梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

映画「サーカス五人組」(監督・成瀬巳喜男・1935年)

 ユーチューブで映画「サーカス五人組」(監督・成瀬巳喜男・1935年)を観た。この映画、タイトル、スタッフ、キャスト紹介までの画面は鮮明であったが、物語が始まった途端に、どこがどこやら、誰が誰やら、茫として判らない。要するに、フィルムが劣化して霞がかかっているのだ。それもまた一興、古文書を解き明かす思いで、画面に見入った次第である。鮮明なタイトルには「古川緑波原作、成瀬巳喜男演出」と添えられている。「配役」には、以下の名前があった。大川平八郎|宇留木浩|藤原釜足|リキー宮川|御
橋公|堤真佐子|梅園龍子|丸山定夫|三条正子|森野鍛冶哉|清川虹子|加賀晃二|とある。
 サーカス五人組とは、幸吉(大川平八郎)、虎吉(宇留木浩)、甚五(藤原釜足)、六太(リキー宮川)、清六(御橋公)のことである。彼らはブラスバンドの街頭宣伝マン、当時はジンタ、今ではチンドン屋とも言う。おぼろげな映像から想像すると、五人は仲が良く強い絆で結ばれており、幸吉と清六、虎吉と六太はいつも行動を共にしているようだ。猛暑の夏、一行は山沿いの港町を流していた。一仕事終え、(三里ほど離れた)ある小学校に運動会の仕事を頼まれて行ってみると、「今年は運動会は延期になった、来年の春に来てもらいたい」と言われがっかり、・・・校庭で「ジョージア行進曲」(パイのパイのパイ)を演奏して立ち去った。
 一行は仕事にあぶれ商人宿でたむろしていると、ジンタが聞こえてきた。今夜から「旭演芸大曲馬団」の興行が始まるらしい。曲馬団の団長(丸山定夫)には二人の娘がいた。姉の千代子(堤真砂子)は男勝りのしっかり者、妹の澄子(梅園龍子)はおとなしく、しとやかで涙もろい。澄子は団員の邦男(加賀晃二)と恋仲、千代子が間をとりもって、「二人で逃げなさい」と言うのだが、ふんぎりがつかない。団長は、最近、女房(姉妹の母)に逃げられてやけ気味、イライラが募って団員に当たり散らしている。
 夜になった。五人組の幸吉と清六、虎吉と六太は連れ立って曲馬団に赴くが、なぜか甚五は居残る。早くも女中にちょっかいを出したい様子、そこに旅姿のお清(清川虹子)が訪ねて来た。馴染みの女で、甚五を追いかけて来たらしい。甚五はお清を巻いて外に逃げ出す。そこで目にしたのが千代子、興行は終演、澄子と邦男の逢い引きを見守ってたのだが・・・、甚五はまたまたちょっかいを出そうとしたが、反対に「舐めたマネをすると承知しないわよ」と追い払われた。千代子を助けたのは虎吉と六太、その時、甚五は浴衣の袖を引きちぎられた。「あんたは曲馬団のお嬢さんだね」「ええ、そうよ。明日も見にいらっしゃいよ」「俺たちも旅鴉でね」「そこまでお送りしましょうか」「結構よ」・・・。
虎吉と六太が宿に戻ると、甚五が居た。「今、そこで面白いこがあったぞ。原っぱで女に絡んできた奴がいたから、張り飛ばしてやったんだ。これがそいつの浴衣だ」。甚五はあわてて蒲団の中に潜り込む。・・・「なあんだ、やっぱり甚さんだったのか」と笑い転げる。そこに幸吉と清六も帰ってきた。カフェで一杯やるつもりが度が過ぎたか、清六は三人に抱えられ「これも浮世か」と呟いて蒲団の中へ。
 次の日も晴天だった。曲馬団の興行は大盛況、空中ブランコ、自転車の曲乗り、姉妹のバレー等などが艶やかに繰り広げられていたのだが、どうも団員の様子がおかしい。団長に対する不満が爆発しそうな空気が感じられる。その夜も幸吉と清六はカフェーで一杯、幸吉が「カツレツ」と注文すると、亭主が「肉屋へ行ってくる」という様子が可笑しかった。待つ間に身の上を語り合う。幸吉は旅回りで終わりたくない、東京に出てバイオリンを弾きたい。清六が「好きでジンタをやっている者はありませんよ」と言えば、そばの女給が「好きで女給をやっている者はおりませんよ」と相づちを打つ。辛い浮世なのである。そこに女の子が入ってきた。「オジサン、お土産買って下さいな」「いくらだい?」「三十銭」「お嬢ちゃんは幾つだい」「十一です」。清六は涙ぐんで、直ぐさまそれを買う。幸吉が訝ると「実は女の子を捨てたんです。女房に死なれてどうしようもなかった。達者で居れば十三になります」。こんなしめっぽい話はよしましょう。あなた、いつもの奴を聞かせてくれませんか、幸吉はレコードを取りだして「おねえさん、これかけて」「東京のはやり歌?」、しかし、クラシックのバイオリン曲が流れ出し、店の客は白けるばかりであった。
