梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

映画「東京の合唱」(監督・小津安二郎・1931年)

 ユーチューブで映画「東京の合唱」(監督・小津安二郎・1931年)を観た。保険会社に勤める男・岡島伸二(岡田時彦)が主人公の物語である。冒頭場面は、旧制中学校の校庭、体育の授業が始まろうとしている。大村先生(齋藤達雄)が勢いよく飛び出して、集合をかける。一同が整列、「上着を脱いで集まれ」と号令したが、一人だけ脱がない生徒が居た。「おいお前、上着を脱いでこい」と言われ、渋々脱ぐと上半身は裸、下着を身につけていなかったのだ。その理由は不明だが、一風変わっている。先生に呼ばれると、ヨタヨタと近づく。「やり直し!」と言われて、今度は「行進」の歩様。腰に差した煙草入れ(?)を取り上げられ、一同は大笑い、振り返って舌を出す。「舌を出すとは何事か。この場に立っておれ」と罰せられた。彼こそが、若き日の岡島であったのだ。大村先生と生徒たちの「絡み」がたいそう可笑しく、往時の学園風景が見事に描き出され、私の笑いは止まらなかった。
 その時から幾星霜、今の岡島は会社員、妻・すが子(八雲恵美子)、長男(菅原秀雄)、長女(高峰秀子)、乳飲み子の次男を抱える世帯主である。
 今日はボーナスの支給日、出勤の準備をしていると、長男が「パパ、自転車がほしい。買ってよ」とせがむ。「ママに聞いてごらん」、妻も了承。長女も「あたしにも何か買ってよ」というと、長男が「お前は紙風船、買ってもらったじゃないか、欲ばり!」と小突く。「アーン」と泣き出す、子役・高峰秀子の姿がたまらなく魅力的であった。
 岡島は出勤、いよいよボーナスが支給される昼休み、社員は社長室の前に並んで期待を膨らませる。一人ずつ順番に手渡されて、「いくら?」と思うが、周囲の目がある。確認する場所はトイレの中、中にはあわてて札束を便器に落としてしまう者も居た。岡島もめでたくボーナスを受領、扇風機で鉛筆を削り、何を買おうか予算を立てる。ふと、横を見ると、老社員の山口(坂本武)がふさぎ込んでいる。先刻、解雇を言い渡されたのだ。
山口の勧誘で生命保険に加入した者が、翌日、交通事故で死亡したことが原因らしい。それを聞いて、岡島の反骨心が燃え上がった。「おい、みんな!山口さんは解雇だそうだ。勧誘と事故死は関係ない、会社が金を払うのは当然じゃないか」と呼びかければ、一同「そうだ、そうだ」、同僚の一人(山口勇)が「社長に談判しよう」と提案した。岡島が「よく言った。じゃあ君が談判に行ってくれ」と言うと、とたんにトーン・ダウン、「・・・でも会社に損失を与えたことは間違いないんだからなあ」。岡島が「なあんだ、口ほどにもない奴だ」「何!じゃあ、お前が行けるものなら行って見ろ」といきり立つ。岡島は、平然と社長室に入っていった。深々と社長(谷麗光)に一礼し、談判を始めるが、社長は聞き入れない。秘書(宮島健一)がとりなすが、岡島も引き下がらない。口で争い、扇子で争い、小突き合い、とうとう社長を押し倒す。激昂した社長は、即刻「お前はクビだ」と宣言する。かくて、岡島もまた、失業の身となってしまった。
 フラフラと岡島が自宅に帰っていく。手にしているのは自転車ではなく、オモチャのスクーターだった。待ち焦がれて迎えに出た長男が「自転車は?」と問えば、スクーターを手渡す。今度は、長男が怒り出した。「なんだ、こんなもの!」と言ってスクーターを放り出すなり、泣き出した。やむなくスクーターを拾って家に戻ると、長女が次男をあやしていた。「ママは?」「公営市場に買い物に行ったわ」。岡島は力なく座り込む。そこに長男も戻ってきた。下駄を放り投げ、部屋に上がると障子に穴をあける。ドスンドスンと音を立て岡島に抗議する。「パパの嘘つき!」岡島は再度、スクーターを取り出してなだめたが、長男は頑として聞かず、父を足蹴にした。