梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

映画「上陸第一歩」(監督・島津保次郎・1932年)

 ユーチューブで映画「上陸第一歩」(監督・島津保次郎・1932年)を観た。何とも「摩訶不思議」な映画である。タイトルを見て、戦意高揚の国策映画と思いきや(しかし、1930年代に国策映画はあり得ない)、アメリカ映画「紐育の波止場」の翻案で、島津監督の「第1回トーキー作品」、主演の水谷八重子(28歳)も映画初出演ということである。(ウィキペディア百科事典参照)
 「摩訶不思議」の原因は、一に映画自体(画像)は「サイレント」の様相を呈し、役者(特に主役・岡譲二)のセリフは「字幕並」、にもかかわらず、二に主演・水谷八重子の演技は「新派」の舞台そのまま、三に背景は船舶、波止場、アパート、酒場、ホテルといった洋風の雰囲気に加えて、女性の多くは和服姿、飲食物はパン、ミルク、ウィスキー等々、その「アンバランス」が目立つからである。
 しかし、今、そのアンバランスがたまらなく魅力的である。 
  冒頭は、ある港町の風景が延々と映し出される。灯台、大小の船々、飛び交うカモメ、折しも大型の貨物船が入港した。それをアパートのベランダから「港の女」・さと(水谷八重子)が眺めている。「エミちゃん、船が入って来たよ。」と呼びかければ「ナーンダ、貨物船か。フランスの船でも来ればいいのに」。どうやらそこは、酒場で働く女たちの寮らしい。
 一方、船のボイラー室では火夫たちが、上半身裸で懸命に石炭を釜に放り込んでいる。「坂田、上がったら今晩も遊びか」「何を言ってやがるンでー」。坂田と呼ばれた男(岡譲二)、船室(食堂)に戻ると夕食も食べずに髭を剃る。周囲では司厨長・野沢(河村黎吉)たちが小博打(チンチロリン)に興じていた。坂田の弟分、倉庫番・戸村(滝口新太郎)が「兄貴!俺も遊びに連れてってくれ」と頼む。やがて、埠頭に降り立った二人、その前を一人の女が通り過ぎた。行く手を見るとそこは海。「兄貴!様子が変だぞ」と言っているうちに、案の定、女は着物姿のまま海に飛び込んだ。あわてて、坂田も飛び込んで助け出す。とりあえず「待合所」に運び入れ、達磨ストーブで暖をとった、女(実はさと)の様子を見ていた坂田は「オイ、ウィスキーを買ってこい。小さいのでいいんだぞ」と戸村に命じ、さとを抱き起こし外套を被せる。「おめえ、寒かねえか、馬鹿なマネをしやがって」。さとは外套を投げ捨てて「あんた、こんなところに私を連れてきてどうするつもり」と食ってかかる始末。「そんなこたあ知るもんか。死にかかっている人を黙って見過ごすわけにゃあいかねえ」「人が生きようと死のうとあんたにはかかわりのないこと、さっさと行ってしまえばよかったんだ」「おまえ、ずいぶんのぼせ上がっていやがる。その前にとっとと着物を脱いで乾かせばいいじゃあねえか」「あたしだって女だ、男の前で裸になんかなれるもんか!ずいぶん血の巡りが悪い男だねえ」。待合所の外で待つ坂田、ウィスキーを買ってきた戸村も同様に叩き出され、「おめえもずいぶん血の巡りが悪い男だな」などというやりとりが何とも面白かった。
 外気の寒さに当たったか、坂田は「カゼをひきそうだ。酒場に行って一杯やるから、おめえはあの女の番をしていろ」と戸村に命じ去って行く。一息ついたさと、戸村に坂田の様子を尋ねれば酒場に行った由、置き忘れられた坂田のパイプを持って自分も酒場に駆けつける。(ずぶ濡れの和服がそんなに早く乾こうはずもないのに、ちゃっかり着ている姿が何とも可笑しい。)そこは船員たちの溜まり場で、司厨長・野沢も顔を出して、坂田とさとの間に割って入ろうとしたのだが(野沢がウイスキーの瓶をさとに差し出して「一杯酌してくれ」という光景も滑稽で、笑ってしまった)・・・、いよいよ大物が登場する。港を牛耳る「ブルジョアの政」(奈良真養)とその子分「プロペラのしげ」(江川宇礼雄)たちである。政は野沢とも懇意で、先刻は「密売品」の取引(それは不調に終わったが)をしてきたばかり。さとを見つけると「おい!さと、今までどこにずらかって居やがった」と捕縛しようとする。さとは政の手によって上海に売り飛ばされようとしていたのだ。「キャー」というさとの声を聞いて、坂田は敢然と政に立ち向かう。「オイ、待った!」「何だ貴様は」「俺は○○丸の釜焚きだ」「釜焚きなんかにこの女を横取りされるような俺じゃねえぞ」「横取りも縦取りもあるもんか。俺はこの女を拾ったんだ」、脇からプロペラのしげが「拾ったんなら持ち主に返せよ」。坂田はさとに「お前は政の女か」と確かめ「違います!」というので、連れて帰ろうとする。政は「待て! 勝手なマネはさせない。この女を置いて行け」とピストルを取り出した。それを見た坂田「フン、パチンコ出しやがったな」と言うなり政に掴みかかろうとして、子分たちと大乱闘が始まった。強い、強い。かかってくる相手を殴りつけ、投げ飛ばし、文字通り孤軍奮闘を絵で描いたような場面、途中からは、さとがビール瓶を天井のシャンディアに投げつけ、辺りは一瞬真っ暗闇、その中でも乱闘は続く・・・。どうやら、坂田が政を叩きのめして終わったようだ。政の情婦(沢蘭子)までもが坂田に向かって「あんた、いい腕前だねえ、今晩一晩預けておくよ」などと目を細める。収まらないのは酒場のマダム(吉川満子)、メチャクチャにされた酒場の店内、「あんた、このお店どうしてくれるのさ」と情婦に噛みつくが「まあ、しょうがないじゃないか」でその場はチョンとなった。(何ともあっさりした結着である)
