梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

三人のお母さん

 ある土曜日、電車の中の風景。ベビーカーから弾けるように抜けだして、辺りを歩き回ろうとする一歳の女児、「危ないからダメ」と抱き止めようとするお母さんの手を振りほどいて、逃げ回る。とうとう捕まってベビーカーに収容されたが、今度は大声をあげて泣き叫ぶ。もう一人のお母さんがその様子を見て、女児をあやし始めた。「グーチョキパーで何作ろう、右手はグーで、左手はチョキで・・・」、女児はたちまち笑い出してお母さんのマネをする。その傍らではやはりベビーカーに乗った二歳の男児がニコニコと、指四本を口に入れて眺めている。お母さん同士は初対面かもしれない。女児のお母さんも一緒に手遊びに参加したが、やがて降車駅が来た。「じゃあ、またね。バイバイ」と言ってホームに降り立った。男児のお母さんは、女児に投げキッスをして別れを告げる。男児もしゃぶっていた指を抜き出して投げキッス・・・。女児もお母さんに抱かれて手を振って
いる。入れ替わりに成人女性と腕を組んだお母さんが「はい、乗りますよ」と言いながら乗車、男児のお母さんの隣に座った。男児のお母さんは、女児たちを見送ると、男児に向き直りしゃぶっている指をハンカチで拭き始めた。男児はニコニコと拭いて貰いながら、他方の指を口に入れる。おかあさんがその指を拭くと、また他方の指を口に入れる。いたちごっこできりがない。その様子を見ていた成人女性のお母さんが微笑みながら「ダメって言われると、なおさらやりたくなるのよねエー」と男児に話しかけた。そのとたん、男児の指しゃぶりはピタリと止まった。男児のお母さんも頬笑んで、そのお母さんに返礼する。そうした「やりとり」とはかかわりなく、成人女性は独り微笑みをうかべている。その微笑みは神々しいまでに美しかった。三人のお母さんの、三者三様の「母性」が「親子の絆」の原点であることは間違いない。(2017.4.23)