梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

映画「東京の女」(監督・小津安二郎・1933年)

 二組の男女(同胞)が登場する。その一は姉・ちか子(岡田嘉子)と弟・良一(江川宇礼雄)、その二は兄(奈良真養)と妹・春江(田中絹代)である。姉はタイピスト、夜は大学教授の下で翻訳補助を行い、大学に通う弟の学資を稼いでいる。兄は警察官、妹は良一の恋人である。二組の男女はそれぞれ慎ましく暮らし、やがては良一の卒業、良一と春江の結婚も間近と思われていたのだが・・・。ある日、姉の会社に警察官が訪れ、人事課長に姉の勤務状況、退勤後の様子などを訊ねた。実を言えば、姉の翻訳補助は真っ赤な嘘で、夜は「いかがわしい」仕事をしているという情報が警察に入った。その噂を耳にした兄が、ちか子に確かめようとするが、春江は「私の方が、ちか子さんも話しやすいでしょう」とちか子宅に赴いた。ちか子はまだ帰宅していない。良一ひとりが待っている。春江はとまどい躊躇・・・、しかし良一に急かされて噂の真相を打ち明けてしまった。驚く良一、「そんな話は聞きたくもない。帰ってくれ!」と春江を追い出した。深夜、ちか子が帰宅する。沈み込んでいる良一の様子を見て、ちか子が訝れば「姉さん、今までどこで何をしていたんだ!」と問い質す。一瞬、ちか子は言葉に詰まったが「私が何をしていようと、あなたは勉強だけしていればいいのよ。お姉さんを信じてちょうだい。あなたが卒業することだけを楽しみにしているのだから・・・」。良一は「信じていたから恨めしいんだ。何だってそんな所に出入りしていたんだ。馬鹿だよ。何だってそんな道を選んだんだ」と言うや否や、ちか子を執拗に平手打ち、そのままぷいと家を飛び出してしまった。
 翌日、春江宅を訊ねるちか子、昨日の様子を春江が話し始めると「電話だよ」という使いがやって来た。電話は兄からであった。「・・・良ちゃんが自殺した・・・」驚愕する春江、ちか子の元で泣き崩れる。
 やがて、ちか子の家。入り口で新聞記者たち(笠智衆、大山健二、?)が取材している。「自殺の原因で思いあたることは?」「何もありません」とちか子は首を振る。奥では良一の亡骸を呆然と見つめる春江、記者の一人が近づいて「あなたとこの方との関係は?」「・・・・」、仲間が「オイ、これでは特ダネになりそうもないぜ」、記者たちは退去して行った。ちか子と春江は二人きり、見つめ合う顔にはお粒の涙が流れ落ちる。「良ちゃんは最後まで姉さんのことをわかってくれなかったわね。これしきりのことで死ぬなんて・・・・弱虫!」というちか子の言葉が聞こえた。泣き崩れる春江、ちか子は一点を見つめ、何事か決意する。
 大詰めは、道を笑いながら歩く記者二人、電柱に貼られた号外「東京日日新聞」の記事に見入る。タイトルは「某○○事件の一味逮捕」と記されていた。それを指差して一人の記者(大山健二?)いわく「この記事じゃあ君の社に十四五分出し抜かれたなあ」、微笑みながら無言でうなずくもう一人(笠智衆)、その二人が遠ざかりビルの中に消えると、この映画は「終」となった。
 なるほど、ちか子宅に取材に来ていた記者連中の目的はスクープ、良一の自殺が「某○○事件」のようなニュース・バリューがあるかどうか探りに来ていたのだ。しかしその目的はちか子の決意によってはねのけられた。さもありなん、ちか子は良一のように「弱くはなかった」からである。ちか子が選んだ道は、良一の学資援助のみならず「非合法活動」の支援だったことを窺わせるエンディングであった。受け止め方、解釈は様々だが、(その曖昧さの中に)小津監督の(当時の秘められた)反骨精神が滲み出ている、画期的な名作だと、私は確信するのである。(2017.2.27)