梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「イスラム国」と「わが国」の《共通点》

 武装集団「イスラム国」の思想・信条・戦略・戦術には、「わが国」との《共通点》が仄見える。「わが国」日本も、つい70年前までは、《八紘一宇》という標語のもとに、「撃ちてし止まん」「欲しがりません勝つまでは」といった(押しつけられた)信条が、巷間を闊歩していた。戦略は「大東亜共栄」と「鬼畜米英」、「わが国」民の男子は、すべからく「戦闘員」として「萬朶の櫻か襟の色 花は吉野に嵐吹く 大和男子と生まれなば 散兵線の花と散れ」(軍歌「歩兵の本領」)と、鼓舞・強要されたのである。「女、子ども」の出る幕はなく、武家社会を踏襲した「家父長制」(その頂点は天皇)がその基盤にある。戦術の極め付きが「神風特別攻撃隊」の「自爆戦法」だとすれば、かつての「わが国」日本は、まさに武装国家「大日本帝国」以外の何者でもなかった、ということになる。もし、「わが国」が本気で「テロと闘う」覚悟なら、「彼を知り己を知れば百戦殆うからず」の兵法に従って、武装集団「イスラム国」との《共通点》を明らかにしなければならない。 中でも、18世紀半ば、ムハンマド・イブン=アブドゥルワッハーブによって創始された「イスラム復古(原理)主義」の思想・信条と、わが国伝来の(前近代的な)「神国思想」(大和魂)との間には、多くの《共通点》が見られる。「男権社会」(一夫多妻制)と「家父長制」(男尊女卑)、「十字軍」と「鬼畜米英」、「特攻」と「自爆」、「斬首による処刑」等々・・・。また、「イスラム国」に《国境》はない。世界中のどこでも、彼らの思想・信条に「共鳴」「同調」する者が生まれれば、その時点で、すでに「イスラム国」は建国されたことになる。そうした思想を(荒唐無稽な)「前近代」と一笑に付すことは簡単だが、はたして「わが国」日本の「現代」に、それを克服するだけの力があるか、「武力」だけでその「思想」と闘うことができるか、そのことが、今、問われているのである。「彼を知り己を知れば百戦殆うからず」とは、実を言えば、「相互理解」の《極意》を説いたものであり、「戦わない」ことが「勝つ」ことであることを暗示しているのだが、そのことを理解している「イスラム国」人、「日本人」は極めて少ないと思われる、悲しい《共通点》である。(2015.2.15)