梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「授業で道路清掃」の《意味》

 東京新聞12月19日付け朝刊・「発言」欄に、「授業で道路掃除とは?」という記事が載っている。筆者は、校外で清掃活動を行っている生徒たちの様子を見て、「文部科学省のカリキュラムですか」と若い教員に尋ねたところ、「いいえ、区の・・・」という答が返ってきたそうだ。筆者はその活動を「思いがけない光景」として受け止めた。生徒たちは教室の中で「自由・平等・博愛・戦争・平和・日本史・世界史・人権・権利・義務」などを学ぶことが、本来の姿であり、〈小・中学生が「道路にへばりついて、ガムを削り落とす」ことでしか得られない学びとはなんでしょうか〉という「疑問」を投げかけている。そして、その光景に戦時下の学童が強いられた「勤労奉仕」のイメージを重ねているようだ。筆者の問いに、教員が「はい、そうです」と答えられなかったのはなぜだろうか。文科省の「学習指導要領」には「特別活動」という領域があり、そこでは「勤労生産・奉仕的行事」として「共に助け合って生きることの喜びを体得し,ボランティア活動などの社会奉仕の精神を養う体験が得られるような活動を行うこと」(中学校編)と内容が明示されている。したがって、筆者の「思いがけない光景」は、学校教育の中では「日常の光景」なのである。また、そのことでしか得られない学びとは、(教室の座学だけでは得られない)「体験」を通して、「助け合う喜び」「社会奉仕の精神」であり、それはやがて「平等」「博愛」「人権」「義務」という理念の涵養にもつながっていく、と若い教員に答えてもらいたかった。
(2015.12.19)