梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

映画「秀子の車掌さん」(監督・成瀬巳喜男・1941年)

 ユーチューブで映画「秀子の車掌さん」(監督・成瀬巳喜男・1941年)を観た。甲府の甲北乗合バスに勤務する運転手・園田 (藤原鶏太)と車掌・おこま(高峰秀子)の物語である。冒頭場面は、山村の街道を走るバスの中、乗客は一人も居ない。「この分だと今月の給料、払ってもらえるかなあ」「あぶないものね」などと園田とおこまが話していると、後ろから一台のバスが近づきたちまち追い抜いて行く。商売敵の開発バスである。こちらのバスはおんぼろ車で誰も乗ろうとしないのだ。しかし停留所でもない所で一人の男が手を上げている。乗客は誰もいないことだし乗せてやろうかということで停車すると、その男、一人では持ちきれない荷物とともに乗り込んできた。園田「トラックがわりにしてやがる」と悔しがったが、次の停留所では子ども連れの母親も乗り込んでくる。子どもの数は5人、手荷物の駕籠の中にはニワトリまで鎮座するといった按配で、車内は満杯となってしまった。男と母親の会話、「このバスはおんぼろだけど空いているからいい」。おこまは「こんなに乗せても二十銭しか入らない」とぼやく。しかし、車掌のおこまもまた、バスを止めさせ沿道の実家に立ち寄ったり、道端で遊んでいる弟に駄菓子を放り投げたりと私用を憚らない。何とも長閑、太平洋戦争直前の日本の懐かしい風景が描出されていた。突然、ニワトリが暴れ出し窓から脱出、バスを止めて一同がニワトリを追いかけるなど、ユーモラスなハプニングも添えられてバスは目的地に着いた。
 おこまが仕事を終え、下宿に戻るとおかみさんが言う。「あなたの会社、評判がよくないわよ。たったバス一台、どこかで悪いことをしてなければやっていけるはずない、早く辞めた方がいいのでは・・・」。そしてラジオに聞き入る。流れてきたのは「バスガイドの名所案内」、伊豆の熱川飲泉、今井浜温泉、峰温泉を経て下田に至るルートの観光案内であった。「私もやってみようかしら・・・」、次の日、おこまは園田に相談、園田は社長(勝見庸太郎)の了解を得に行く。この社長、見るからに胡散臭く、ワンマン振りが堂に入っている。はじめ渋っていたが「開発バスに先手を打ちたい」という園田の要望を聞くと「それはいい」と即決。かくて園田とおこまは、温泉宿で逗留中の作家・井川(夏川大二郎)にガイド・アナウンスの原稿を依頼する。おこまは井川がバスの中にノートを忘れたとき、届けに行った経緯があったのだ。井川は快諾、原稿はすぐに完成した。それをおこまに見せ、アナウンスの仕方を伝授、翌日にはバスに乗り込んで「現場実習」まで行う、気の入れようであった。しかし、その最中に子どもが道路に飛び出し、バスは急停車、そのはずみでおこまは負傷、バスも破損した。園田はすぐに社長に電話して事故報告、社長は意外にも事故が軽微であったことに立腹、「エンジンを毀して、ガラスもたたき割れ!」、一方的に電話を切る。保険金目当ての魂胆が見え見え、園田は「クビになる」と覚悟したが、井川に「偽証はいけない、他人ばかりか自分を裏切ることになる」と諭され、辞職を決意する。おこまも同調、二人は井川を伴って社長に談判に行くが、社長は井川を通して事故が新聞に載るかもしれないと、態度を豹変させる。井川を「先生!」と奉り、おこまに「ケガは大丈夫?それが一番心配だったんだ」とおもねる様子が、何とも可笑しかった。
 事態は一気に改善、バスも新装され、運転席の横には可憐な生花まで飾られている。おこまのバスガールとしての一日がスタートした。今ではガイドの原稿もしっかりと暗誦、さあこれからという時になったのだが、乗り合わせた女学生たちの歌声が止まらない。「ラララ赤い花束車に積んで、春が来た来た、丘から町へ・・・」(「春の歌」詞・喜司邦三、曲・内田元)、無情にもバスはガイド・ポイントを通過する。女学生たちが下車、乗客は白杖、サングラスの老人だけ、思わず顔を見合わせるおこまと園田、しかし次の停留所でリュックを背にした若者三人が乗ってきた。いよいよおこまの出番が来た。「皆様、この川は笛吹き川の流れでございます。左手の上流にわたって見えます小高い丘は、古歌に詠われた差出の磯でございます。しほの山差出の磯にすむ千鳥君が御代をば八千代とぞなく(古今和歌集)」。だがその頃、会社の事務所では新装のバスを売り払う商談が成立していた。社長曰く「この事務所は今日限り引き払います」。そのことも知らずに、晴々とした表情、満面の笑みをうかべておこまはガイドする。園田も元気いっぱいハンドルを握り、バスを走らせるうちに、この映画は「終」となった。
 上映時間53分とはいえ、寸分の隙もない、珠玉の名品に仕上がっていたと、私は思う。高峰秀子と藤原鶏太のコンビはどこまでも温かく清々しい。二人を支える夏川大二郎の風情も格別、二階の近くで鳴いている蝉を捕まえようとして水をかけ、下を歩いていた女性を驚かせたり、露天風呂で子どものように泳いだり、原稿料はいらないと言いながら持参されるとすぐに受け取ったり・・・、原作者・井伏鱒二を彷彿とさせるには十分であった。胡散臭い社長をリアルに演じた勝見庸太郎の実力も見逃せない。いとも自然に振る舞い、お人好しに見えるが、腹の内は見せない、いざとなると冷淡そのものといった景色を鮮やかに描き出す。しかしどこか憎めない、太っ腹な雰囲気も漂わせる、複雑なキャラクターを見事に演じていた。
 余談だが、川端康成原作の映画「有りがとうさん」(監督・清水宏・1936年)と比べると、「有りがとうさん」の乗務員は運転手一人だけ、乗客とのやりとり、乗客同士の人間模様が鮮やかに描出されていたが、空気としては女性的でしめっぽい。一方、「秀子の車掌さん」はスカッとさわやかで、清々しい。川端康成と井伏鱒二の作風の違いが、映画にも反映されているようで、たいそう興味深かった。
(2017.4.25)