梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

私の戦後70年・Yちゃん

 父の友人夫妻に伴われて満州から引き揚げてきた私は、小学校入学まで静岡市内にある祖母宅で過ごした。その隣家にはYちゃんという、私と同年齢の男児がいた。まもなくYちゃんにはFくんという弟も生まれ、三人は両家宅の庭先で遊び呆けていたのだが、ある時、異変が生じた。Yちゃんの母親が肺結核を発症したのである。子どもたちは、自宅療養する母親の病室に入ることができなくなった。やがて、私は父に連れられて上京することになったが、春・夏休みには必ず祖母宅に帰省、Yちゃん兄弟との交流は続いた。小学校3年の頃であろうか、Yちゃんの被っている帽子の名前がKからOに変わっている。始めはOという友だちの帽子を借用しているのだと思い、「帽子、借りてるのか」と質したが、Yちゃんは淋しそうに首をふるだけだった。しばらくしてYちゃんの両親は離別、兄弟は父親と郊外の新居に移って行ってしまった。私が高校生になって帰省したとき、Yちゃんの母親が祖母宅を訪れた。「うちのYも○○高に合格したのよ」。母親は、独り高校に足を運んで合格を確かめたという。私は死別、Yちゃんは生別、その幸、不幸は誰にもわからない。(2015.3.26)