梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

教訓Ⅵ・《まもなく終焉を迎える人々へ》

 「生きとし生きるもの」は《必ず》死ぬ。そのとき、何が大切か。これまで身につけた自分の所有物をすべて捨て去る覚悟である。綺麗さっぱりと、自分の足跡を消し去ることである。人間は、動物として、何も持たずに生まれてきた。裸のまま生まれてきた。だから、死ぬときも裸に帰るのである。自分が生まれる前の軌跡がないように、死後も軌跡は残らない。「歴史」は、生きている間にしか存在しないのだ。いうまでもなく「死後の世界」(あの世、冥界、天国、地獄など)も存在しない。
 今は、周囲を見回し「自分」の痕跡が残っていないか、もし残っている物があればすべてを捨て去る(贈与する)べきである。それらが必要なのは生きている間だけ、「死んで花実は咲かない」のである。遺書、遺言、遺産、墓(戒名)、銅像等々、自分の足跡を残そうとして悪あがきをしてはならない。
 とは言うものの・・・、「さて、お前自身にその覚悟があるのか」という声が聞こえる。もちろん《ない!》。私の周囲には、他人にとっての不要物が所狭しと散らかっている。「断捨離」などは夢のまた夢、塵芥・反古の山に埋もれて死んで行くことは必定であろう。この私自身こそがその塵芥の一つに他ならないからである。 
 まもなく終焉を迎える人々よ、周囲の人々に、恩讐を越えて「ありがとう」と言おう。心を鎮めて「その時」を待とう。「花に嵐のたとえもあるぞ 『サヨナラ』だけが人生だ」!(花発多風雨 人生足別離  『勧酒』・干武陵、訳・井伏鱒二)
(2017.1.25)