梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

映画「女の歴史」(監督・成瀬巳喜男・1963年)

 ユーチューブで映画「女の歴史」(監督・成瀬巳喜男・1963年)を観た。この映画には三組の男女が登場する。一は清水幸一(宝田明)と信子(高峰秀子)の夫婦、二は幸一の父・清水正二郎(清水元)と母・君子(賀原夏子)の夫婦、三は幸一の息子・功平(少年期・堀米広幸、成人後・山崎努)と恋人・富永みどり(星由里子)のカップルである。 時代は戦前、戦中、敗戦直後から戦後にかけて、舞台は東京深川、栃木の疎開先、東京自由が丘へと移りゆく中で、男は次々と死に、女だけが「たくましく」生き抜いていく、文字通り「女の歴史」が鮮やかに描かれていた。その主人公・信子は深川の商人・増田兼吉(藤原釜足)、つね(菅井きん)夫妻の娘として成長し、木場の材木問屋の息子・幸一と見合いで結ばれた。まもなく一子・功平が誕生したが、幸一の父・正二郎は湯河原で馴染みの芸者と情死、幸一も応召し戦死する。信子の実家も東京大空襲で全滅、信子は女手一つで姑の君子を養い、息子の功平を育てることになった。戦中は防災訓練、疎開先の畑作業、戦後は闇屋などと「力仕事」も健気にこなす。闇屋の得意先、美容院を経営する三沢玉枝(淡路恵子)の縁があったか、信子も美容院を開業、功平も成人して自動車のセールスマンになった。マイカーで着々と顧客を増やし、会社では有望株、接待で行きつけのキャバレー・ホステス富永みどりと恋仲になり結婚の約束をする。信子に承諾を求めたが拒否され、功平はさっさと団地で新所帯を構える。しかし、突然の交通事故で功平も他界、つまりは信子と姑の君子だけが残される羽目に・・・。葬儀も終えたある雨の日のこと・・・、信子は生きがいをなくし放心状態、功平の遺影を前にして、君子は「これであんたもあたしも他人になった、あたしは老人ホームに入るよ」と言う。「お母さんさえよければ、あたしは今のままでいいのよ」などと語り合うところに、突然、みどりがやって来た。信子は「ここはあなたの来るところではない。功平をあたしから取りあげて、命まで落とさせてしまったんだ。早く出て行って」となじる。みどりは「私のお腹には赤ちゃんがいます」。信子は一瞬絶句、「・・・誰の子どもかわかりゃあしない」「戸籍も入っています。この謄本を見て下さい」。君子が「へえ、功平は戸籍まで入れたのか」と、うれしそうに取りなしたが、「おばあちゃんは黙っていて下さい」と突っぱねた。売り言葉に買い言葉、みどりは「では、殺します。お金をください」。信子は札束をみどりの前に放り出す。たまらず、みどりは立ち去った。君子が「アレ、お金、置いて行っちゃったよ。男なんて勝手なもんだ。あたしの亭主も、幸一も、功平も、女に子どもを産ませてさっさと逝ってしまった。今度、生まれてくるときは、あたしは絶対、男にするよ。・・・でも、功平の子どもがいたなんて、おしい気もするねえ」と言う。その嘆きを聞いて信子の気が変わった。あわてて、みどりの団地に向かいドアを叩いたが留守、隣人(塩沢とき)が「今まで、家に居たんだけど、病院に行きましたよ」。信子は病院にかけつけ受け付けで問い合わせる。「さきほどお帰りになりましたよ」「では、手術は終わって?」「いえ、今日は診察だけです。母子手帳を貰いに来たんです」「・・・・」。信子の表情に安堵の色が見えた。雨の中、団地に帰るみどりの姿、タクシーが追い着いて、信子が降りてきた。一瞬、見つめ合う二人、信子は「さっきは、ひどいことを言ってゴメンナサイね。初めからあなたに会っていれば、こんなことにはならなかった。あたし自分のことしか考えていなくて・・・」と謝ったが、キッと表情を固くするみどり、そのまま行き過ぎようとして振り返ると、信子が雨に濡れて立ち尽くしている。みどりも女である。そばに寄ると、「濡れますから、家にどうぞ」という一言で、二人の誤解はとけたのであった。 
 大詰めは一年後、自由が丘の美容院、みどりも美容院で働いていた。生まれたのは功という名の男児、今日も君子が公園に連れ出して遊んでいる。信子が迎えに行けば、功は一人で遊んでいた。「イサオ、危ないじゃないの」と抱き上げると、君子はブランコで老爺と談笑中、信子に気がついて終わりにする。「おばあちゃん、功を一人にして、危ないじゃないの」「大丈夫、ちゃんと見ているんだから。それにしても、あのおじいちゃん、へんなおじいちゃんだよ。こんど一緒にヘルスセンターに行かないかって、あたしを誘うんだもの」。信子は呆れて「へえ、でもおばあちゃんだって、相当へんなおばあちゃんだわよ」などと語り合ううちに、この映画は「終」となった。
 前述したように、「女の歴史」とは、姑・清水君子、嫁・清水信子、義娘・富永みどりへと受け継がれる三代の歴史である。三人の連れ合い、清水正二郎、清水幸一、清水功平という男たちはいずれも、早々に歴史の舞台から姿を消した。正二郎は情死、幸一は戦死、功平は事故死、まことに呆気ない死に様であったが、もう一人、秋本隆(仲代達矢)という男がいる。彼は幸一の親友で、やはり応召したが戦地に赴くことなく生還した。戦後まもなく信子の窮状を救ったが、事業の失敗で姿をくらます。その頃、幸一には恋人・木下静代(草笛光子)が居たことが発覚、信子は秋本を頼りに思っていたのだが・・・。ほぼ十数年ぶりに、秋本と信子が偶然、渋谷で再会した時には、秋本はすでに結婚、成人に近い娘(宮本豊子)もいる始末で、男の身勝手さ、甲斐性のなさが際立つ場面であった。
 そんな中、一際、光彩を放っていたのは姑・清水君子の生き様である。服毒死した夫・正二郎を引き取りに行った湯河原で、もう一人の亡骸(情死の相手)に遭遇、その時は猛り狂ったが、以後は、好々爺ならぬ好々婆として信子に支えられながら支える、そのアッケラカンとした風情を、女優・賀原夏子は見事に描出していた。とりわけ、訪ねて来たみどりに、信子が悪口雑言を浴びせ追い返した後、「あんたもずいぶん強い女になったねえ、あたしならあんなことは言えないよ」という一言は印象的であった。どちらかといえば「陰」の嫁に対して「陽」の姑というコントラストが、二人の固く結ばれた「女の絆」をいっそう鮮やかに浮き彫りする。終始一貫、「女のたくましさ、したたかさ」を追求した、名手・成瀬巳喜男監督、渾身の一作であったと、私は思う。
(2017.7.28)