梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

続・「衆院選2017」の《構図》

 「衆院選2017」は首相Aと副首相A’の暗躍・私闘によってもたらされた茶番劇である。彼らはおのれの私欲(権力欲)のために国政を私物化しているのである。Aが衆議院を解散したのは、「今なら勝てる」とA’にそそのかされたためであり、A’には首相の座からAを引きずり下ろす魂胆があったことは、すでに述べた。
 それから1週間余りがすぎたが、情勢はA’のもくろみとは裏腹に、Aの優勢が伝えられている。気の毒なのは野党第一党の座から転がり落ちたM、新党を結成したK、そしてEらの面々・・・、「権力の支配は反権力を分断する」という分割統治の原理を絵に描いたような有様で、それに付き合わされる国民もまた被統治者として「主権」を奪われているということである。
 選挙のたびに、私は「棄権」「不参加」を表明してきた。なぜなら、支持する立候補者、政党が見当たらないからである。投票が「主権」の行使であるという詭弁に騙されてはいけない。支持しない立候補者、政党に一票を投じることは、断じてできない、だからするべきではない。それが国民の「権利」である。
 現代の政治は、A、A’、K、M、E・・・、その他、有象無象の「職業政治家」によって私物化されている。彼らの立場は公僕である。国民の生命、財産、安全を保障するために奉仕しなければならない。だが事実は正反対である。当選した瞬間には万歳を三唱し、国民から「センセイ」と奉られ、選良としての虚栄を誇示しはじめる。その姿がいかに貧しく、みすぼらしいものであるかにも気づかない。ひたすら国民に従い、みずからは清貧に甘んじ、辛酸をなめることを厭わない、そうした信条こそが、今「政治家」に求められているのである。
 「衆院選2017」の結果は、すでに出ている。AがA’の奸計を払拭し、K、M、E・・・ら野党の惨敗に終わるだろう。だがしかし、同時にAの実態は「首提灯」、すでに首は胴につながっていないこともたしかである。(2017.10.15)