梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

教訓Ⅳ・《古稀を過ぎた人々へ》

 昔の人にとって70歳まで生き残ることは、古来、稀なことであった。だから「古稀」と言う。運良く生き延びられたとしても、「お山参り」をしなければならない時代もあった。(小説「楢山節考」・深沢七郎・1957年)
 現代の平均寿命は80歳台、70歳は「まだ若い」という風潮である。医学、栄養学など様々な文化の進展により、より以上の延命が可能になったが、そのことを寿ぐべきか否かは問題である。生きとし生けるものは、すべからく「死」を拒絶する。同時に「死」を免れることはできない。その真理から何を学ぶべきか。
 今から70余年前、日本の若者たちは20歳になると、戦争による「死」を強いられた。国のために死ぬことを「散華」「玉砕」などと讃えられた。
 古稀を過ぎた人々は、今、そのことを想起すべきである。これまで自らが戦争による「死」を強いられたことがあったか。「死」を強いられたが辛うじて免れた人々が何と言っているか。その声に耳を傾けるべきである。「死」を強いられ、やむなく散っていった人々がどんな言葉を残しているか。その記録を精査するべきである。(「世紀の遺書」・巣鴨遺書編纂会・1953年、「生き残った元日本兵戦争証言」・阪野吉平・新風舎文庫・2005年)
 70余年前、日本は敗戦し、戦争を永久に放棄した(させられた)。その結果、幾多の困難を経て、現在の繁栄を見るに至ったのである。戦争に勝利した国々はその後も多くの「戦死者」を出し続けている。しかし、この70余年間、敗戦国日本には1人の「戦死者」もいない。古稀を過ぎた人々は、戦争による「死」を強いられることがなかった。そのことを至高の誇りとすべきである。そのことを以後の世代に「確実」に引き継ぐべきである。戦争で得られるものは何もない。戦争に勝利しても平和や繁栄は得られない。そのことは、先の大戦に勝利した国々の「現在」を見れば明らかであろう。
 今、古稀を過ぎた人々の「使命」は、戦争の愚かさを後世に伝えることである。いつの時代でも、いずれの地でも、戦争を始めるのは老人であり、戦争で死ぬのは若者である。第二次世界大戦末期,沖縄近海で日本の特攻機と戦った元アメリカ海軍中尉・ウイリアム・バーンハウスは以下のように述べている。「年輪を重ねるにしたがい,私には幾つかにことが明確になってきた。一つは,戦争は年老いた軍人が行うという事,二つ目は,その戦争で死ぬのは若者であるという事,そして,三つ目は,最初の一と二は不変であるという事である。」(「我 敵艦ニ突入ス」・扶桑社・2002年)古稀を過ぎた人々よ、もし、戦争が国際平和に貢献できると言うのなら、自ら武器を取って戦地に赴け。その覚悟があるか。
 今から110余年前、「日露戦争に勝利した日本」の歌人・与謝野晶子は「あゝおとうとよ、君を泣く 君死にたまふことなかれ 末に生まれし君なれば 親のなさけはまさりしも 親は刃をにぎらせて 人を殺せとをしへしや 人を殺して死ねよとて 二十四までをそだてしや 君死に給うことなかれ」と詠んだ。親交の深かった大村桂月は(晶子を)「乱臣なり賊子なり、国家の刑罰を加ふべき罪人なり」と非難したが、そしてまた、たとえ38年後、わが子(四男)の出征時に「強きかな 天を恐れず 地に恥ぢぬ 戦をすなる ますらたけをは」と詠んだとしても、彼女の当初の《感性》を軽んじてはならない。いつわりのない、「生きとし生けるもの」の率直な心情だからだ。
 古稀を過ぎた人々は、その《感性》を持たなければならない。それが110余年間に亘って引き継がれてきたように、自らもまた後世に受け渡さなければならないのである。これまで、戦争による「死」を強いられることもなく、安穏に生き延びられたことに感謝し、自らの「幸せ」をしっかりと子孫に伝えていくことが、余命に残された「使命」なのだ。(2017.1.22)