梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

千の詩(法句経)

    最近、ほとんど作文をしていない。そのわけは、「法句経」の中に次のような詩句を見つけたからである。〈「千の詩」 無益な語句を 千たび語るよりも 聞いて心の静まる有益な語句を 一つ聞く方が すぐれている  無益な語句よりなる詩が 千もあっても聞いて心の静まる詩を 一つ聞く方が すぐれている〉(「智恵のことば」・浄瑠璃寺住職・佐伯快勝著・淡交社・2008年)〈この「法句経」は最もはやい時代に成立した教典で、まさに原始仏教、インドで人間として活躍されていた生身のお釈迦さまの生の声に近いものだとされています〉(「法句経」とは 序にかえて)、ということで、その詩句(お釈迦さまの生の声)に、私は脳天をかち割られたような衝撃を受けてしまったのである。「無名・無償の文筆活動」などと粋がって綴り続けた、おびただしい私の作物は駄文の山、「無益な語句」以外の何物でもないことは明らかだ。それを「千たび」どころか、2年間に亘って実に30万回近く(297,509回・私のブログへの訪問者数)も「語って」しまったのだから、もう取り返しがつかない。誠に畏れおおいことである。その罪をどのように償えばよいのだろうか。とはいえ、私は凡夫・煩悩の塊、万が一にも「聞いて心の静まる語句」を、語れるのではないか(語りたい)という欲望を捨て去ることができない。その居直りが「老醜」のすべてであることは百も承知のうえなのだから救いようがない。というわけで、またぞろ「無益な語句」を語り始める始末・・・。地獄に堕ちることは必定、覚悟しなければならない。(2010.7.26)