「うまい字」が書けるか、「誤字」はないかなどを会社は知りたいのである。
 身振りも、言語としての特徴を持っていれば 、言語である。
(A)「本のあつさは(こんなもの)だよ」
「釣れたのは(このくらいの)魚さ」
(B)「すまないがこれ(指で円をつくる)を貸してくれないか」
  「君のこれ(小指を立てて見せる)によろしく言ってくれ」」
 Aの身振りは、いわば身体でこしらえた絵画であり、Bは「金銭」「彼女」という概念を表現するものとして社会的に約束されているので、言語としての本質を持っており、いわば身体でこしらえた言語だと考えられる。


【感想】
 ここでは、言語表現の二重性について述べられている。要するに〈言語は感性的な面での表現ではないにもかかわらず、相手の感覚に訴えるためにはどうしても感性的なかたちに表現しなければならない。これは矛盾である。しかし、この矛盾を実現させなければ言語表現は成立しない。従って、言語は、言語本来の表現である普遍的な面での表現のほかに、特殊的な感性的なかたちの創造としての表現もかねそなえた、二重の表現として成立する〉ということである。言語本来の普遍的な面での表現とは、概念を表す(意味を伝える)ということであり、特殊的な感性的なかたちの創造としての表現とは、話し手の「音声」、書き手の「文字」ということである。音声には話し手の心情(感性的なかたち)が伴う。やさしい声、落ち着いた声、怒った声、あせった声などなど。「文字」にも書き手の心情が表れる。ていねいな字、力強い字、乱暴な字、弱々しい字などなど。「バカ!」という言語でも、怒りながら言う場合と、笑いながら言う場合では表現したい内容が異なるということである。「山」という字を、細長く書いても、平らに書いても、目の前の山を文字で描くことはできない。「山」は、山であって、海でも川でもない、ということが言語本来の普遍的な面での表現だということになる。
 現代では、メールのやりとりの中で、様々な「絵文字」(記号)が多用されているが、その是非について著者ならどのように評価されるだろうか。
(2018.1.1)