梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

映画「夜ごとの夢」(監督・成瀬巳喜男・1933年)

 ユーチューブで映画「夜ごとの夢」(監督・成瀬巳喜男・1933年)を観た。この映画の面白さ(見どころ)は、何と言っても「配役の妙」にある。小津安二郎作品でお馴染みの坂本武、飯田蝶子コンビが阿漕な仇役、齋藤達雄が救いようのない無様な男を演じ、吉川満子、新井淳が思い切りお人好し、善人夫婦の景色を醸し出す、そのコントラストがたまらなく魅力的であった。
 主人公はおみつ(栗島すみ子)という名のシングルマザーである。一人息子の文坊(小島照子)が出世することだけを生きがいに、酒場の女給に甘んじている。冒頭は、おみつが(空しい出稼ぎの)旅を終えて、古巣の佃島に帰ってくる場面、馴染みの船員(大山健二、小倉繁)と渡船の桟橋で出会った。おみつがタバコを一本所望すると、船員は気前よく差し出しながら「お前が居ないと、酒場は火が消えたようだぜ」などと言い「どうだい、船で遊んでいかないか」と誘うが「話があるんなら、今晩、酒場で聞くよ」と言い残して渡船に乗り込む。乗客の白い目が一斉に彼女に注がれた。 
 数分で船は佃島に着く。おみつが向かったのは懐かしいわが家(といっても二階一間の貸間にすぎなかったが)、「夜ごとの夢」に見た愛しい文坊が待っていた。文坊の面倒を見て居てくれたのが隣部屋の夫婦(新井淳、吉川満子)、絵に描いたような善人で、文坊を孫のように可愛がっている。夫は電気会社の中年外交員、子どもには恵まれなかったようだ。文坊はおみつの顔を見るなり「おかあちゃん!」と叫んで抱きついた。しっかり抱きしめながら妻に礼を言う。「永いこと面倒を見て頂いてありがとうございました」。文坊はおみつに「お土産は?あたいおとなにしていたんだよ」。でも、おみつには何も持ち合わせがない。「今晩、もってくるからね」とごまかした。「そう言えば、留守中に男の人が訪ねて来ましたよ」と妻が言う。おみつには心当たりがあるようだったが、顔を曇らせるだけであった。その晩からおみつは店に出た。酒場はいつものように酔客で繁盛の様子、一息ついたところでおみつは女将(飯田蝶子)に借金を申し込む。文坊へのお土産と、面倒を見てくれた夫婦に御礼をしなければならない。しかし女将の返事はつれなかった。「帰ってくる早々、どんな金が要るんだい。もうすこし稼いでからにしてもらいたいね」。そこに「その金、俺に立て替えさせてもらおううか」という声が聞こえ、船長(坂本武)が入ってきた。おみつに金を渡して「俺は前からお前に目をつけていたんだぜ」とにやけまくる。その様子を「あたしゃ知らないよ、どうぞ御勝手に」という素振りで眺めている女将の表情が、(小津作品の坂本武と飯田蝶子の関係を知っているだけに)何とも可笑しかった。おみつは船長の金を頂いて、文坊へのお土産を買い深夜に帰宅する。文坊はまだ寝ないで隣室の夫婦と遊びながら待っていた。夫は「なあんだ、お土産をお待ちかねで寝なかったのか」と文坊の頭をなでたのだが・・・。待っていたのは文坊だけではなかった。妻が言う。「この前の男の人、今日も来て、あんたの部屋で待っているの」。おみつは固辞する夫婦に礼金を渡し、自室に行くと、男がうたた寝をしている。三年前、妻子を捨てて雲隠れした前夫・水原(齋藤達雄)だったのだ。叩き起こし「出て行っておくれ、あんたとあたしは、もう赤の他人なんだ」「それが昔の男に浴びせる言葉か」「ふん、聞いて呆れるよ。あたしたちを放り出しておきながら、よくのめのめと会いにこれたもんだ」「あの時のことは俺も自分に愛想が尽きている。どうか一時でも坊やの父親にさせてもらいたいんだ」。おみつは水原に帽子を被せて追い出す様子、そこに顔を出したのが文坊と隣室の夫婦、「文坊のお父さんでしたか、それとわかっていたら・・・」などととりなすが、水原は「いえ、いいんです。もう坊やの顔を見られたので思い残すことはありません」と、部屋を出て行こうとする。夫婦は、まあまあと必死に止めるが、水原の気持ちは変わらなかった。階段を降りてとぼとぼと去って行く。夫婦が「あんた、本当にそれでいいのかい?