 翌日、五人組が旅立ちの準備をしていると、曲馬団のマネージャー・松本(森野鍛冶哉)がやって来る。曲馬団にとうとう危機がやって来た。楽士、男性団員が職場放棄をしたのである。「楽団を引き受けてもらいたい」。一同はテントに赴き、夜の興行に備える。松本は五人にも曲芸をするように誘い、清六にはピエロ、甚五には一輪車、虎吉にはブランコ、六太には歌唱、幸吉にはバイオリンの役を振り当てた。団長はまず皮切りに、自らの射撃芸(ねらい撃ち)を披露、次は花子(三條正子)の足芸、甚五、虎吉、六太が得意のジンタで盛り上げる。いよいよ、五人組の出番、歌唱の六太は「まあまあ」の出来であった。さもありなん、六太役のリキー宮川は「ダイナ」を得意とする、れっきとしたジャズシンガーなのだから。舞台では主題歌の「悲しきジンタ」を披露したが観客の反応は今ひとつ、しかし私自身は拍手喝采、その歌声を聞けただけでも望外の幸せであった。次は清吉、レビューに混じって踊るピエロは大受け、報酬をもらうと直ちに足芸の花子(三條正子)にプレゼントする。先刻、花子が団員の衣装の中から小銭を掠めるところを見咎めたのだ。すぐに千代子がやって来て「おばさんが病気って言わなかった?」。清吉が肯くと「それは嘘、いつもそうやってお金をせびり、飲み食いするの。早く取り戻していらっしゃい」。しかし、清吉は首を振った。捨てた娘同様に、花子を可哀想だと思っていたからに相違ない。いよいよ幸吉の出番となったが、バイオリン演奏はどっちらけ、「早く止めろ、引っ込め!」という怒号とともに、ミカンの皮、紙つぶてなどが飛んでくる。傷心の思いで引っ込むと、ただ一人、千代子だけが「素敵だったわ、どこかで成功することを祈っている」と励ましてくれた。この幸吉と千代子は、すでに「いい仲」になっていたということである。
 団長は、名誉挽回のため澄子を連れて登場、澄子だけの空中ブランコが始まった。その時、どやどやと、職場放棄の男性団員が入り込んできた。団長は「何しに来た!」というなり大乱闘を始める。客席は騒然、子どもたちの泣き声も聞こえる。次の瞬間、ブランコに澄子の姿はなかった。ブランコからわざと落下したのだった。
 かくて、この映画は大詰めへ、団長は頑なな姿勢・態度を改め、団員たちを元の鞘に収めたのである。一行は一回限りの「サーカス五人組」を終え、再び「ジンタ五人組」の旅
を続けることとなった。「一日限りでお払い箱になったなあ」「私たちにはこっちの方が合っているんですよ」などと話ながら、海岸の土手沿いにさしかかると、一人の女が佇んでいる。お清である。あわてて逃げ出そうとする甚五の襟首を捕まえて、虎吉が言う。「仏心を忘れちゃだめだぜ」。彼方では名残を惜しむ千代子と幸吉の姿が・・・。「短い御縁ね、でも忘れないわ、あんたのこと」「ボクだって」「早く東京で勉強なさるように、幸福を祈っていますわ」「ありがとう」「じゃ、ここでお別れするわ、サヨナラ」「さよなら」「・・・これが旅なのね」。幸吉は千代子に手を振り、「オーイ」と呼ぶ四人、いや(お清も加わった)五人の仲間のもとに走って行った。
 この映画の眼目は、浮世を渡る「旅」(人生)の切なさ、辛さであろうか。それを支えるのは「人との絆」(連帯)であり、「人情」なのだろう。見どころと言ってもほとんどが靄の中なので、聞きどころの方が優っていた。冒頭の「勇敢なる水兵」に始まり、校庭に鳴り響くヒグラシの声、「ジョージア行進曲」、曲馬団の「蛍の光」「美しき天然」「アラビアの唄」「ドナウ川のさざ波」、テントに聞こえてくるツクツクボウシ、リキー宮川による「ダイナ」「悲しきジンタ」の歌声、幸吉が洗濯に行った川面を泳ぐアヒルの鳴き声、落下して負傷した澄子の寝床に響くコオロギの声、その他バレー曲、自転車曲乗り・足芸を盛り立てる邦楽曲、幸吉が奏でるバイオリン曲等など、聞きどころは満載であった。
 女性映画の名手・成瀬巳喜男監督の作品にしては、男模様の色合いが濃く、やや荒削りだが、それだけに、時代を反映する貴重な逸品であったと、私は思う。
(2017.6.12)