 坂田とさとは川岸の安宿(リバーサイド・ホテル)に落ち着いた。坂田は故郷の母親に手紙を書いている。その様子を見て、さとが繰り広げる身の上話。生まれは北海道網走、母は妹を産むなり死んでしまった。私はその赤ん坊の守りに明け暮れていた。私は母の連れ子、やがて義父が私を女郎に売ろうとしたので、家を飛び出した。それからはあちこちを転々・・・、「あたしなんか、いてもいなくても、どうでもいい女なんだ」と弱音を吐く。坂田「おめえ、初めはずいぶん強気だったじゃねえか」「だって、あんたは仇だと思っていたんだもの」「昔のことなんか思い出すのはよせ。俺はそんな話、聞きたくねえぞ。おめえ、もう寝た方がいいぜ」。どこかでサイレンの音が聞こえる。「火事かしら」「そんなこたあ、俺の知ったこっちゃねえよ」。さとにベッドを提供、坂田もソファで眠りに就いた。 
 翌朝、さとは早起きしてパンとミルク、林檎と歯みがきを買って来た。起き出した坂田が洗面所で歯を磨いていると、おかみ(飯田蝶子)がやって来て「あの娘、朝からはしゃいで買い物してきたわよ、お安くないねえ」と冷やかした。部屋に戻り、朝食を始めるとドアの音がして舎弟の戸村がやって来た。「兄貴、チーフが呼んでいる。埠頭まで来てくれ」「乗り込みは今夜8時だ。朝っぱらから何の用だ」と言いながらも、出かける様子。さとは「乗り込みが8時ならここに戻って来てよ。あたし御飯をたくから一緒に食べよう」と言う。坂田は巾着を取り出してテーブルに置く。「これ何?」「何かの足しに使ってくれ」「あたしなら大丈夫。もう死ぬなんて考えない」「それなら、ずらかる時にでも使えばいい」「あんた、帰っちゃいや」「俺は船乗りだ。帰らなければ暮らしていけねえんだよ」「あんた、8時までここで待ってるから戻って来てね」。
 坂田と戸村は埠頭に向かった。そこは倉庫・ビルの工事現場、鉄骨にドリルを撃ち込む轟音が響きわたる。やがて、現れたのは司厨長・野沢と「ブルジョアの政」一味、向かい合うなりピストル3発、坂田はその場に倒れ込んだ。しかしそれは芝居、油断して取り囲む一味、政が「船に運び込め」と言うやいなや、坂田は政に掴みかかり、またもや大乱闘が始まった。政は坂田に突き飛ばされ本当に倒れ込む。一味もあえなく退治されてしまった。
 坂田がホテルに戻ると、待っていたのは「プロペラのしげ」、さとの見張り役だった。坂田を見て驚くしげ、今頃、坂田は政に殺られているはずなのに・・・、しどろもどろで言い訳をするしげを張り倒し追い払う。「覚えていろ」と捨て台詞を吐くしげを、難なく階段下に突き落としてしまった。
 その後二人は、「あんたって本当に強いのね。あたしあんたのおかみさんになりたい。あんたが帰ってきたら首にしがみついちゃう」「ハハハハ、俺は陸に上がったら何にもできねえでくの坊だ」「それでもいいの、一件家を借りて草花を育てるの」などと対話していたが、入口に人の気配、訪れたのは刑事(岡田宗太郞)たち、戸村もいる。「坂田とはお前か、殺人の嫌疑がかかっている。同行してもらおう」。さとは驚いて「この人が人殺しなんてするはずがありません」と刑事の前に立ちふさがる。戸村も「初めに政がピストルを3発撃ったんです」と弁護。しかし、坂田は「政が死んだんなら、私がやったこと。しょうがない。お供します」と従った。さとは、必死に「あんた、あたし待っている。いつまでも待っているわ。だから戻って来てね」と取り縋る。(しばらくの間)坂田は「お前が待っていると言うのならなら、戻ってくるよ」と応じた。さとは「本当!あたし、うれしい!」と泣き崩れた。「じゃ、あばよ」と言い残し、坂田は牽かれて行く。さとは身もだえして、いつまでも泣き続ける。やがて窓の外には、いつもの港の風景が・・・。矢追婦美子の歌う主題歌が流れるうちに、この映画の幕は下りた。
 この映画の魅力は、(前述したように)「アンバランス」(の魅力)である。水谷八重子の、文字通り「芝居じみた」(新派風の)セリフに対して、岡譲二は(サイレント映画の)「字幕」をアッケラカンと棒読みするように応じる。その風貌とは裏腹に「べらんめえ」調の口跡が素晴らしい。「気は優しく(単純で)力持ち」といった往時のヒーローの風情が滲み出ている。筋書きは「悲劇」だが、景色はコミカルで、どこまでも明るい。しかも、水谷八重子の「うれし泣き」でハッピーエンドという大団円は見事であった。島津監督はトーキー初挑戦、水谷も映画初出演、アメリカ映画の翻案という「不慣れ」(不自然)も手伝ってか、あちこちには、ほのぼのとした「ぎこちなさ」が垣間見られる。それがまたさらに「アンバランス」の魅力を際立たせるという、「傑作」というよりは「珍品」に値する「稀有・貴重な作物」だと、私は思う。
(2017.2.13)