もうこれまでと、岡島は長男を抱え上げ、数十回の尻叩き、長男は大声で泣き叫ぶ。その様子を長女と次男があっけにとられて眺めている。父子の修羅場はたいそう見応えがあった。やがてすが子が帰宅する。一目散に駆け寄る長男、いったい何事があったのか、「あんまり我が儘を言うから叱ったんだ」事情を聞いて、妻が言う。「パパが悪い。子どもに嘘をつくなんて、どんなにか楽しみにしていたものを」。長女までも「パパの嘘つき」と言って舌を出す。「何が悪い」と言い返してみたものの・・・、岡島は力なく封筒を取り出して、すが子に渡す。入っていたのは解雇通知の辞令。「社長と喧嘩したんだ。こちらの言い分が正当でも、相手が社長だからしかたがない」。うなだれるすが子、気を取り直してスクーターを長男に与え「これで我慢おし」。しかし長男は再び「イヤだ」といって泣き出す始末、その母子の様子を見て、「かわいそうだ、買ってあげよう」と岡島は決めた。一件落着、子どもたちは辞令を紙飛行機に折って遊び始める。岡島も一緒に・・・。
 数日後、岡島は職探し、上野公園(日比谷公園かもしれない)辺りを通りかかると、共に解雇された山口が、サンドイッチマンの態でビラまきをしている。ぶら下げている看板には「健康安全週間・東京市」と記されてあった。しばし、ベンチで二人は語り合う。その向かいでは失業者の親子か、子どもが下駄をぶつけて大泣きしている。「思い切り泣ける子どもがうらやましい」と山口が言う。その時、人々が駆けだして、ただならぬ様子、「動物小屋のクマが檻を破って逃げ出した」とのこと、山口は、見に行こうと誘ったが、岡島は「クマが逃げ出したって僕らの人生には何のかかわりもないじゃないですか」とその場を動こうとしなかった。
 今日もあぶれて岡島が家に戻る道、自転車を買ってもらった長男が、子どもたちに混じって魚掬いをしている。声をかけると「美代ちゃんが病気になった。クズマンジュウが当たったらしい」と言う。あわてて帰宅、すが子は次男を抱きながら氷を砕いている。長女は寝かされて、苦しそう。「なんでクズマンジュウなんか食べさせたんだ」「古新聞を売ったお金が入ったので、せめて子どもたちの好きなものを食べさせてあげようと思って。お医者様は入院させた方がいいと・・・」「金のことが心配なのか。金なんかどうにでもなる。早く車屋さんを呼んでこい」と長男に言いつける。自転車に飛び乗って、長男は車屋へ。かくて入院の運びとなった。和室の病室で一同が待機していると医者の診察が始まる。「この分なら御心配はいりません」という結果に岡島は安堵、長男と家に戻ろうとする。すが子が「ここの支払い、大丈夫?」と問いかけると、岡島はさびしく肯いて帰路についた。
 やがて退院。家族一同は大喜びで家に戻る。岡島と長男、長女は車座になって「手遊び」を始めたが、すが子が箪笥を開けると、中の着物はすべて無くなっていた。驚いて「箪笥の中は空っぽよ」と言うと「そのおかげで、美代子はこんなに元気になれたんだ」と手遊びを続ける。長男がすが子も誘い、やがて四人の手遊びが始まった。子どもたちは大喜びだが、これからのことを思うと、すが子は浮かれられない。精一杯はしゃいでいる岡島を見つめ、そっと涙をぬぐうすが子の姿は天下一品、夫婦、親子の絆が見事に結実した名場面であった、と私は思う。
 次の日も岡島は職探し、職業紹介所の前で珍しい人物に出会った。学校時代の恩師、大村先生である。今では教職を退き、女房(飯田蝶子)と一緒に「洋食屋」を始めたという。「手伝ってもらえないか。その代わりに君の就職口を世話するよ。これでも文部省に知り合いが居るんだ」という依頼に「恩返しのつもりで」と同意、しかし、その手伝いは宣伝の旗持ちだったとは・・・。二本の幟を担いで、先生はビラ配り、「カロリー軒のライスカレー」を広めようとしているのである。たまたま、その情景を市電の中からすが子たちが目にする。岡島の就職を知人に頼みに行く途中であった。
