梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

映画「にごりえ」(監督・今井正・1953年)

 ユーチューブで映画「にごりえ」(監督・今井正・1953年)を観た。樋口一葉の「十三夜」「大つごもり」「にごりえ」が原作、三話の長編(130分)オムニバス映画である。文学座、前進座、東京俳優協会の錚々たるメンバーが顔を揃えており、第一話「十三夜」では、丹阿弥谷津子、芥川比呂志、三津田健、田村秋子、第二話「大つごもり」では、久我美子、中村伸郞、荒木道子、長岡輝子、竜岡晋、仲谷昇、岸田今日子、北村和夫、子役として河原崎健二、第三話「にごりえ」では、淡島千景、宮口精二、杉村春子、山村聰、南美江、賀原夏子、十朱久雄、加藤武、小池朝雄、神山繁、子役として松山省二、といった面々が登場する。以下、そのストーリーをウィキペディア百科事典から引用する。(カッコ内芸名を追加する)


【十三夜】
 夫の仕打ちに耐えかね、せき(丹阿弥谷津子)が実家に戻ってくる。話を聞いた母(田村秋子)は憤慨し出戻りを許すが、父親(三津田健)は、子供と別れて実家で泣き暮らすなら辛抱して夫のもとで泣き暮らすのも同じ、と諭し、車屋(芥川比呂志)を呼んで、夜道を帰す。しばらく行くと車屋が突然「これ以上引くのが嫌になったから降りてくれ」と言いだす。月夜の明かりで顔がのぞくと、それは幼なじみの録之助であった。せきは車を降り、肩を並べて歩き始める。録之助の身の上話を聞き、励ますせき。別の車が拾える広小路に着き、短い再会を終えて再び別々の道を行く二人。
【大つごもり】
 女中のみね(久我美子)は、育ててくれた養父母(中村伸郞・荒木道子)に頼まれ、奉公先の女主人・あや(長岡輝子)に借金2円を申し込む。約束の大みそかの日、あやはそんな話は聞いていないと突っぱね、急用で出かけてしまう。ちょうどそのとき、当家に20円の入金があり、みねはこの金を茶の間の小箱に入れておくように頼まれる。茶の間では放蕩息子の若旦那・石之助(仲谷昇)が昼寝をしていたが、思いあぐねたみねは、小箱から黙って2円を持ちだし、訪ねてきた養母に渡してしまう。主人の嘉兵衛(竜岡晋)が戻ると、石之助は金を無心し始める。石之助とはなさぬ仲であるあやは、50円を歳暮代わりに石之助に渡して家から追い払う。その夜、主人夫婦は金勘定を始め、茶の間の小箱をみねに持ってこさせる。勝手に2円を持ちだしたことを言いだせないみね。あやが引き出しを開けると20円すべてがなくなっている。引き出しには、その金ももらっていくと書かれた石之助の書き置きが残されていた。
【にごりえ】
 銘酒屋「菊乃井」の人気酌婦・お力(淡島千景)に付きまとう男・源七(宮口精二)。源七はお力に入れ上げたあげく、仕事が疎かになって落ちぶれ、妻(杉村春子)と子(松山省二)と長屋住まいをかこっている。お力と別れてもなお忘れられず、いまだに仕事には身が入らない。妻には毎日愚痴をこぼされ、責められる日々。一度は惚れた男の惨状を知るがゆえに、お力も鬱鬱とした日を送っている。ある日、源七の子が菓子を持って家に帰る。お力にもらった菓子と知り、妻は怒り、子を連れ、家を出る。妻が戻ってみると、源七の姿がない。菊乃井でもお力が行方不明で騒ぎになっていた。捜索中の警官が心中らしい男女の遺体を見つける。女には抵抗のあとが認められた。


 「十三夜」は、昔、一緒に遊んだ男女が偶然再会する物語。男はタバコ屋の倅で人気者だったが、なぜか身を持ち崩して車引き、浅草の安宿にくすぶっている。女は良家に嫁いだが、夫とは不仲、しかし子どものために辛抱する覚悟を決めた。二人が二人とも幸せではない。その運命をどうしようもなく引きずって生きて行かなければならない。そうした「やるせなさ」を感じながら、きっぱりと別れを告げる二人の姿が清々しく、詩情豊かな逸品に仕上がっていた。
 「大つごもり」の若旦那・石之助もはぐれ者、親の財産を食いつぶす放蕩三昧を重ねているが、心根は温かく優しい。まだ小娘の奉公人・みねのために「泥をかぶった」潔さが光っている。
 「にごりえ」もまた、酌婦・お力のために身を持ち崩した源七という男の悲劇。新しく現れた羽振りのいい客(山村聰)の前で、お力の気持ちは揺れ動く。「この人に身を任せたい、でもあの人のことが忘れられない」、その気持ちの根底にあるのは自分の生い立ち、(足の不自由な)飾り職人の娘として生まれ、極貧の暮らしを重ねてきた。その暮らしを今、(自分のために)源七一家が強いられていると思うと、「どうしようもない」「どうにでもなれ」と、やけ酒をあおる他はないのである。その気持ちは源七も同じであったか、妻子を追い出し、割腹した。「無理心中」か、「合意の情死」か、それは誰にもわからない。 
 以上、三つの話に共通するのは、「貧しさの景色」と「幕切れの余韻」であろうか。「愛別離苦」、その裏返しの「怨憎会苦」という迷いであろうか。いずれにせよ、樋口一葉の原作が忠実に映像化されていたことに変わりはない。
 登場した俳優連中の「実力」も半端ではない。丹阿弥谷津子、久我美子、淡島千景の役柄はまさに適材適所、相手役・芥川比呂志、仲谷昇、宮口精二の三者三様の「男っぷり」、田村秋子、長岡輝子、杉村春子の「女っぷり」、河原崎健二、松山省二の「子どもっぷり」、三津田健、中村伸郎、竜岡晋の「父親気質」、端役でも存在感を示す十朱久雄、北村和夫、荒木道子、景色に色を添える岸田今日子、加藤治子らの姿が綺羅星のごとく居並んでいる。
 1950年代、屈指の傑作であると、私は思った。