文坊にはお父さんが必要だよ」と言うと、おみつの表情が一変した。「そうだ、強情ばっかり張ってはいられない」、慌てて水原を呼び止める・・・。かくて、親子三人の新しい生活が始まったかに見えたのだが・・・。水原には思うような仕事が見つからない。隣の外交員が口を探してくれたが、世の中は不況のどん底で、人では余っている。水原にも才覚は感じられず、毎日、文坊や近所の子どもたちと遊び呆けている。「やっぱり、俺はだめなんだ」とおみつに愚痴をこぼし出す。おみつは、何とか励まし続けて店に出ていたのだが、強欲な船長がしつこくつきまとう。ある夜、水原が居酒屋に赴いてその場面を目撃、
おみつを助け出したつもりになっていたのだが、「おかしくって、あんな奴になめられてたまるかってんだ」「あの位の出入りが怖くて女給商売ができるものか」と、おみつは動じない。「何だって、お店なんかに来たのさ」「もうあんな商売やめてくれないか」「あんたが養ってくれるとでもいうの」などと夜道を歩きながら語り合ううちに、とうとう水原の心が決まった。「俺は、働く!」。・・・・、翌日、勇んで「職工募集」の会社を渡り歩いたがすべて断られた。おみつが「どうだった?」と問えば「やはり、俺なんかこの家にいない方がいいんだ」と弱音を吐く。おみつが「安心おし、あんたの顔に泥を塗るようなことはしないから」などと言っている時、どやどやと近所の子どもたちが駆け込んで来た。「文坊が自動車に轢かれた!」慌てて、家に運び込み医者(仲英之助)を呼ぶ。一命はとりとめたが右腕は複雑骨折している。病院で手術を受けなければならない。おみつは、化粧を始めた。「こんな時に出かけるのか」と水原が問えば「女将さんに相談してくる」と言う。あの船長の言いなりになって、金を作ろうとするのか、そう考えると水原の気持ちは居ても立ってもいられず、「俺が友だちに借りてくる」と部屋を飛び出した。行く先はお決まりの銀行、それとも郵便局、押し入って金銭を強奪、警官に追われ腕に被弾したが、何とか戻って来た。札束を渡されたおみつは驚いて「その傷はどうしたの?」と問い質したが、答はわかっていた。「そんなことをしてくれと誰が頼んだ」とその場に泣き崩れる。
でも済んだことはしかたがない。おみつは札束を水原に握らせて「あんた、自首して。神妙に勤めれば、また三人で暮らせるんだから」。外には警官の気配がする。水原はうなずき「坊やを頼んだよ」と言い残して、闇に紛れた。
 翌朝、けたたましく隣室の外交員たちが駆け込んで来た。「あんたの亭主が、身投げしたんだ!」。おみつは渡船の桟橋に走ったが、すべては後の祭り、覆水は盆に返らなかったのである。刑事(西村青児)から遺書を手渡される。そこには「俺なんかどうせ死んでしまった方がいいんだ。呉々も坊やを頼む」と記されていた。戻る道、バッタリと船長に出会う。相変わらずにやけて「お前の亭主だっていうじゃねえか」という言葉に、キッとして睨みつけ、思い切りピンタ一発、腹を突き飛ばして自室に戻る。何も知らずに寝ている文坊・・・。「弱虫、いくじなし。死ぬなんて、この世の中から逃げるなんて。それが男のすることかい」と叫んで遺書を食いちぎる。やがて、なすすべもなく力が脱けて、文坊の枕元に泣き崩れるうちに、この映画は「終」となった。
 前述したように、この映画の見どころは、坂本武、飯田蝶子の阿漕ぶり、齋藤達雄の無様さだが、文坊が事故に遭ってからの展開は、3年前(1930年)に作られた小津安二郎監督作品「その夜の妻」に酷似している。そこでは妻(八雲千恵子)が夫(岡田時彦)に「早く逃げて」と手引きをするが、夫は立ち戻り刑事(山本冬郷)に捕縛(自首)される。男同士の意気地が感じられるが、この水原という男は、死後も「弱虫、いくじなし」と罵られる体たらく、まさに成瀬巳喜男監督が描き出そうとする《男性像》の極め付きであった。一方、栗島すみ子の、どこか崩れた《女性像》、朋輩の女給(沢蘭子)との交流も水商売風だが、わが子の前ではどこまでも優しい慈母の風情が魅力的である。やはり成瀬監督ならではの演出が随所に散りばめられていて、小津作品とのコントラストが鮮やかに浮き彫りされる名品であったと、私は思う。(2017.7.30)