梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

駅前広場にて

 首都圏・常磐線の駅前広場に私が降り立つと、ひとり言を呟きながら、若い男がすり抜けていった。よく見ると乳児を抱えている。そうか、子どもに話しかけていたのかと思い、後姿を見送ると、ベンチに腰を下ろしていた老人男性が突然、大声を出した。「オイ!何だこの野郎、もういっぺん言って見ろ。馬鹿野郎」。乳児を抱えた若い男が振り返り、「そこは禁煙ですよ。そう表示されています」。なるほど、老人男性はタバコを吹かしていた。テンガロンハットもどきの帽子を被り、サングラスをかけている。「オイ、若造!ここに来てもういっぺん言って見ろ」。老人の罵声は止まらない。若い男は、しょうがないと思ったか、「警察に知らせますよ」と言った。「ああ、呼んで来い!早く呼んで来い、馬鹿者!」。若い男は、乳児を抱えて駅前の交番に赴いた。しかし、いつものことだが、交番に巡査は居なかった。(老人はそうした状況を熟知していたに違いない)やむなく、若い男は別の方向に立ち去っていった。それだけの話である。この情景を目にした人は、私も含めて少なからず居たはずだが、一様に無頓着であった。もし、老人と若い男が、今以上に対立を昂じさせれば、何人かが介在するかもしれない。しかし、若い男が立ち去った今、あらためて老人に注意する者は、私を含めて一人も居なかった。なぜだろうか。「面倒なことに関わりたくない」「どんな結果になるか、事態を予測できない」「触らぬ神にたたりなし」という心情が働いたことはたしかである。老人は明らかに規範を犯している。若い男は正当にそれを指摘した。老人に反論する余地はない。にもかかわらず、若い男を罵倒した。なぜだろうか。「つい、カッとなって」だろうか。それとも「お前みたいな若造にツベコベ言われたくない。今の世の中は俺たちが作ってきたんだ」という奢りだろうか。いずれにせよ、無駄な年月を重ねたものである。  
 私は、なぜ若い男のように老人の不法行為(市条例違反・過料2000円)を糾弾しなかったのだろうか。対立の当事者になりたくなかったからである。でも、警察に通報することならできたはずだ。今の世の中を作っているのは、若い男、無法老人を含めて、私たち一人一人である。すべてが当事者であるはずなのに、どうして責任をとれないのだろうか。自分の弱さ、無責任さを噛みしめる他はない。 (2017.6.5)