梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

乳幼児虐待死の「責任」

 東京新聞13日夕刊(7面)に「狭山・3歳児死亡 同居の男『湯かけた』 全身にあざ 日常的に虐待か」という見出しの記事が載っている。別の報道では、その女児がベッドの上で「正座」している映像もあった。「そうすれば、パパが怒らない」からだという。その幼気な姿は愛おしく、私の脳裏から離れない。滲み出てくる涙を抑えることができなかった。もし、その子の母親と同居の男が「(虐待を)帰ったらやろうね」とラインでやりとりをしていたとしたら、私は絶対に許すことができない。無抵抗な三歳児に対して、殴り、閉じ込め、煮え湯を浴びせることは、保護者として「あるまじき行為」であり、極悪非道の犯罪である。いったい、この3歳児がどのような罪を犯したというのであろうか。 こうした、親による虐待死は戦前・戦時・戦後、一貫して、根絶されることはなかった。インターネット情報(「子供の犯罪データーべース親による虐待・子殺し」によれば、昭和19年まで11件、昭和20年代33件、30年代39件、40年代322件、50年代374件、60年代111件の事例が記されている。戦時には、大空襲の下、沖縄の防空壕の中、サイパン・バンザイ岬等々で犠牲になった乳幼児も数知れない。平成以後も、最近の10年間で、毎年60人前後の尊い命が失われている(厚生労働省ホームページ)。その要因は「親が親になりきれていない」からだとも指摘されているが、その親の親もまた「親になりきれていない」。すべては大人の責任であることは間違いなく、《成熟した》「文明社会」の未熟さを、悲しく露呈している証しなのである。 
(2016.1.14)