 岡島が帰宅すると、すが子の様子が素っ気ない。「お前も出かけたのかい」「あなたの口を頼みに行ったんです」「それでどうだった」首を振りながら「それより、途中で大変なものを見てしまったんです」「何を?」「あなたを見てしまったんです。あんなことまでしてほしいと頼んでいません」。岡島は悄然として「あの爺さんは、昔の先生なんだ。手伝いをすれば就職口を世話してくれると言うもんだから」「当てになるんですか」「困ったときは、当てにならないことでも当てにするもんだ」。しみじみと窓の外の洗濯物を見つめながら「オレも昔のような覇気がなくなった」と呟く。その姿を見て、すが子の気持ちが変わった。「あたしも、先生の所にお手伝いに行きます!」
 かくて四、五日後、カロリー軒では大村先生を囲んで同窓会が開かれる。岡島が幹事を務めたのだろう。懐かしい面々が一堂に会して昔話に花が咲く。自慢のライスカレーにビールで乾杯、かいがいしく手伝うすが子の姿もある。岡島の子どもたちも手伝いに来ていた。長女はスプーンを配り、御相伴に預かるといった按配で、実に賑々しく活気あふれる雰囲気であった。先生は紋付き羽織に着替えて、威儀を正し、一同に訓示する。その後で「誠に相済まないが、会費は頂戴する」といった一言が可笑しかった。宴もたけなわという時、郵便が届いた。先生が開けると、「岡島の就職口が見つかった」という文部省からの知らせであった。「栃木県の女学校で英語の先生を求めている。君は英語は達者かね」。岡島は一も二もなく承諾、「とにもかくにも行くことに決めようね」とすが子に言えば、寝ている次男を見つめながら「きっといつかは東京に帰って来れますわ」と、都落ちの思いを噛みしめる。
 いよいよ大詰め、すが子も宴席に加わると、遅刻の常連だった同窓生もやって来た。先生の「君は相変わらずだね」に皆は大笑い、一同が起立して「寮歌の合唱だ!」。「三年の春は過ぎやすし 花くれないのかんばせも 今わかれてはいつか見む・・・」と歌いながら、大村先生と岡島は、ふと涙ぐむ。「よかったなあ、おめでとう」「ありがとうございました」という師弟の絆が浮き彫りされ、やがて二人には笑顔が・・・、岡島の覇気は今、蘇ったかと思われるうちに、この映画は「終」を迎えた。
 この映画の見どころは満載だが、一に、子どもたちの生き生きとした姿であろう。長男・菅原秀雄の利かん気、腕白振り、長女・高峰秀子のやんちゃ振り、おしゃまな風情、さらに次男の可愛さも見逃せない。彼の演技は「泣く」「眠る」「手足を動かす」「じっと見つめる」程度だが、思わず抱きしめてみたくなる魅力を放っている。二に、大村先生の飄々とした風格である。ある時は厳しく、ある時はコミカルに、そして極め付きは温もりのある優しいまなざし、まさに「我が師の恩」を感じさせる教員の姿を、齋藤達雄は見事に演じきった。小津安二郎監督は、以後も「一人息子」(1936年)でトンカツ屋になった元教員(笠智衆)、「秋刀魚の味」(1963年)でラーメン屋になった元教員(東野英次郎)を描いている。その初代としての貫禄は十分であった。三に、岡島を演じる岡田時彦とすが子を演じる八雲恵美子の「夫婦愛」である。どこか型破り、反骨心旺盛だが頼りない夫に、気をもみながらも付いていく健気な妻、「夫唱婦随」の生き様に秘められた愛情が鮮やかに描き出される。二人は前年作の「その夜の妻」でも、夫婦役として共演しているが、その時に比べて「絆」がいっそう強まっているように、私は感じた。 
 終わりに、この映画のタイトルは「東京の合唱」と書いて「東京のコーラス」と読む。しかも寮歌をコーラスするなど、現代では唐突とも思われるが、そのコーラスが登場するのは大詰め、しかもエンディングを飾るという演出は心憎いばかりである。数多い小津映画の傑作の中でも、屈指の名品であることは間違いない。
(2017.5.31)