梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

モーツアルト浴

 私は「音楽」が嫌いだった。なぜか。「歌う」ことが下手だったからである。小学校の授業では「歌う」ことばかり強制されたような気がする。「音を楽しむ」ことが音楽であるはずなのに、どうして歌わなければならないのだろうか。そうした「憤り」は、年長になるにつれてますます強くなった。特に、学期末に行われる「歌唱」の試験は憂鬱だった。一人一人クラス全員の前で課題曲を歌わなければならないからである。小学校4年は「野菊」、中学校では「オールドブラックジョー」を階名で歌わされたことを、今でも憶えている。そんな私が、クラシック音楽に関心を持つようになったのは、還暦を過ぎてからである。動機は至って単純、しかも不純であった。オーケストラで使われる楽器の数々は、さだめし高価な物に違いない。それを演奏できるようになるためにも、高価な授業料が不可欠であろう。だとすれば、楽団に結集した団員の演奏技術、手にしている楽器の金額を合計するとどれくらいになるのだろうか。おそらく数千万円は下らないだろう。だから、そこで演奏される音楽の価値を享受できないことは「損」である。そんな不純な動機(損得計算)で、眠くなるのを我慢しながら、私はテレビのクラシック音楽を視聴するようになったのだが・・・。最初に聞いたのはチャイコフスキーの「悲愴」だった。この交響曲はチャイコフスキーの遺作だという。彼はまもなく自死するので、その死生観が色濃く反映されているように思う。「いつ始まったかわからない」「いつ終わったかわからない」曲の特徴は、いかにも私たちの「生」と「死」を暗示しているようだ。「たよりなく」「不安定な」雰囲気(曲想)が基調になっており、終末近くでは、音が次第に弱くなる、もう終わりかと思うと、息を吹き返したように、また強まり・・・、そして弱くなる、そうしたフレーズを数回繰り返しながら、とうとう本当に何も聞こえなくなってしまう。気がついたときにはもう終わっていた、という按配で、それはまさに「臨終」の息づかいに酷似していると思った。その直後に、今度はベートーベンの「第九」を聴いたが、まるで雰囲気が違う。そこには「生きる喜び」というか、あふれる精気がみなぎっており、その力強さに圧倒されるようだった。音の「繊細さ」「美しさ」「癒し」という点では、「悲愴」が優っているように私は感じた。
 以来、しばらくクラシック音楽に親しんできたが、今ではモーツアルトのCDが私の必需品となっている。「音を楽しむ」どころではない。日光浴、森林浴、温泉浴と同様に、「モーツアルト浴」の効果を確信できるようになった。CDのタイトルは「モーツアルト・ミュージック・セラピー」(パート2・血液循環系疾患の予防<高血圧、心筋梗塞、動脈硬化、脳梗塞など>監修・選曲・解説:和合治久・埼玉医科大学短期大学教授)である。収録曲は、①ピアノ協奏曲第20番ニ短調K466・第2楽章・フリードリヒ・グルダ(ピアノ)、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 指揮:クラウディオ・アバド、②ピアノ・ソナタ第15番ハ短調K545・第1楽章、第2楽章・アリシア・デ・ラローチャ(ピアノ)、③ヴァイオリン協奏曲第3番ト長調K216・第1楽章・キドン・クレーメル(ヴァイオリン)、ウイーン・フィルハーモニー管弦楽団 指揮:ニコラウス・アーノンクール、④弦楽五重奏曲第3番ハ長調K515・第2楽章、第4楽章・メロス弦楽四重奏団、他、⑤ピアノ協奏曲第23番イ長調K488・第1楽章・ルドルフ・ゼルキン(ピアノ)・ロンドン交響楽団 指揮:クラウディア・アバド、である。
 私はモーツアルトの愛好者(鑑賞者・素人)であって、専門家(研究者)ではない。その独断・偏見によれば、モーツアルトの「音楽」は、私の心身を「実に快く」マッサージしてくれる。その曲想は、「音の万華鏡」とでも言えようか、それぞれの楽音が宝石のように煌めきながら、疲れた心身に降り注ぐのだ。たとえれば、ピアノは「指圧」、ヴァイオリンは「摩擦」効果によって全身を刺激し、クラリネットは、そのフレーズによって「呼吸を整え」てくれるのである。「音楽」は、「耳で聴く」だけではない、楽音を「全身で浴びる」ものであることを、私は学んだ。モーツアルトの音楽は、副作用のない「薬」ではないだろうか。解説には、「・・・高周波のモーツアルトの音楽はさらに効果的に副交感神経が分布する延髄に作用します。この結果、延髄から出ている顔面神経や舌咽神経が刺激されて唾液が出るようになるとともに、心臓や肺、小腸などの内臓にも迷走神経として分布している副交感神経が交感神経の作用に拮抗していくのです。したがって、交感神経優位から生じる病気にブレーキをかけ、その予防や改善につながるといえます。たとえば、モーツアルトの音楽療法で高血圧や激しい心拍がストンと下がったり、唾液がたくさん分泌されるなどの現象、あるいは胃などの消化管活動が高まり便秘が改善されるなどは、よく体験できることなのです」と、書かれている。
 私自身、今から9年前(54歳時)、「脳梗塞」(無症候性)と診断され、以後、服薬治療(パナルジン1日2錠)を続けてきたが、最近の通院時、医師から「症状の進行が見られないので服薬は中止してもよろしい。どうしますか?」と言われたほどである。
  まさに「モーツアルト浴」の結果を確信しているのである。
(2008.1.26)