梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

映画「婦系図」(監督・野村芳亭・1934年)

 ユーチューブで映画「婦系図」(監督・野村芳亭・1934年)を観た。原作は泉鏡花の新聞小説で1907年(明治40年)に発表され、翌年には新派の舞台で演じられている。有名な「湯島境内の場」は原作にはなく、いわば演劇のために脚色されたものである。それから27年後、野村芳亭(野村芳太郎の父)によって、初めて映画化された。
 その物語は、参謀本部でドイツ語の翻訳官を務める早瀬主税(岡譲二)の自宅に、静岡の有力者・河野秀臣(武田春郞)の妻とみ子(青木しのぶ)と息子英吉(小林十九二)が訪れているところから始まる。主税と英吉は静岡時代の友人、主税はその後上京、神田で「隼の力」という異名で悪事を働いた与太者だったが、「真砂町の先生」こと大学教授・酒井俊蔵(志賀靖郎)に諭され、今の地位を得ることができたのだ。しかし、馴染みの柳橋芸者・蔦吉(田中絹代)と同棲中、いずれは先生の許しを頂いて正妻の座に据えるつもりだったが、今はまだ外来者に会わせることができない。事情を知っているのは、女中のお源(飯田蝶子)、出入りの魚屋「めの惣」こと、め組の惣吉(河村黎吉)、蔦吉の朋輩・小芳(吉川満子)くらいであった。
 主税の家に客が訪れるたびに、蔦吉は身を隠して時間を過ごす。その様子を見て惣吉は気の毒がったが、蔦吉は、いずれ晴れて女房になれると思うと苦にならなかった。
 河野家の訪問は縁談話、酒井の娘・妙子(大塚君代)を英吉の嫁として迎えたい、その仲介と身元調査を頼みに来たのである。しかし、主税は取り合わなかった。妙子は酒井が小芳に生ませた娘、河野家にも妻の不貞で生まれた娘が居る。複雑な人間模様(婦系図)が伏線となって、悲劇は進む。
 業を煮やした河野家は改めて坂田令之進(芸名不詳)という家令(?)を主税の元に送り、縁談の仲介を頼んだが、主税は断固拒絶、坂田は退散する。その時、出口で蔦吉と鉢合わせ、主税と蔦吉の同棲を知ることになったか。  
 主税はその後、真砂町の酒井を訪れる。奥ではすでに坂田と酒井が面談中(坂田の憤慨・糾弾、酒井の謝罪と縁談承認などなど)で書生(三井秀男)から「先生は今、ゴキゲンが悪い」と追い返された。ブラブラと、本郷の夜店に立ち寄り「三世相」(陰陽道の占い本)を手にする。「一円です」という親父(坂本武)に「高すぎる、半額なら・・」と戸惑っているところに、五十銭硬貨二つが投げ出された。見ればそこに立っていたのは酒井。「先生!」と驚く主税、そのまま主税宅に赴くと言う。しかし行った先は柳橋の料亭、途中で「掏摸騒ぎ」に遭遇し、主税は男にぶつかられたがそのまま、歩き続ける。料亭の部屋には小芳も呼ばれた。清元?、新内?の音曲が流れる中、弟子と恩師、恩師の日陰者の三者の「絡み」は、寸分の隙もなく往時の人間模様を鮮やかに描出する。酒井、かつての愛妾・小芳に向かっては「朋輩の蔦吉はどこにいる、知らないとは薄情だ。俺が教えてやろう、主税の家だ」と言い、主税に向かっては「弟子の分際で、妙子の縁談を邪魔するとは何事だ」「先生、英吉は妙子さんの相手としてふさわしくありません」「何をほざくか。芸者風情を家に引きずり込んでいる奴に何が言えるか」。主税は、恩師のため小芳のために妙子の吉凶を占おうとしたのだが、何を言っても通じない。じっと耐えている小芳、しばらく瞑目して、主税は「先生、私が考え違いをしておりました」と終に謝る。酒井は主税に酒を注ぎ「では、女と別れるか、それとも俺と別れるか」、「女を捨てるか、俺を捨てるか。グズグズせずに返答せい!」と迫った。主税、きっぱりと「女を捨てます。どうか幾久しくお杯を」と平伏、その場は平穏に戻る。小芳の泣き崩れる声だけが余韻を残しながら・・・。
 主税が料亭を出ると、闇にまみれて男が待っていた。「旦那、さっきの物をいただきましょう」「何だ」「とぼけちゃいけませんぜ」。懐に手を入れると大きな皮財布。「ああ、これか、じゃあお前は掏摸か」。早く返せと匕首を振り回すその男を組伏して、主税いわく「この財布は返してやる」「では半分ずつということで」「そうではない、被害者に返すのだ。俺も昔は同じことをしていたんだ。ある先生のおかげで真っ当な道を歩けるようになった。こんなことをていて長続きするはずがない。改心して明るい世界を歩くように」と説諭すれば、男「改心・・・」と言って固まった。昔は同じ道を歩いていた兄貴が・・・、という思いだったか、戻った財布をしっかりと抱きしめ「旦那、私はこれから自首します。明るい世界を歩きます」。返された匕首もすぐさま池に投げ捨てる。主税、「昔、俺もあんな風だったな、先生に恩返しをしなければ」と思ったかどうか、そのまま闇の中に消えて行く男を見送った。
 大詰めは、御存知「湯島境内の場」、「俺はもう、死んだ気になってお前に話す」「そんな冗談言ってないで、さあ」「冗談じゃない。どうか俺と別れてくれ」「別れる?……からかってないで、早くうちへ帰りましょうよ」「そんな暢気な場合じゃない……本当なんだ。どうか俺と縁を切ってくれ」「縁を切る?貴方気でも違ったんじゃないんですか」「気が違えば結構だ。……俺は正気でいっているんだ」「そう、正気でいうのなら、私も正気で返事をするわ。そんなことはね、いやなこってす」
「俺は決して薄情じゃない。誓ってお前を飽きゃァしない」「また飽きられてたまるもんですか。切れるの、別れるのってそんなことはね、芸者の時にいうことよ。今の私には、死ねといって下さい」、という名セリフそのままに、田中絹代と岡譲二が描き出す愁嘆場は筆舌に尽くしがたい風情であった。後世(1942年)「知るや白梅玉垣にのこる二人の影法師」(詞・佐伯孝夫)と詠われたように、その二人の姿が、ひときわ艶やかに浮かび出て、この映画の幕は下りた。
 余談だが、現代の浪曲師・二葉百合子も「湯島境内の場」を中心に、お蔦・主税の《心意気》を鮮やかに描き出している。「先生から俺を捨てるか、女を捨てるか、と言われた時、女を捨てますと言ったんだ」という言葉を聞いて、お蔦は「よくぞ言ってくれました。それでこそあなたの男が立ちますわ」と答える。そこには、男に翻弄される女の「意地」も仄見えて、芸者の「誠」とはそのようなものだったのかと、感じ入る。
 続いて、天津ひずるも、湯島から1年後の後日談、「めの惣」宅に身を寄せ、病に斃れていくお蔦の最後を見事に詠い上げている。そこでは、酒井俊蔵がおのれの不実を恥じ、お蔦に心から詫びる場面も添えられていた。
 「婦系図」は以後、長谷川一夫・山田五十鈴、鶴田浩二・山本富士子、天知茂・高倉みゆき、市川雷蔵・万里昌代らのコンビによって映画化されているが、その先駆けとしての役割を十分に果たし、「お手本」としての価値を十二分に備えている名作だったと、私は思う。(2017.2.7)