梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「満面の笑み」《場末飲食店に現れた観音菩薩》

 午後10時過ぎ、チェーン店「松屋」で、320円の牛めしを食べていると、一人の若い女性客が入ってきた。食券の自動販売機を前にして、しばらく思案している。この店は、〈株式会社松屋フーズ(まつやフーズ、英称:Matsuya Foods Company, Limited)は、牛丼(牛めし)・豚丼(豚めし)・カレー・定食などを販売する「松屋」などの飲食店をチェーン展開している企業〉ということで、24時間営業。その利用者は、大半が独身の男性客、若いサラリーマン、フリーター、高齢者、たまに一人暮らしの女性高齢者も混じる、といった案配で、若い女性が一人という場合は、弁当を注文、「持ち帰る」ケースがほとんどである。件の女性も「多分、弁当だろうな」と思っていたが、ようやく券売機のボタンを二カ所押し、電子マネーのカード(スイカ)で精算すると、こちらのカウンター席を振り向いた。その顔を見て、私は少なからず衝撃を受けた。「満面の笑み」を浮かべているのである。(私の)正面の席に座ると、これもまた若い女性店員(中国人)に、「満面の笑み」を浮かべて、食券を手渡す。あたかも二人は、親友もしくは家族(姉妹)であるかのような風情で・・・。彼女は、(店員が差し出してくれた)コップの水を、一口飲むと、小声で「おいしい」と呟いた。その時もまた、「満面の笑み」を浮かべているのである。なんと汚れのない微笑みであろうか。誰に対するというわけでもなく、彼女の内面から自ずと湧き上がる微笑み、それは、今、こうして生きていることが「うれしくてたまらない」という「感謝」の表れである、と私は確信した。時間は深夜近く、ほとんどが男性客の「侘びしい」飲食店の中で、彼女は独り輝いている。やがて運ばれてきた「牛めし」「生卵」「豚汁」を前にして、「満面の笑み」は最高潮に達する。店員に向かって、無言で投げかけられる「満面の笑み」を見て、私の衝撃も最高潮、次から次へと流れ出る、感動の涙は止まらなかった。「美味しい食材をありがとう」という、彼女の純粋無垢な心情が、煩悩に汚れた私の「生き様」を完膚無きまでに叩きのめしたからである。「人々皆仏性有り」といわれているが、彼女が「観音菩薩」であることは間違いない。だが、現世では、おそらく「はぐれ者」、もしかしたら「障害者」というレッテルを貼られているかもしれない。場末の侘びしい飲食店、誰に気づかれることなく現れた観音様に、私自身はは日々の我欲をすっかり洗い流して頂く「喜び」に出会えたのであった。「生卵」にかけるのは醤油、これはソース?などとボトルを手にして神妙に調べている彼女の「お姿」に、(心の中で)合掌、望外の幸せを噛みしめつつ、その場を辞去した次第である。(2011.11.1)