梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

京都大原・《阿弥陀寺》

 京都大原といえば「三千院」というところが相場だが、どうしてどうして、それ以上の見所があることを御存知か。その名を「古知谷・阿弥陀寺」という。大原から滋賀方面に若狭街道をバス(小出石行き)で10分、停留所「古知谷」下車、徒歩20分で到達する。この路線バス、大原より先はどこでも「乗り降り自由」、したがって運転手に「阿弥陀寺に行きたい」といえば、参道入り口で降ろしてくれる。ただし、バスの本数は極端に少ない。午後2時台で行くと帰りは4時台といった按配で、街道沿いとはいいながら、まことに不便なところにある。それかあらぬか、周囲の環境は「開山上人(弾誓)が独座幽棲の地として選ばれた当時の霊域の趣をそこなっていません。亭々とそびえる老樹が全山を覆っていますが、ことに当寺の紅葉は有名で、高雄、嵐山などと紅葉の名所は京都に多いのですが、ここ洛北に秋を告げてくれるのは、古知谷阿弥陀寺の紅葉の銘木であります。参道南側にある天然記念物(樹齢八百年)の老木を中心に、三百近いカエデが江戸時代から古知谷の秋を彩っています」という案内書き通りであった。「三千院」「寂光院」界隈と違って、「人っ子一人いない」風情が、貴重である。当然のことながら、土産物屋、案内ガイドは皆無、参拝入り口では住職が一人、静かに読書していた。本堂の本尊は「当寺開山上人弾誓の自作自像植髪の尊像」で、その脇に阿弥陀如来座像(重要文化財)が控えている(安置されている)のも興味深い。仏様の「格」からいえば、当然、阿弥陀如来が「上」、にもかかわらず「当寺は浄土宗でありながら阿弥陀仏と同様に開山の弾誓上人を弾誓仏として本尊としているところに、一流本山といわれるゆえんがあるのです」(案内書)との由。門外漢の私にはわかったような、わからないような・・・。でも、その所以を住職に問い質す勇気は、私にはなかった。ここは「如法念仏道場」であって、物見遊山の観光地ではない、という空気が漂っていたからである。本堂の隣には、巌窟がありその中の石廟には、弾誓上人の「ミイラ仏」が納められているという。なるほど、ただならぬ気配が感じられて、身が引き締まる思いであった。いずれにせよ、ここは霊地、世俗の塵にまみれた私など、身を置かせていただくだけで「有難い」と思わなければならない。感謝、感謝。身も心も洗われ「南無阿弥陀仏」と唱えながら下山していくと、どこからともなく現れた乗用車2台、初老男性のグループ旅行か、「どこまで行かれますか?」「はい、寂光院まで」「それなら、御一緒しましょう」、帰路、若狭街道を小一時間歩くことを覚悟していた私にとっては、文字通り「渡りに船」、思わず「地獄で仏」と叫びたくなったが、「この愚か者!お前の行くところは地獄をおいて他にないのだ!」という弾誓上人の一喝も聞こえる。さりながら私は凡夫、性懲りもなく現世の御利益にしがみついて、その乗用車に便乗させていただいた次第である。南無阿弥陀仏。(2010.11.4)